春秋時代 刺客・要離

本編で呉の刺客・要離が登場しました。
資治通鑑外記』が『呂氏春秋』『呉越春秋』を元に要離の故事を紹介していいます。
以下、『呂氏春秋・仲冬紀』と『呉越春秋・闔閭内伝(第四)』の内容です。
まずは『呂氏春秋・仲冬紀』です。
 
呉王・闔廬は王・僚の子・慶忌を殺したいと思っていましたが、手が出せませんでした。闔廬が慶忌の存在を憂いていると、要離が言いました「臣ならできます。」
闔廬が言いました「汝に何ができるか。かつてわしは六頭の馬が引く車で江上(長江の辺)まで彼を追ったが、追いつけなかった。また、彼に矢を射ても(次の「左右満把」の意味がわかりません)、射止めることができなかった。汝は剣を抜いても腕を挙げることができず、車に乗っても軾(馬車の前にある横木)を掴んでいることができない。そのような汝に何ができるのだ。」
要離が言いました「士は勇が無いことを憂いるのであり、成功しないことを憂いるのではありません。王の助けがあれば、臣は必ず成功させることができます。」
闔廬は要離の説得に同意しました。
 
翌日、闔廬は要離に罪を着せて妻子を捕えました。妻子は処刑されます。闔廬は死体を焼いて灰を撒き捨てました。
要離は逃走して王子・慶忌がいる衛に入ります。
慶忌が喜んで言いました「呉王の無道は子(汝)も見た通りであり、諸侯も知っている。子が禍から逃れ、彼から去ることができて善かった。」
要離は慶忌と一緒に住むようになりました。
 
暫くして、要離が慶忌に言いました「呉の無道はますますひどくなっています。王子と共にその国を奪いに行きたいと思います。」
慶忌は「善し」と答えると、要離と共に長江を渡りました。
しかし、一行が長江の中腹に来た時、要離が突然剣を抜いて慶忌を刺しました。
慶忌は要離の頭をつかむと長江に投げ入れ、浮かび上がった要離を捕まえてまた投げ入れます。これを三回繰り返しましたが、慶忌の傷も重く、死が迫りました。
慶忌が死ぬ間際に言いました「汝は天下の国士だ。汝に幸を与えて名を成させてやろう。」
要離は殺されず、呉都に帰りました。
 
闔廬は大喜びして要離に国を分けようとします。しかし要離はこう言いました「いけません。臣に死を下賜してください。」
闔廬が拒否すると、要離が言いました「妻子を殺し、それを焼いて灰を撒いたのは、事を成功させるためとはいえ、臣にとっては不仁なことです。故主(旧主。闔廬のために新主(慶忌)を殺したのは、臣にとっては不義なことです。頭をつかまれて江に浮かばされ、三回水の中へ沈められたのに今でも活きているのは、王子・慶忌が命を助けたからにすぎず、臣にとっては辱(恥辱)なことです。不仁不義であり、更に辱を受けたのですから、活きてはいられません。」
闔廬は止めることができず、要離は剣に伏して死にました。
 
 
次は『呉越春秋・闔閭内伝(第四)』からです。長いので簡訳します(難しい言い回しは省略します)
闔閭は呉王・僚を殺しましたが、慶忌が隣国にいるため、諸侯を糾合して討伐しに来るのではないかと恐れていました。そこで伍子胥に問いました「かつて専諸は寡人に厚く遇された。今、公子・慶忌が諸侯と謀っていると聞き、わしは食事をしても甘味を感じず(美味しいとは思えず)、寝ても安心できない。よって子(汝)に委ねようと思う(専諸がいない今、伍子胥しか頼る者がいない)。」
伍子胥が言いました「臣は不忠な事は行いません。大王と共に私室の中で王僚を図り(闔閭の屋敷で王僚を殺し)、今またその子を討つというのは、恐らく皇天の意志に合わないでしょう。」
闔閭が言いました「昔、武王は紂を討伐してから武庚を殺したが、周人には怨色が無かった。今それに従ったとして、なぜ天意に背くことになるのだ?」
伍子胥が言いました「臣が君王に仕えることで呉が統治できるのなら、恐れることはありません。臣には厚く遇している細人(身分が低い者。庶民)がいます。彼と謀るべきです。」
闔閭が言いました「わしが心配しているのは万人の力に匹敵する相手だ。細人と謀ることができるか?」
伍子胥が言いました「その細人と謀れば、万人の力を得ることができます。」
闔閭が「それは誰だ?」と問うと、伍子胥が言いました「姓は要、名は離といいます。かつて臣は彼が士・椒丘欣を辱めるのを見ました。」
闔閭が問いました「どのような事があったのだ?」
伍子胥が語りました「椒丘欣は東海沿岸の人です。斉王の使者として呉に来て淮津(淮水の船着き場)で馬に水を飲ませていると、津吏がこう言いました『水中に神がおり、馬を見たら姿を現して馬を害しています。』
椒丘欣が言いました『ここに壮士が居るのだ。どの神がわしの馬を害すというのだ。』
椒丘欣が従者に命じて馬に水を飲ませていると、果たして水神が現れて馬を奪いました。激怒した椒丘欣は上衣を脱いで剣を持ち、水に入って水神に戦いを挑みます。数日後、やっと戻った椒丘欣は片目を失っていました。
椒丘欣が呉に入った時、友人の葬儀がありました。椒丘欣は葬儀に参加しましたが、自分の武勇を誇っているため、呉の士大夫を軽視し、言動に無礼がありました。そこで要離が椒丘欣の前に坐って言いました「勇士の戦いとは、日と戦ったら表(時)を移さず、神鬼と戦ったら踵を返すことがなく、人と戦ったら名声を裏切ることなく(または「名を隠すことなく。」原文「不違声」)、生きて戦いに挑んだら、死んで還ったとしても恥辱を受けることはない(命を落としたとしても逃げ帰ることはない)という。しかし(あなた)は神と水中で戦った結果、馬を奪われ御者を失い、しかも目まで損なった。形を失いながら勇を名乗るとは、勇士が恥とすることだ。しかも敵と戦いながら死ぬことなく命を惜しんだのに、我々に自慢するのか。」
椒丘欣は返す言葉が無く、怒りと憎しみで要離を撃とうとしました。要離はすぐに退席して家に帰り、妻に言いました『私は勇士・椒丘欣を大家の喪の席で辱めた。彼の怒りは収まっていないから、夜になったら必ず私を襲いに来る。家の門を閉じてはならない。』
夜、椒丘欣が要離の家に来ました。しかし大門が開かれたままです。門を入って堂に登ると、そこも開かれたままで、部屋の戸も開いていました。要離は髪を解いて寝ており、椒丘欣を警戒する様子がありません。
椒丘欣が剣を手に取り、要離の頭をつかんで言いました『(汝)は三死の過(死に値する三つの過ち)を犯した。それを知っているか?』
要離が『知らない』と答えたため、椒丘欣が続けて言いました『子は大衆の面前でわしを辱めた。これが一死だ。家に帰っても門を閉じなかった。これが二死だ。警戒することなく寝てしまった。これが三死だ。子には三死の過がある。殺されても怨むな。』
要離が言いました『私に三死の過はない。逆に子には三不肖の(三つの不才な恥。人格を損なう恥とするべき三つの行為)がある。知っているか?』
椒丘欣が『知らない』と言ったため、要離が言いました『私が千人の衆の前で子を辱めた時、子は報復しなかった。これが一不肖だ。門を入る時に咳払いせず、堂を登る時に声をかけなかった。これが二不肖だ。先に剣を抜き、私の頭をつかんでから大言を吐いた。これが三不肖だ。子は三不肖によって私を威嚇しているが、恥ずかしくないのか?』
椒丘欣は剣を投げ捨てると、嘆息して言いました『今までわしの勇を軽視する者は誰もいなかった。要離の勇はわしの上だ。これこそ天下の壮士だ。』
伍子胥は要離の勇がこのようであると聞いたので、王に推挙するのです。」
闔閭は「宴を設けて彼を招待しよう」と言いました。
 
伍子胥要離に会ってこう言いました「呉王が(汝)の高義を聞き、一度会いたいと思っている。」
要離は伍子胥と共に闔閭に会うことにしました。
 
要離を接見した闔閭が問いました「子は何者だ?」
要離が答えました「臣は国東千里の者です。臣は身体が小さく、風を迎えたら仰向けに倒れてしまい、風を負ったら前に伏せてしまいます。しかし大王の命があれば、臣は力を尽くします。」
闔閭は内心、伍子胥が人選を誤ったと思い、暫く何も言いませんでした。すると要離が前に出て言いました「大王は慶忌を心配しているのではないですか?臣は彼を殺すことができます。」
闔閭が言いました「慶忌の勇は世に知れ渡っており、筋骨たくましく、万人を敵にすることができる。走れば獣を追い、素手で飛ぶ鳥を捕まえ、動きも鋭敏だ(骨騰肉飛)。かつてわしが江(長江)まで追撃したが、駟馬(四頭の馬が引く馬車)を駆けさせても追いつけず、矢を射ても射止めることができなかった。子の力が及ぶ相手ではない。」
要離が言いました「王にその意思があるのなら、臣に殺すことができます。」
闔閭が言いました「慶忌は明智の人でもある。今は諸侯に頼っているが、諸侯の士に劣ることはない。」
要離が言いました「妻子との楽しみに安んじて国君に対する義を尽くさないことを非忠といい、家室の愛を想って国君が憂いる者を除こうとしないことを非義というと聞いています。臣が罪を負ったと偽って出奔しましょう。王は臣の妻子を殺し、臣の右手を斬ってください。慶忌は必ず臣を信用します。」
闔閭は同意しました。
 
こうして要離は呉都を離れました。闔閭は要離の妻子を逮捕すると、市で焼き棄てました。
 
要離は諸侯を巡って闔閭に対する怨みを述べました。要離の冤罪は天下に知れ渡ります。
衛に入った要離は慶忌に謁見を求めて言いました「闔閭の無道は王子も知っていることです。最近は私の妻子を殺して市で焼きました。罪が無いのに誅殺に遭ったのです。呉国の内情は私がよく知っています。王子の勇によって闔閭を得たいと思います。私と一緒に東の呉に向かいませんか。」
慶忌は要離を信じました。
 
三カ月後、慶忌は兵の訓練を終えて呉に向かいました。
慶忌の舟が長江の中腹に至った時、要離が行動を起こします。力が弱い要離は風上に坐り、風に乗って慶忌の背に矛を突きつけました。
慶忌は後ろを振り向くと、矛が刺さったまま要離の頭をつかみ、三回水中に沈めました。しかし要離を殺さず、逆に自分の膝の上に置いて、笑って言いました「天下の勇士だ。わしに武器を加えるとは!」
左右の近臣が要離を殺そうとしましたが、慶忌が止めて言いました「彼は天下の勇士だ。一日に天下の勇士を二人も殺してはならない。彼を呉に帰らせて、その忠を表彰させよ。
言い終わると慶忌は死にました。
 
要離は江陵まで来ましたが、呉都に還ろうとしませんでした。従者が理由を問うと、要離はこう言いました「私は自分の妻子を殺して我が君に仕えた。これは非仁だ。新君(闔閭)のために故君(王僚)の子を殺した。これは非義だ。士とは死を重んじて不義を貴ばないものだが、私は命を惜しんで正しい行いを棄てた。これは非義だ。三悪がありながらこの世に生きて、どうして天下の士と顔を会わせることができるだろう。」
要離が長江に身を投げましたが、従者が助けました。
要離が言いました「私が死ななくていいはずがない。」
従者が言いました「あなたは死ぬべきではありません。爵禄を手に入れるべきです。」
しかし要離は自分の手足を斬り、剣に伏して死にました