戦国時代 荀子(二)

荀子について『資治通鑑』の記述を元に書いています。前回の続きです。

戦国時代 荀子(一)

 
孝成王と臨武君が荀子に問いました「将となる者について聞かせてください。」

荀卿が言いました「最も重要な知とは、疑謀(勝敗が定かではない計)を棄てることです。最も重要な行(行動)とは、過ちを犯さないことです。最も重要な事とは後悔しないことです。事を行って後悔しないようなら、完勝を求める必要はありません。このようであるために、制号政令は厳格にして威重があります。慶賞刑罰には必ず信があります。処舍(営塁)收藏(輜重・財物)は堅固に守られています(敵に侵されません)。徒挙進退(移動、出陣、進退)は慎重で安定しており、しかも迅速な行動ができます。敵を窺って変化を観察する時は、敵の奥深くまで紛れ込んで状況を把握します。敵と遭遇して決戦する時は、成功が明らかなら実行し、疑いがあるようなら行いません。これを六術といいます。

将の地位を欲して自分の策を棄てることなく(国君に迎合して自分の策を棄てることなく)、戦勝のために怠惰になって敗戦の可能性を忘れることなく、内に威を振るって外を軽視することなく、利だけを見て害を顧みないということはなく、事を深く考慮して財を用いる時には寛容になること。これを五権といいます(権は利害や軽重を量るという意味です)
この他に、将が主の命を受けない状況が三つあります。将を殺すことは許されても、将を不完(絶境)に追い込んではなりません。将を殺すことは許されても、将に命じて勝てない敵を無理に攻撃させてはなりません。将を殺すことは許されても、将に百姓を虐げさせてはなりません(この三つの状況では、将は君命を聞く必要がありません)。これを三至といいます(『資治通鑑』胡三省注によると、「至」は専一を守って変わらないという意味です)
将が主の命を受けて三軍を動員し、三軍が定まった時には、百官(軍吏)に秩序があり、群物(各種の軍務)が正され、主が賞を与えても将を喜ばせることができず(主不能喜)、敵も将を怒らせることができないとしたら、このような将は至臣といいます。
事を起こす前によく考え、敬(厳粛な態度)を示し、始めから終わりまで慎重で変わらないことを大吉といいます。百事を成すには必ず敬を持たなければなりません。失敗は慢(軽視。怠慢。敬がないこと)が原因です。よって敬が怠(怠)に勝れば吉となり、怠が敬に勝れば滅びます。計(計画・計策)が欲に勝れば従(順調)となり、欲が計に勝れば凶となります。戦(攻撃)は守備と同じようであり(攻撃する時も守備の時と同じように慎重であり。原文「戦如守」)、行軍は戦と同じようであり(行軍する時も戦う時と同じように警戒を怠らず。原文「行如戦」)、功を立てても幸(幸運)のようでなければなりません(功績を立てたとしても、成功は幸運によるもので自分の功績ではないという態度をとらなければなりません。謙虚でいなければなりません。原文「有功如幸」)。敬(厳粛)によって謀って廃さず(厳粛に計を謀ってそのような態度を失わず。原文「敬謀無曠」)、敬によって事に対して廃さず(敬事無曠)、敬によって吏に対して廃さず(敬吏無曠)、敬によって衆に対して廃さず(敬衆無曠)、敬によって敵に対して廃さない(敬敵無曠)。これを五無曠(「無曠」は「廃さない」「失わない」という意味)といいます。以上の六術、五権、三至を慎重に行い、恭敬、無曠でいることができる将こそが天下の将(天下無双の将)であり、神明に通じることができます。」
臨武君が言いました「素晴らしいことです(善)。王者の軍制についても聞かせてください。」
荀卿が言いました「将が戦鼓を設けたら死んでも逃走せず(将は戦鼓を守って死に)、馬を御す者は死んでも轡を離さず、百吏は死んでも職から逃げず、大夫は死んでも列を崩しません。鼓声を聞いたら進み、金声を聞いたら退きます。命に従うことを最も重視し、功を立てることを次とします。進むなと命じても進むのは、退くなと命じても退くのと同じであり、その罪は同等であるべきです。老弱を殺さず、禾稼を踏み荒らさず、服者(戦わずに退いた者)は追撃せず、格者(抵抗する者)は赦さず、奔命の者(帰順してきた者)は捕えません。誅殺するのは百姓ではなく、百姓を乱した者です。しかし百姓の中に賊を守る者がいたら、その百姓も賊とみなします。だから討伐に順じる者は生かされ、刃向う者は死に、奔命の者(帰順してきた者)は上将に献上されます。微子開は(頻繁に紂に諫言してから周に帰順したので)宋に封じられ、曹觸龍は(紂に仕えて阿諛したので)軍中で斬られました。商から周に帰順した民でも、養生の待遇において周人と差がなかったため、近い者は歌謳して楽しみ、遠い者は竭蹶して周に集まりました。また、幽閒辟陋の国(辺鄙で荒廃した国)に対しても(周王は)使者を送って人々に安楽をもたらしました。こうして四海の内が一家のようになり、周の恩威が達する場所は全て服従しました。このような君王を人師(人々の模範となる人物。民衆を引っ張ることができる人物)といいます。『詩(大雅・文王有声)』にこうあります『東西南北、四方が服したいと願う(自西自東,自南自北,無思不服)。』まさにこのような状態を歌っています。王者は誅(刑)を行うことがあっても戦を起こすことはなく、城を堅く守るだけで自ら人を攻めることはなく、兵を対峙させても自ら出撃することはありません。そのため敵も上から下まで喜んで慶祝します。しかも屠城(虐殺)をせず、潜軍(無防備の敵を襲うこと)をせず、留衆将兵を国外に長く留めること)をせず、師が出征しても予定の時を越えません。このようであるので、乱れた国の者もその政を喜び、自分の上の者(自国の統治者)を不安に思い、王者の師が来ることを願うようになります。」
臨武君は納得して「素晴らしい(善)」と言いました。
 
陳囂が荀卿に言いました「先生が議す兵は常に仁義を本としていますが、仁とは人を愛すことであり、義とは理に則ることです。なぜ(仁義によって)兵を語ることができるのですか。兵というのは争奪を行うものです。」
荀卿が言いました「これは汝が知ることではない。仁とは人を愛することであり、人を愛するからこそ、人を害す者を憎むのだ。義とは理に則ることであり、理に則るからこそ乱を成す者を憎むのだ。兵とは暴を禁じて害を除くものであり、争奪のためにあるのではない。」