春秋時代 覇者 斉桓公(二)

今回も斉桓公に関する記述を紹介します。前回の続きです。

覇者 斉桓公(一)

 

まずは「麦丘邑人」の故事です。
『韓詩外伝(第十)』『新序 雑事四』等に収録されています。ここでは『新序』の内容を書きます。
桓公が狩猟をして麦丘に来た時、老人に会いました。桓公が問いました「汝は何者だ?」
老人が答えました「麦丘の邑人(村人)です。」
桓公が「今年いくつになる?」と聞くと、老人は「八十三です」と答えました。
桓公が言いました「すばらしい。汝の長寿によって寡人(私)に祝祷をくれないか。」
老人が言いました「主君に祝祷を贈ります。主君が万寿であること、金玉は価値が低くなり、人こそが宝となることを祈ります。」
桓公が言いました「すばらしい。しかし至徳とは単独ではない。善言は繰り返されるものだ。もう一度、祝祷を贈ってほしい。」
老人が言いました「主君に祝祷を贈ります。主君が下の者に教えを請うことを恥とせず、賢者が近くに居り、諫者が用いられることを祈ります。」
桓公が言いました「すばらしい。しかし至徳は単独ではなく、善言は必ず三回続くという。もう一度、祝祷を贈ってほしい。」
老人が言いました「主君に祝祷を贈ります。主君が群臣百姓の罪を得ないことを祈ります。」
桓公が突然顔色を険しくして言いました「子が父の罪を得たり臣が国君の罪を得るというのは聞いたことがあるが、国君が臣下の罪を得るとは聞いたことがない。この一言は前の二言に大きく劣る。言いなおせ。」
老人は坐して拝礼してから立ち上がって言いました「この一言は前の二言よりも優れています。子が父の罪を得ても姑姉(父の姉)や叔父に助けを求め、父の赦しを得ることができます。臣下が国君の罪を得ても、国君の近臣に謝って助けを求めれば国君の赦しを得ることができます。しかし昔、夏桀は成湯の罪を得て、殷紂も武王の罪を得ました。これは国君が臣下の罪を得たという状況です。国君は援けを求めることができず、夏桀と殷紂は今になっても赦しを得ていません。」
桓公が言いました「すばらしい。国家の福と社稷の霊によって、寡人はここで汝に会うことができた。」
桓公は老人を抱きかかえて馬車に乗せ、自ら馬を御して帰還しました。
朝廷に戻った桓公は礼によって老人を遇し、麦丘の地を封じてその地方の政治を委ねました。
 
 
次も新序 雑事四』から、桓公が外出した時の故事です。
桓公が郊外に巡遊した時、故城を見つけました。桓公野人(城外の民)に「これは何の廃墟だ?」と聞くと、野人は「郭氏の墟です」と答えました。
桓公が問いました「郭氏はなぜ廃墟となったのだ?」
野人が答えました「郭氏は善人に対しては善くし、悪人に対しては悪くしたからです(善善而悪悪)。」
桓公が言いました「善人に対して善くし悪人に対して悪くするのは、善行ではないか。なぜ廃墟になるのだ?」
野人が言いました「郭氏は善人に対して善く遇しましたが、用いることができませんでした。また、悪人を嫌って悪い待遇をしましたが、遠ざけることができませんでした。だから廃墟になったのです。」
桓公は宮城に還ってから管仲にこの話をしました。
管仲が聞きました「彼は何者ですか?」
桓公が答えました「わからない。」
管仲が言いました「あなたもまた、一人の郭氏です。」
桓公は過ちを覚り、すぐに野人を招いて賞賜を与えました。
 
 
郭君に関して『韓詩外伝 第六』に記述があります。
昔、郭国が滅んだため郭君が出奔しました。逃走中に御者に言いました「のどが渇いた。何か飲みたい。」
御者は清酒を出しました。
郭君が言いました「腹が減った。何か食べたい。」
御者は乾脯・粱糗(干肉や干した穀物を出しました。
郭君が「誰が準備したのだ?」と聞くと、御者は「臣が準備しておいたのです」と答えます。
郭君が聞きました「なぜ準備をしたのだ?」
御者が答えました「主君が出奔した時、道中で飢渇すると思ったからです。」
郭君が「汝は国が滅ぶと知っていたのか?」と聞くと、御者は「はい」と答えました。
郭君が聞きました「滅ぶと知っていてなぜ諫めなかったのだ?」
御者が言いました「主君は阿諛を好み、至言を嫌っていました。もし臣が諫言していたら、郭国よりも先に臣が亡んでいたでしょう。だから諫めなかったのです。」
郭君は顔色を変えて怒りました。
郭君がまた言いました「わしが出奔しなければならなくなった根本の原因は何だ?」
御者は本音を隠してこう言いました「主君が出奔することになったのは、賢明すぎたからです。」
郭君が聞きました「賢者は存続するものではないか。なぜ滅んだのだ?」
御者が言いました「天下には賢者がなく、主君一人が賢者だったので、国が滅び亡命することになったのです。」
喜んだ郭君は車軾(車前の手すり)を触りながら笑って言いました「賢人とはこのように苦しいものなのか!」
暫くして疲労した郭君は御者に膝枕をさせて眠りに就きました。御者は持ち物を膝の代わりに枕として、逃走しました。
郭君は荒野で死に、死体は虎狼に食べられてしまいました。
 
 
桓公の記述に戻ります。
 
『管子・大匡(第十八)から
管仲桓公に言いました「諸侯に命じて民のために食糧を蓄えさせるべきです。諸侯の軍備が足りない場合は、我が国が援けるべきです。こうすれば諸侯に政令を施行することができます。」
桓公はこれに従い諸侯に命じました「三年分の食糧を蓄えること。余力があったら軍を整え、兵器に不足があったら斉に報告すること。斉は兵を発して軍備が足りない国を援けることを約束する。」
 
 
『管子・小問(第五十一)から
ある客が桓公に謁見し、大官と千鐘(巨額)の禄を求めました。桓公管仲に意見を聞くと、管仲は「与えるべきです」と言いました。
しかし客は「必要なくなりました。仕官は止めます」と言いました。
桓公がその理由を問うと、客はこう答えました「人の意見に左右されて人材を用いる者は、人材を除く時も人の意見に左右されると言います。だから仕える気がなくなりました。」
 
 
呂氏春秋・審応覧(第六)から
桓公が諸侯を集めた時、衛が遅れて来ました。
斉国に帰った桓公は朝廷で管仲と衛討伐を計画します。桓公が朝廷から宮中に帰ると、その姿を見た衛姫桓公の妻。衛の公女)が堂を降りて桓公に再拝し、衛君の罪を赦すように請いました。
桓公が言いました「わしと衛の間には何もない。汝はなぜ赦しを請うのだ。」
衛姫が言いました「妾(私)は主君が入って来る時、足が高く気が強い姿を見ました。これはどこかの国を討伐するつもりだからです。また、主君は妾を見た後、顔色が変わりました。これは衛を討とうとしているからです。」
翌日、桓公が朝廷で管仲に揖礼して話しかけようとしました。すると管仲が先に言いました「衛討伐は中止ですか。」
桓公が聞きました「仲父はなぜわかったのだ。」
管仲が答えました「主君の揖礼は恭しく、言葉がなかなか出ず、臣を見たら慙愧の色を浮かべました。だから分かったのです。」
桓公が言いました「仲父が外を治め、夫人が内を治めれば、寡人(私)が諸侯に笑われることはないだろう。」