戦国時代85 東周赧王(二十三) 前282年

今回は東周赧王三十三年です。
 
赧王三十三年
282年 己卯
 
[] 『史記趙世家』に「楽毅が趙師を率いて魏の伯陽を攻撃した」とあります。
楽毅は燕の将です。『楽毅列伝(巻八十)』には記述がなく、なぜ楽毅が趙軍を率いたのかわかりません。
東周赧王五十年(前265年)には斉の田単が趙軍を率いて燕を攻撃します。同盟国間ではこのようなことが普通にあったのかもしれません。
 
秦は趙が斉攻撃に協力しなかったこと(前年参照)を怨んでいたため、趙を攻撃して二城を奪いました。
 
楊寛の『戦国史』は「秦が趙を攻めて藺と祁を取り、趙も魏を攻めて伯陽を取った」としています。
『趙世家』には「伯陽を攻撃した」としか書かれておらず、占領したかどうかはっきりしませんが、二年後に趙が魏に伯陽を与えるので、この時に占領したと思われます。『戦国史』の藺と祁に関する出典はわかりません(翌年に「趙の藺と離石を取った」という記述はあります)
 
[] 『史記秦本紀』によると、秦王が韓王と新城で会し、魏王と新明邑で会しました。
『韓世家』『六国年表』には「韓が秦と両周の間で会す」とあります。

[] 『史記六国年表』によると、この年、魏で大水(洪水)がありました。
 
 
 
次回に続きます。