西周時代 箕子の『鴻範九等』(前)
箕子が武王に「鴻範九等」の解説をしました。
武王が言いました「天とは何も言わずに下民を安定させ、それぞれの居場所で相和させている。しかし私は天の常倫所序(常理・秩序)を知らない。」
箕子が言いました「昔、鯀が鴻水(大水。洪水)を塞いで五行の規律を乱したため、帝(上帝)が震怒し、鴻範九等(九種類の天道大法。「鴻範」は「洪範」とも書き、大法の意味)の常倫が伝えられなくなりました。しかし鯀が殛死(誅死)し、禹が継いで興隆すると、天が禹に鴻範九等を下賜し、常倫に再び秩序ができました。
鴻範九等は、一つ目を五行、二つ目を五事、三つ目を八政、四つ目を五紀、五つ目を皇極、六つ目を三徳、七つ目を稽疑、八つ目を庶徵、九つ目を嚮用五福畏用六極(五福を享受して六極を恐れる)といいます。
五行とは、一が水、二が火、三が木、四が金(金属)、五が土です(『集解』によると、五行は陰陽から生まれます)。水は下を潤し、火は炎を上に延ばし、木は曲直となり(曲がったりまっすぐになり)、金は従革(人の意志で姿を変えること)し、土は稼穡(種蒔と収穫。農事)ができます。下を潤したら鹹(塩。しょっぱい味)を生み、炎が上に延びたら苦(焦げた苦味)を生み、曲直は酸(木の実の味)を生み、従革は辛(『集解』によると金気の味)を生み、稼穡は甘(百穀の甘味)を生みます。
五事とは、一は貌、二は言、三は視、四は聴、五は思です。貌は恭(様相は恭敬)であり、言は従(言によって人を従わせる力があること)であり、視は明であり、聴は聡であり、思は睿(思考が優れていて万事に通じていること)であるべきです。恭は粛となり(統治者の様子が恭敬であれば民は厳粛になります)、従は治となり(統治者の言葉に民が従えば国が治まります)、明は智となり(観察に誤りがなければ騙されません)、聡は謀となり(正しい意見を聞く能力があれば、臣民の正しい進言を用いて計策を立てることができます)、睿は聖となります(思考が万事に通じれば聖賢となり、功を成すことができます)。
八政(八種類の重要な政務)とは、一は食(食糧)、二は貨(財貨)、三は祀(祭祀)、四は司空(城郭や民居等の建築を管理する官。ここでは建築)、五は司徒(民衆を管理し、礼義を教える官。ここでは教化)、六は司寇(寇害を誅する法官。ここでは奸邪を除くこと)、七は賓(諸侯の朝覲を管理する官。ここでは諸侯との関係)、八は師(軍旅の官。ここでは軍事)です。
皇極とは、皇(帝王)が建てるべき極(最も適切な準則)です。五福(後述)を集めて庶民に施せば、それによって庶民をあなたの極(準則)に帰心させることができ、あなたも極を保ち続けることができます。全ての庶民(臣民)は淫朋(私欲によって結ばれた徒党)があってはならず、人には比徳(恩徳・利益を同じくすること。ここでは私党における行動の基準)があってはならず、皇(帝王)だけが極(準則。模範)となるべきです。全ての庶民において、有為有守の者がいたら(帝王のために考えて準則を守る者がいたら)、あなたはそういう人々のことを思いやるべきです。極(帝王の準則)に協調しなくても、咎(罪)に陥ることがないようなら、皇(帝王)はそのような者を許容するべきです。人が温順な表情で『私は徳を好みます(徳を行います)』と言ったら、あなたはその人に福(利益。爵禄)を与えるべきです。そうすれば人々が皇極に従うようになります。鰥寡(身寄りがない者)を虐げてはならず、高明(高貴の者)を畏れてもなりません。(鰥寡・高明にかかわらず)有能有為な者を用いて才能を発揮させれば国が興隆します。正人(正直な人。ここでは官職に就いた者)は既に富有な穀(俸禄)を得ています。あなたが正人をしっかり用いて家(国)に好(貢献)をもたらせなかったら、人(正人。あるいは他の臣民)はあなたを裏切るようになります(あるいは罪を犯すようになります。原文「人斯其辜」)。好が無い者(皇極に従わない者)に関しては、あなたが福(爵禄)を与えたとしても、あなたにとって咎(罪。害)となることをします(その結果、帝王が民の怨みを招くことになります)。偏りや不正があってはならず(毋偏毋頗)、先王の義(準則)を守らなければなりません。個人の好き嫌いがあってはならず(毋有作好)、先王の道を守らなければなりません。悪を行ってはならず(毋有作悪)、先王の路を守らなければなりません。偏った行動や私党がなければ(毋偏毋党)、王道は蕩蕩(広大で堂々としていること)となります。私党も偏った行動もなければ(毋党毋偏)、王道は平平(平穏であること)となります。道に背かず原則を倒すことがなければ(毋反毋側)、王道は正直になります。極を守る者を集めれば、人々が極に帰心するようになります。だからこそ王が極(準則)を人々に伝える時は(王自ら極を守り、臣下に命じてその言を宣布させ)、広くに教え諭すべきです。そうすれば帝(天帝)の意志に順じることができます。全ての庶民は宣布された極に関する言を従順に実行しなければなりません。そうすることで天子の光に近づくことができます(原文「以近天子之光」。『集解』は「近」は「益」の意味と解釈しています。その場合は「民が極を実行することで天子の光が増える」という意味になります)。このようであるので、天子は民の父母となることで(父母のように民の模倣となり、民が従うので)天下の王になれると言われているのです。」
次回に続きます。