春秋時代235 東周敬王(四) 鄭の子太叔 前517年(1)

今回は東周敬王三年です。三回に分けます。
 
敬王三年
517年 甲申
 
[] 春、魯の叔孫昭子)宋に聘問に行きました。
叔孫が楽大心と会談しました。楽大心は右師の官に就き、桐門(宋城北門)に住んでいたため、桐門右師ともよばれています。
楽大心は宋の大夫を侮り、司城氏を軽視していました。司城氏というのは楽氏の大宗です。かつて楽喜が司城を勤め、この時は楽喜の孫・楽祁が継いでいます。楽大心は楽祁と対立していました。
 
会談を終えた叔孫が部下に言いました「右師は亡命することになるだろう。君子は自分の身を貴び、それを他の人にも及ぼすから礼が生まれる。今、夫子(彼。楽大心)(他国の使者である私の前で)自分の大夫を侮り大宗を軽視する言を述べた。これは自分の身を賎しめるのと同じなので、礼を守ることはできない。礼がなければ必ず亡ぶ。」
 
宋元公が叔孫のために享(宴の一種)を開き、『新宮』を賦しました。『新宮』は『詩経・小雅』に収録されていたようですが、今は伝わっていません。
叔孫は『車轄(車舝。詩経・小雅)』を賦しました。周人が賢女を求める詩とされています。叔孫は季孫氏のために宋から新婦を迎え入れるという任務があったため(後述)、この詩を賦しました。
 
明日、宴が開かれました。「享」は立ったままの形式的な宴で、「宴」は坐って行う酒宴です。
酒がまわって楽しくなった時、宋元公は叔孫を自分の席の右に招いてき談笑しました。しかし暫くすると二人は泣き始めます。
宴礼の補佐をしていた楽祁が退席して知人に言いました「本年、主公と叔孫は死ぬだろう。『哀しい時に楽しみ、楽しい時に悲しむのは、どちらも心を失っているからだ(哀楽而楽樂哀,皆喪心也)』という。精爽(精明)な心を魂魄というが、それが去ったのに長く生きることはできない。」
 
以前、季公若(魯の季公亥。季武子・宿の子)の同母姉が小邾夫人となり、宋元夫人(宋元公の夫人。曹氏)を産みました。宋元夫人は娘を産み、今回、その娘が季孫意如(季平子)に嫁ぐことになりました。
叔孫が宋に聘問したのは、季孫意如のために宋女を迎えることが目的です。しかし叔孫に同行していた季公若が曹氏(宋元夫人)に婚姻を破棄するよう勧めました。魯君が季孫意如を駆逐しようとしていたためです。
曹氏がこれを元公に伝えると、元公は楽祁に相談しました。楽祁が言いました「与えるべきです(宋女を嫁がせるべきです)。もしそのようなら(本当に魯君が季孫氏を放逐しようとしているのなら)、逆に魯君が国を出ることになるでしょう。魯国の政は季氏三世(季文子・行父、季武子・宿、季平子・意如)にあり、魯君は四公(宣公、成公、襄公、昭公)に渡って政を失っています。民がいないのに志を満足できる者は存在しません。だから国君は民を鎮撫する必要があるのです。『詩(大雅・瞻卬)』にこうあります『人を失うことが心の憂いとなる(人之云亡,心之憂矣)。』魯君は民を失っているので、志を満足させることはできません。静かに命(天命)を待つのならまだ大丈夫でしょう。しかし動いたら必ず憂いを招きます。」
 
[] 当時の晋は六卿とよばれる六家の卿が大きな力を持っていました。そのうちの趙氏は趙成(趙景子。趙景叔。趙武の子)が死に、趙鞅(趙簡子)の代になっています。
 
夏、晋の趙鞅、魯の叔詣(または「叔倪」)、宋の楽大心(または「楽世心」)、衛の北宮喜、鄭の游吉および曹人、邾人、滕人、薛人、小邾人が黄父で会しました。周王室の安定を謀るためです。
趙鞅が諸侯の大夫に粟(食糧)と戍人(敬王を守る将士)の提供を要求し、「明年、王を納める」と宣言しました。
 
鄭の子太叔(子大叔)が趙鞅に会いました。
趙鞅が揖讓(主賓と賓客が会った時の礼義作法)と周旋(交際時の礼義作法)の礼について問うと、子太叔が言いました「それは儀であり、礼ではありません。」
趙鞅が聞きました「それでは、何を礼というのでしょうか。」
子太叔が答えました「先大夫・子産はかつてこう言いました『礼とは天の経(規範)であり、地の義(準則)であり、民の行(行動の根拠)である。』民は天地の経に則り、天の明(英明)と地の性(本性。高低や柔軟等の特徴)に基づいて六気(陰陽・風雨・明暗)が生まれ、五行(金・木・水・火・土)が用いられます。気は五味(酸・鹹・辛・苦・甘)を作り、五色(青・黄・赤・白・黒)を発し、五声(五音。宮・商・角・徴・羽)を明らかにします。これら(味・色・音)が度を過ぎたら昏乱し、民はその性(本性)を損ないます。だから礼によって性を守らせるのです。六畜(家畜。馬・牛・羊・鶏・犬・豚)、五牲(通常の祭祀の犠牲。牛・羊・豚・犬・鶏)、三犧(天地・宗廟の祭祀で用いる犠牲。牛・羊・豚)によって五味を正し、九文(後述)・六采(天地・四方の色。青と白。赤と黒。玄と黄。玄は少し赤が混ざった黒)・五章(五色で作られた模様。青と赤の模様を「文」、赤と白の模様を「章」、白と黒の模様を「黼」、黒と青の模様を「黻」、五色全て使った模様を「繍」といいます)によって五色の規範を定め、九歌・八風・七音・六律(東周景王二十三年・前522年参照)によって五声を制御します。君臣上下の関係は地の義に則り、夫婦外内(外内も夫婦の意味です)の関係は二物(陰陽。剛柔)を経(法則)とし、父子・兄弟・姑姉(父の姉妹と自分の姉妹。家族の中で他姓に嫁ぐ者)・甥舅(舅は母の兄弟の意味)・昏媾姻亜(婚姻関係)天明(天の英明)を象(模範)とし、政事・庸力(農工)・行務(日常の政務や一時的措置)は四時(四季)に従い、刑罰・威獄(牢獄)によって民を畏忌させるには震曜雷電の殺戮を真似し、温和慈愛は天が万物を産み育てる姿に倣うものです。民に好悪・喜怒・哀楽があるので、六気(陰陽・風雨・明暗の気)が生まれます。だから慎重に類似する事象に則って、六志(好悪・喜怒・哀楽)を制約しなければなりません(礼によって六志が度を越えないようにしなければなりません)。哀ならば哭泣し、楽ならば歌舞し、喜ならば施舍し、怒ならば戦います。喜は好(好むこと)から生まれ、怒は悪(嫌うこと)から生まれます。だから行動を慎重にし、命令には信があり、禍福によって賞罰を行い、死生を制約しなければなりません。生は好物(好まれるもの)です。死は悪物(憎まれるもの)です。好物は楽となり、悪物は哀となります。哀楽が礼を失わなければ、天地の性を協調させて長久を得ることができます。」
 
子太叔の話に出てきた「九文」というのは九種類の模様で、龍・山・華蟲(花草や蟲)宗彝(虎と蜼。蜼は尾長猿・藻水草・火・粉米(白米)(斧の形のような模様)・黻(弓を背中合わせにしたような形の模様)を指します。それぞれ衣服や旗等に描かれました。
 
趙鞅が感心して言いました「礼とはなんと偉大なのだろう。」
子太叔が言いました「礼とは上下の紀(綱紀)であり、天地の経緯(準則)でもあるので、民はそれを生存の依拠とし、先王も最も尊重しました。だから自分を曲げて礼に近づくことができる人を『成人』といいます。礼が偉大であるのは当然のことでしょう。」
趙鞅が言いました「私は終身この言を守ろうと思う。」
 
宋の楽大心が晋に伝えました「我々には粟(食糧)を提供するつもりがありません。宋は周の客です(宋は商王朝の後裔の国で、周王室は賓客として遇してきました)。なぜ客に指示をするのですか。」
晋の士彌牟(士景伯。士伯)が言いました「践土の会(東周襄王二十一年。前632年)以来、宋が役に参加せず、盟を結ばなかったことがありますか。盟約では『王室のために共に心を尽くす』と約束しましたが、子(あなた)はそこから逃げようというのですか。子は君命を奉じて大事(諸侯の会。王室を助けること)に参加しました。それなのに宋が盟に背いていいと思うのですか。」
楽大心は答えることができず、牒(命令が書かれた簡札)を受け取って退出しました。
士彌牟が趙鞅に言いました「宋の右師(楽大心)は必ず亡命することになります。君命を奉じて使者になりながら、盟約に背いて盟主に干渉しようとしました。これよりも不祥なことはありません。」
 
[] 魯に鸜鵒が飛んできて巣を作りました(『史記・十二諸侯年表』は前年の事としていますが、恐らく誤りです。『魯周公世家』と『春秋左氏伝』は本年に書いています。但し、『春秋左氏伝』は「夏」ですが、『魯周公世家』では「春」です。ここは『春秋左氏伝』の記述に従っています)
「鸜鵒」は「八哥」ともいい、本来は南方の鳥で、魯に巣を作るのは始めての事だったようです。
魯の大夫・師己が言いました「不思議なことだ。文公・成公(魯の文公・宣公・成公の時代)の時にこういう童謡が歌われたという『鸜よ、鵒よ。公が国を出て辱めを受ける。鸜鵒の羽が育つ時、公は郊外に居て、臣下が馬を届ける。鸜鵒が飛び跳ねる時、公は乾侯(晋邑)に居て、人に衣服を求める。鸜鵒の巣ができる時、遥か遠くで裯父(魯昭公の名)が労して死に、宋父(魯定公)が驕る。鸜鵒よ、鸜鵒よ。去る時(魯昭公が国を出る時)は歌い、来る時(魯昭公が死んで遺体が還る時)は哭く(鸜之鵒之,公出辱之。鸜鵒之羽,公在外野,往饋之馬。鸜鵒跦跦,公在乾侯,徴褰与襦。鸜鵒之巣,遠哉遙遙,裯父喪労,宋父以驕。鸜鵒鸜鵒,往歌来哭)』このような童謡があるのだから、今回、鸜鵒が飛んできて巣を作ったのは、禍が及ぶ前兆かもしれない。」
 
史記・魯周公世家』は童謡を簡単に書いています。以下、『史記』の記述です。
鸜鵒が魯に飛んで来て巣を作りました。師己がこう言いました「文成の時代に童謡があった。『鸜鵒が来て巣を作る。公は乾侯にいる。鸜鵒が入って住みつく。公は外野にいる鸜鵒来巣,公在乾侯。鸜鵒入,公在外野という内容だ。」
 
 
 
次回に続きます。