春秋時代 管仲の政治(二)

今回も管仲の政治に関する記述を紹介します。
 
『管子・大匡』から。
桓公管仲に言いました「軍備を強化してくれ。我が兵は訓練が足らず、充実していない。だから侯は我が国の敵を援けようとする。国内の軍備を整える必要がある。」
管仲が言いました「それでは斉国を危うくします。国内で民が必要とする物を奪い、士に勇猛を勧めるのは、国外の乱を招く原因になります。また、国外で諸侯を侵せば民の怨みが大きくなります。その結果、義士が斉国に集まらなくなり、国を危うくします。」
叔が桓公に「公は夷吾の言を用いるべきです」と言いましたが、桓公は聞かず、軍備の強化を始めました。関市の税を増やして軍備の費用とし、勇猛かどうかを俸禄の基準とします。
叔が管仲に言いました「かつて公は汝に覇業を約束したが、今はますます国が乱れている。どうするつもりだ?」
管仲が言いました「我が君は性急だが、後悔することを知っている。暫く様子を見て公自身に気付かせよう。」
鮑叔が言いました「公が気づく前に国が亡ぶのではないか。」
管仲が答えました「国内の政治は私が陰で行っている。混乱があったとしても修正はできる。国外の諸侯を補佐する者にも、我々二人に及ぶ者はいないから、すぐに我が国を侵すことはない。」
一年後、斉の朝廷では俸禄を争うために勇猛な姿を見せて人を殺す者も現れました。
叔が管仲に言いました「国内の死者が増えている。これは大きな害ではないか。」
管仲が言いました「彼等は俸禄を争う貪民だ。気にすることはない。私が心配するのは諸侯の義者が斉に来ようとせず、斉の義者が出仕しようとしないことだ。最近殺されたような者達を私が惜しむことはない。」
 
 
『国語・斉語』から。
正月初一日の朝、各地の郷長が状況を報告しました。桓公が聞きました「汝等の郷で、普段から好学で、父母に対して慈孝で、聡明仁恵かつ名声がある者がいたら報告せよ。もしこのような人材がいながら報告しなかったら、それは賢才を埋没させることになるので五刑に処す。」
またこう命じました「汝等の郷で、群を抜いて勇敢壮健な者がいたら報告せよ。もしこのような人材がいながら報告しなかったら、それは賢才を埋没させることになるので五刑に処す。」
最後にこう言いました「汝等の郷で父母に対して慈孝ではなく、兄弟と和すこともなく、驕慢淫暴で命令に服さない者がいたら報告せよ。もしこのような者がいるのに報告しなかったら、悪を庇護していることになるので五刑に処す。」
郷長は各地に帰ってから進んで賢人を推挙するようになり、桓公は自らそれらの人材に会って官を与えました
 
桓公は各部門の官長(長官)に命じ、毎年功績があった部下を報告させ、その中から官員を選抜することにしました。桓公自ら選抜された者に会い、実際に会話をして素質を確認し、問題ないと判断してから高い官位を与えます。
桓公は彼等に国家の憂いとなることを質問し、答えられない場合は郷に関する質問をしました。能力があると判断された者は上卿の賛(助手)に抜擢されました。
郷の推挙、官長の選抜と桓公自らの面接によって高官が選ばれたため、この制度は「三選」とよばれました。
 
国子と高子は郷の政治を正し、郷長は連を正し、連長は里を正し、里長は軌を正し、軌長は伍を正し、伍は各家を治めたため、才能があれば誰でも推挙され、悪事を行う者は必ず罰を受けるようになりました。
政令が定まってからは、郷の中では長幼の序を侵す者なく、朝廷では爵位を超えて越権する者なく、徳行のない男は伍に入れず、徳行のない女は結婚ができなくなりました。こうして民は善行に努めるようになりました。
 
 
『国語・斉語』から。
桓公管仲に言いました「伍鄙(郊外の五つの地域)はどう治めるべきか?」
管仲が答えました「土地の善し悪しによって税を定めれば、民が移住することはありません。政令が親族や知人に対して特殊にならなければ、民が怠けることはありません。山沢を時節に応じて開放したり封鎖すれば、民が好き勝手に資源を採ることがなくなります。平地や丘陵、井戸、田地が平等に配分されれば、民が怨むことはありません。政策が民の農時に影響を与えなければ百姓が富みます。祭祀で用いる犧牲が度を越さなければ牛羊を繁殖させることができます。」
 
桓公が聞きました「どうすれば辺境の民が住む場所を定めることができるか?」
管仲が答えました「鄙(辺境の邑)を制定します。三十家を一邑とし、邑には司を置きます。十邑を一卒とし、卒には卒帥を置きます。十卒を一郷とし、郷には郷帥を置きます。三郷を県とし、県には県帥を置きます。十県を属とし、属には大夫を置きます。全国に五属を作り、五大夫を置いてそれぞれに一属を治めさせます。また、五正(五人の長官)を設けてそれぞれに一属の政治を観察させます。五正が属の政治を監視し、牧(五属の大夫)が県の政治を監視し、県が郷の政治を監視します。」
桓公は同意し、五正・五大夫を任命して言いました「それぞれ自分が管轄する場所を責任もって治めよ。放蕩怠慢によって政治を疎かにしてはならない。
 
正月初一日の朝、五属の大夫が報告しました。桓公は成績が最も劣る者を譴責して言いました「与えられた土地も民も平等なのに、なぜ一人だけ功が劣るのだ。教化に問題があれば政治はうまくできない。一度や二度なら赦すことができるが、三回目は赦すわけにはいかない。」
桓公は各地の郷長に要求したように、五属大夫にも賢人、勇者を推挙させ、素行の悪い者を報告させました。
 
五属大夫は還ってから属の政治を正し、属は県の政治を正し、県は郷の政治を正し、郷は卒の政治を正し、卒は邑の政治を正し、邑は各家を治めました。こうして人々の行いは正しくなり、兵は勇敢で国境が堅固になりました。
 
 
『管子・海王(第七十二)から。
桓公管仲に聞きました「家屋に税をかけたいと思うがどうだ?」
管仲が答えました「民に家屋を破壊させることになります」
桓公また聞きました「樹木に税をかけるのはどうだ?」
管仲が答えました「幼木を伐採させることになります。」
桓公「六畜(家畜)に税をかけるのはどうだ?」
管仲「幼い家畜を殺させることになります。」
桓公「人に税をかけるのはどうだ?」
管仲「人の情欲を失わせることになります(子供が増えなくなります)。」
桓公「ならばどうすればいいのだ?」
管仲「山海を官営にするのなら問題ありません。」
桓公がその理由を聞くと、管仲が言いました「海の資源で王業を成す国は塩策を行うものです。」
 
策とは塩の専売制度です。管仲が説明しました「十口の家は十人が塩を食べ、百口の家は百人が塩を食べます。一月で大男(成人男性)は五升半に近い塩を、大女は三升半に近い塩を、子供は二升半に近い塩を食べます。塩百升を一釜と言いますが、塩の値段を一升ごとに半銭増やして税とすれば一釜から五十銭が生まれます。同じように一銭を増やせば一釜で百銭、二銭を増やせば一釜で二百銭になります。十釜で一鐘なので、一釜が二百銭なら一鐘で二千銭、十鐘で二万銭、百鐘で二十万銭、千鐘で二百万銭になります。万乗の大国は成人子供を含んで千万以上の人口を擁します。これらを元に考えたら、一日で二百万銭、一月で六千万銭の収入になります(どういう計算で六千万銭になるのかは分かりません)。通常、万乗の国で納税の義務を負う人口は九百万です。一人当たり一月の税を三十銭としたら、総額は三千万銭になります。しかし塩策を行えば成人にも子供にも直接税をかけることなく、大国二つ分の税収である六千万銭を得ることができます。民に直接税をかけるという政令を出したら必ず反対されますが、塩策なら百倍の利益をもたらし、民はそれを避けることができません。」
 
管仲は鉄に対しても税をかけることを進言しました「女性は皆、針と刀(庖丁)を持ち、耕者(農民)は皆、犂や鍬等の農具を持ち、車を作る者は斧や鋸等の工具を持っています。これらがないのに自分の職を全うすることができる者はいません。そこで一針ごとに一銭の税をかければ、三十針で一人が一月で納める税と同額になります。刀は一つにつき六銭とすれば、五刀で一人分になります。農具やその他の鉄器にも軽重にあわせて税をかければ、人々が職を行うためには必ず税を納めなければならなくなります。」
 
桓公が聞きました「山海がない国が王業を行う場合はどうするのだ?」
管仲が言いました「他国の山海の資源を借りることができます。塩を生産する国から一釜十五銭で買い取り、官から民に売る時には百銭にすれば、自分で生産していなくても他国の成果を利用して利益を得ることができます。」



次回で「管仲の政治」は終わります。