春秋時代第三期に入る前に

今回から春秋時代第三期に入ります。
対象になるのは
景王・敬王 紀元前544477
の約六十五年間です。
 
 
第三期概略
春秋時代が始まって二百三十年近くが経ちました。
第一期では斉桓公と晋文公が覇者になり、第二期では南方の楚が中原の晋と覇権をかけて争いました。しかし宋を中心とした中小諸国は常に大国の衝突の犠牲になっており、和平の動きが生まれたため、第二期の最後には宋の向戌によって弭兵(休戦)が成立しました。その後、晋楚間での大きな戦争はなくなり、中原の覇権を争う時代は終息を迎えます。
 
元々、周王の権威が失墜して各地の諸侯が攻伐・併吞を繰り返すようになったため、春秋時代が始まりました。しかし第三期では、諸侯(各国の公室)の力が衰退して卿大夫が国を動かすようになっていきます。
代表は晋です。
晋は覇者・文公の時代から士氏や趙氏といった優秀な重臣が政治を行ってきましたが、第三期になると六卿(智氏・趙氏・韓氏・魏氏・中行氏・范氏)の勢力が公室をしのぎ、完全に政権を掌握します。
しかし東周敬王の時代に中行氏と士氏が滅ぼされ、四卿が政治を行うようになりました。
春秋時代が終わり戦国時代に入ると、更に智氏が滅ぼされ、残った趙氏、韓氏、魏氏が公室も滅ぼして晋国を三分することになります。
 
魯でも公室の権威が失われ、三桓(季孫氏・叔孫氏・孟孫氏)が専横するようになりました。更には三桓に仕えていた陽虎等も権勢を握って三桓に対する乱を起こし、魯の政治は混乱状態に陥ります。一時は孔子によって公室の権力を回復する動きも生まれましたが、結局失敗に終わりました。
 
斉では第二期で崔杼が荘公を殺し、崔氏と慶氏が政治を行うようになりましたが、崔杼の一族は慶氏に滅ぼされ、政権を独占した慶封も国を逐われることになりました。その結果、陳氏(田氏)が権力を拡大していきます。
第三期では晏子(晏嬰)が景公を助けて公室の凋落を防ぎますが、晏子と景王の死後、田氏による専横はますます激しくなり、戦国時代に入ると、太公・呂尚によって建国された姜姓の斉は陳氏の斉(「田斉」といいます)に乗っ取られることになります。
 
晋・魯・斉等の中原諸国で政情に変化が現れた頃、楚は東南の新興国・呉の対応に悩むことになります。
呉は寿夢の時代から急速に国力を充実させました。呉王・僚を殺して即位した闔廬(闔閭)は楚都・郢にまで侵攻し、大国楚の国王が出奔するという事態を招きます。東周敬王十四年(506)のことです。
しかし新興国は呉だけではありません。呉に隣接する越も強大になり、呉と対立するようになりました。
 
東周敬王二十四年(496)、越君・允常が死んだ隙を衝いて呉王・闔廬が越を攻めましたが、負傷して死んでしまいました。
跡を継いだ呉王・夫差は復讐を決意し、越を攻撃して越王・句践を会稽山に追いつめました。しかし句践が呉に帰順したため、夫差は越を完全に滅ぼさず和平に同意します。
亡国の難を逃れた句践が今度は呉への復讐を決意しました。
越が復讐の準備を進めていることには思いもよらない呉王・夫差は、楚と越に勝った自信から中原の覇権を求めるようになり、北上を開始しました。まず斉を破り、晋と会盟します。
ところが越がその隙を襲いました。呉は急速に衰えて戦国時代初期に滅亡することになります。
 
このように第三期は第二期までの「覇者の時代」「晋楚対立の時代」とは異なり、中原では主要国の国内に変化が現れ、南方では呉・越が台頭して呉楚・呉越が戦う時代になります。
また、第三期は晋の叔向、鄭の子産、斉の晏嬰といった名宰相が輩出された時代でもあります。魯の孔子も第三期に活躍します。
 
 
以下、第三期の主要国(周を除いた十三国)の国君をまとめます。
:景公・哀公・恵公・悼公
:襄公・昭公・定公・哀公
:景公・晏孺子・悼公・簡公・平公
:平公・昭公・頃公・定公
:郟敖・霊王・平王・昭王・恵王
:平公・元公・景公
:献公(後)・襄公・霊公・出公・荘公・君起(廃公)
:哀公・恵公・懐公・湣公
:景侯・霊侯・侯廬・悼侯・昭侯・成侯
:武公・平公・悼公・襄公・隠公・靖公・伯陽(廃公)
:簡公・定公・献公・声公
:恵公・悼公・共公・平公・簡公・献公
:餘祭・餘昧・王僚・闔廬・夫差
(『史記・十二諸侯年表』を参考にしました)
 
 
 
参考書籍
第三期も今までと同じく、編年体史書『春秋左氏伝』が主な資料となります。また、『資治通鑑外紀』が『国語』から多くの内容を引用しているため、『春秋左氏伝』と併せて『国語』も意訳していきます。
その他、『史記』の「本紀(周本紀・秦本紀)」、『竹書紀年』(古本・今本)、『帝王世紀』『資治通鑑外紀』『資治通鑑前編』『十八史略』の記述も載せていきますが、特別な場合を除いて書名はいちいち紹介しません。
それぞれの書籍に関してはこちらを参考にしてください。
文献紹介

また、文中の干支(甲子、乙丑、丙寅等)の後ろにつけた日付、例えば「乙亥(十二日)」等は楊伯峻の『春秋左伝注』を参考にしています。 
 

楚呉越の地図です。『中国歴史年表(第一冊)』を元にしました。
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次回から東周景王の時代です。



第一期と第二期の目録はこちらです。