春秋時代に入る前に

 
時代区分
文王・武王によって建国され、成王・康王によって安定した時代を築いた周王朝も、昭王以降は周辺異民族との戦争が繰り返され、厲王時代には国内の矛盾も大きくなり、一時は国王不在の時代を迎えることになりました。宣王が中興を実現させましたが、晩年には異民族との敗戦が重なり、しかも無辜の臣下を殺害したため、人心を動揺させました。
宣王を継いだ幽王は乱れた政治を立て直すことなく、国内外ともますます混乱し、ついに申侯と犬戎の攻撃を招いて殺されてしまいました。
諸侯は幽王に廃された太子・宜臼を新王に擁立しました。これを平王といいます。平王は荒廃した鎬京を離れて東都・洛邑(雒邑)に遷都しました。洛邑遷都後を東周時代、それ以前を西周時代といいます。
 
西周時代は周王が天下の唯一の主でした。しかし東周時代に入ってからは王威が日々失墜し、各地の諸侯が独立して政治を行うようになります。諸侯は周王の命令を聞かず、勢力を拡大するため互いに攻伐を繰り返しました。周王は全く実権をもたない天子となり、やがて諸侯は周王の名目上の天子という地位すら無視して自ら王を名乗り始めます。
この混乱は秦の始皇帝が天下を統一するまで約550年間続きました。中国最初の大分裂時代「春秋戦国時代」です。
諸侯と同列になった東周は秦が天下を統一する約三十年前に秦に滅ぼされました。
 
春秋戦国時代は「春秋時代」と「戦国時代」に分けられます。
春秋時代」は孔子が編纂したといわれている『春秋』という歴史書がこの時代のことを記録した書物であることから、その名称がつけられました。
「戦国時代」は同じように漢代にまとめられた『戦国策』という書物の名前によります。
但し「春秋時代」と「戦国時代」をいつからいつまでにするかには諸説があります。
 
まず「春秋時代」の始まりですが、通常は平王が東遷した年、即ち紀元前770年を開始の年とします。
しかし孔子の『春秋』が記述を始めた紀元前722年から春秋時代が始まったとする説もあります。
この場合は春秋時代が終わる年も『春秋』の最後の記述が書かれている紀元前471年になります。
 
史記』には西周末から春秋時代を対象にした『十二諸侯年表』がありますが、年表は周敬王が死ぬ紀元前477年で終わっています。よって、ここまでを春秋時代とし、戦国時代を扱った『六国表』が始まる元王元年(紀元前476年)を戦国時代の始めとすることもあります(元王元年を紀元前475年とする説もあります)。
 
宋代の司馬光が編纂した『資治通鑑』は紀元前403年から記述を始めており、この年を戦国時代の最初の年とする説もあります。この場合は紀元前404年までが春秋時代になります。
更には晋が事実上三国に分裂した紀元前453年から戦国時代とする説もあります。
 
春秋時代」「戦国時代」というのは実態がある時代の名称ではなく、後世、便宜的につけられたものなので、厳密にいつからいつまでと決める必要はないと思います。
私の通史では、春秋時代の始めの年は東周平王元年、終わりの年は『史記』の年表に従って敬王末年とし、東周元王から秦の統一までを戦国時代とします。
 
 
前述の通り、春秋時代は東周の平王から始まります。紀元前770年から紀元前477年の約三百年に渡る長い年月なので、三期に分けます。
 
一、平王・桓王・荘王・釐王・恵王・襄王・頃王
紀元前771613年(約百六十年)
鄭の小覇と、斉桓公・晋文公の時代
 
二、匡王・定王・簡王・霊王
紀元前612545年(約六十五年)
晋・楚が覇を競う時代
 
三、景王・敬王
紀元前544477年(約六十五年)
呉が台頭する時代
 
 
主要国
西周は武王の時代に多数の諸侯を分封し、その後も王族や功績がある臣下を各地に封爵してきました。春秋時代初期には百以上の国があったといわれています。しかし小国の多くは記録が残されておらず、全ての国の詳細な歴史を述べることは不可能です。そのため『史記』等の歴代の史書は主要十数国に絞って記述をしてきました。
史記』には周と秦の「本紀」と、呉・斉・魯・燕・蔡・曹・陳・杞・衛・宋・晋・楚・越・鄭の「世家」があります。また、『史記・十二諸侯年表』は周・魯・斉・晋・秦・楚・宋・衛・陳・蔡・曹・鄭・燕・呉の年表となっています(十四国ありますが、周と秦は『本紀』に書かれる国なので、諸侯には数えません。よって十二諸侯になります)。
資治通鑑外紀目録』には『史記・十二諸侯年表』の十四国の他に杞と越(越は呉の年表に附記)が加えられています。
十八史略』は春秋の列国をこう紹介しています「周と同姓(姫姓)の国は魯・衛・晋・鄭・曹・蔡・燕・呉、周と異姓の国は斉・宋・陳・楚・秦である。これらは春秋時代の大国である。小国で『春秋』に記録されている杞・許・滕・薛・邾・莒・江・黄等については、いちいち述べることはできない。」
 
歴代の史書が主要国として扱っているのはほぼ共通しています。『史記・十二諸侯年表』に記載されている周・秦および魯・斉・晋・楚・宋・衛・陳・蔡・曹・鄭・燕・呉の計十四国です。
この通史でも上述の国々が中心になります。
 
 
中国地図出版社『中国歴史地図集(第一冊)』を元に地図を作りました。
青字は現在の地名です。
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長くなるので目録も三回に分けます。