戦国時代 完璧

東周赧王三十二年(前283年)、趙の藺相如が使者として秦に行きました。

戦国時代84 東周赧王(二十二) 衛嗣君 前283年(2)

以下、『史記藺相如列伝(巻八十一)』から「完璧帰趙」の故事を紹介します。
 
趙恵文王が楚の和氏の璧を得ました。
それを聞いた秦昭王は趙王に書を送り、十五城と璧を交換するように要求します。
趙王は大将軍廉頗や諸大臣と相談しました。璧を秦に贈っても秦が城を譲らない恐れがあります。しかし璧を贈らなかったら秦の攻撃を招くかもしれません。
方針が決まらず、秦に送る使者の人選もできません。
そこで宦者令繆賢が言いました「臣の舍人に藺相如という者がいます。彼なら使者にできます。」

王が「なぜそれが分かる?」と問うと、繆賢はこう言いました「臣はかつて罪を犯し、燕に逃走しようとしました。その時、臣の舍人相如が臣を止めて言いました『あなたはなぜ燕王を知っているのですか?』臣はこう答えました『私はかつて大王に従って燕王と境上で会した。その時、燕王は私の手を握って「友として交わりを結びたい」と言った。こうして燕王と交わることができたので、会いに行こうと思う。』すると相如は臣にこう言いました『趙は強国で燕は弱国です。あなたは趙王の幸を受けていたから、燕王があなたと結ぼうとしたのです。今、あなたは趙を去って燕に奔ろうとしていますが、燕は趙を恐れているので、あなたを留めようとはせず、逆にあなたを捕えて趙に送り返すでしょう。あなたは肉袒(上半身を裸にすること)して斧を背負い、(趙王に)謝罪するべきです。うまくいけば罪から逃れることができるでしょう。』臣はこれに従ったので、幸いにも大王の赦しを得ることができました。臣が見るに、彼は勇士であり、智謀もあるので、使者にすることができます。」

 
趙王が藺相如を招いて問いました「秦王は十五城を寡人の璧と交換しようとしているが、与えないですむ方法があるか?」
藺相如が言いました「秦は強く趙は弱いので、同意しないわけにはいきません。」
王が言いました「わしの璧を取って城を譲らなかったらどうする?」
藺相如が言いました「秦が城と璧の交換を要求して趙が断ったら、曲(否)は趙にあります。趙が璧を与えても秦が趙に城を譲らなかったら、曲は秦にあります。二策を較べたら、同意して秦に曲の悪名を負わせた方がましです。」
王が問いました「誰を使者にするべきだ?」
藺相如が言いました「王に人がいないのなら、臣が璧を奉じて使者になることを願います。城が趙に入れば璧を秦に留めます。城が趙に入らないようなら、璧を損なうことなく趙に帰ります(完璧帰趙)。」
趙王は藺相如に璧を渡して西の秦に派遣しました。
 
秦王は章台に座って藺相如を接見しました。
藺相如が秦王に璧を見せます。
喜んだ秦王は美女や左右の側近に璧を見せました。秦の側近達は璧が手に入ったことを祝賀して万歳を唱えます。
藺相如は秦に十五城を譲る気がないと知り、こう言いました「実は璧には瑕(傷)があります。王にお教えしましょう。」
秦王が璧を藺相如に渡すと、藺相如は璧を持って退き、柱の傍で怒ってこう言いました「大王が璧を得ようとして書を趙王に送ったので、趙王は群臣を集めて議論しました。皆、『秦は貪欲で、その強さに頼っているので、空言で璧を求めているだけです。恐らく城を得ることはできないでしょう』と言って秦に璧を与えることに反対しました。しかし臣が趙王に『布衣(平民)の交わりでも偽ることがないのですから、大国ならなおさらです。また、璧一つのために秦の不興を買うべきではありません』と言って説得しました。そこで趙王は五日間の斎戒をして身を清め、臣を使者として璧を奉じさせ、秦の朝廷に書を届けました。これは大国の威を尊重して敬意を修めるためです。ところが今、臣が至ると大王は列観(台観。普通の宮殿の一室)で臣に会い、礼節にも驕りがあり、璧を得たらすぐ女達に見せびらかしました。これは臣を侮ることです。王には城邑を譲るつもりがないとわかったので、臣は璧を取り戻しました。大王が臣に強要するのなら、臣は頭と璧を一緒に柱にぶつけて砕き壊します。」
藺相如は璧を持ったまま柱をにらみました。
秦王は璧が壊されることを恐れて藺相如に謝罪し、有司(官員)に地図を持ってこさせて趙に与える十五城を指で示しました。
しかし藺相如は秦王が本心ではないと見抜き、こう言いました「和氏の璧は天下に伝わる宝ですが、趙王は大王を恐れて献上することにしました。趙王は璧を送る前に五日間斎戒しました。大王も五日間の斎戒を行い、朝廷に九賓(九儀。九牢の礼。外交上の礼)を設けてください。」
秦王は強引に得ることができないと知り、五日間の斎戒をしました。藺相如には広成の伝舍(客舎。広成は伝舎の名)が与えられます。
 
一方の藺相如は秦王が斎戒をしても約束を破ると思い、従者の懐に璧を隠して近道から帰国させました。
 
五日間の斎戒を終わらせた秦王は朝廷に九賓の礼を設けて藺相如を招きました。
ところが藺相如は秦王にこう言いました「秦は繆公(穆公)以来二十余の君主が立ちましたが、約束を守った者はいません。臣は王に欺かれて趙を裏切ることになるのを恐れたので、部下に璧をもって間道から帰らせました。秦は強国で趙は弱国です。秦が一介の使者を趙に送っただけで、趙は直ちに臣に璧を持たせて秦に遣わせました。もし秦の強さをもって先に十五城を譲れば、趙は璧を留めて大王の罪を得るようなことはしません。臣が大王を欺いた罪は死罪に値します。臣は湯鑊(大釜)に赴くことを請います。大王は群臣とよく計ってください。」

秦王は群臣と顔を見合わせて驚きの声を挙げました。左右の近臣が藺相如を殺すために連れ去ろうとしましたが、秦王はこう言いました「今、相如を殺しても璧を得ることはできず、秦趙の交歓を絶つだけだ。逆に厚く遇して趙に帰らせるべきだ。趙王が一璧のために秦を偽ることはないだろう(秦が先に城を与えても、趙は秦を騙さないだろう)。」

秦王は朝廷で藺相如を接見し、礼を行ってから帰国させました。
 
藺相如が帰ってから、趙王はその賢才を認め、諸侯の中で辱めを受けなかったことを称えて上大夫に任じました。
結局、秦は趙に城を与えず、趙も秦に璧を譲りませんでした。