戦国時代 范睢と蔡澤(一)

秦昭襄王五十二年(前255年)に范睢が引退しました。

戦国時代110 秦昭襄王(一) 荀子 前255年

史記范睢列伝(巻七十九)』から范睢と蔡沢の会話です。
 

蔡沢は秦昭王に謁見するふりをし、人を使って范睢にこう宣伝させました「燕の客蔡沢は天下において雄俊弘辯の知士として知られています。彼が王に会ったらあなたを追いつめてあなたの位を奪うでしょう。」

不快になった范睢は「五帝三代の事も百家の学説も、私は全て知っている。衆口の辯(大勢の弁論。諸子の学問)も全て破ることができる。私を追いつめて位を奪うとはどういうことだ」と言い、部下を送って蔡沢を招きました。
蔡沢は范睢に揖礼だけしました。驕慢な蔡沢の態度を見て、范睢はますます不快になります。
范睢が問いました「子(汝)はしばしばわしに代わって秦の相になると言っているそうだが、本当か?」
蔡沢は「その通りです(然)」と答えました。
范睢は蔡沢に見解を述べさせました。
蔡沢が言いました「あなたの判断はなぜこのように遅いのでしょう。四時(四季)には序(秩序)があり、功を成した者は去るものです(春に生まれ、夏に成長し、秋に実を結び、冬になったら収穫されます)。人が生を得たら、百体(体中)が堅強で、手足が便利(ここでは自由に動くこと)で、耳目が聡明で、心に聖智があること、これは士が願う姿ではありませんか?」
范睢は「そうだ(然)」と答えました。
蔡沢が問いました「仁を質(本質)にして義を用い、道を行って徳を施し、天下に志を得て、天下が喜んで敬愛尊慕し、人々が自分の君王になるように願うこと、これは辯智の者が望む姿ではありませんか?」
范睢は「そうだ(然)」と答えました。
蔡沢が問いました「富貴を得て顕栄し、万物を処理してそれぞれの居場所を定め、性命が長寿となり、天年(天寿)を全うして夭傷(早死)せず、天下がその統(系統。体系)を継いで業を守り、しかもそれを限りなく伝え続け、名実とも純粋(欠点がない状態)で温沢が千里に施され、世々代々称賛して絶えることなく、天地と終始を共にすること(天地の寿命と同じくらい長久であること)、これは道德を行った符(証。証明)であり、聖人が吉祥善事とするものではありませんか?」
范睢は「そうだ(然)」と答えました。

蔡沢が問いました「秦の商君、楚の呉起、越の大夫種のような終わり方を望みますか?」

范睢は蔡沢がこの三人の例を使って引退を促そうとしていることに気づき、わざとこう言いました「なぜそれがいけないのだ?公孫鞅商鞅が孝公に仕えた時の様子は、終生貳慮(二心)を抱かず、公を尽くして私を顧みず、刀鋸(刑具)を設けて奸邪を禁じ、賞罰に信を置いて太平をもたらした。腹心を割り(忠心を露わにし)、情素(真情)を示し、怨咎を受け止め、旧友も欺き、魏の公子卬を奪って秦の社稷を安定させ、百姓に利をもたらし、秦のために将を捕えて敵を破り、千里の地を拡げることができた。呉起が悼王に仕えた時の様子は、私によって公を害させることがなく、讒言によって忠臣を隠されることもなく、言論は苟合(迎合)せず、行いは苟容(追従)をせず、危難に遭っても行動を変えることなく、義を行って難を避けなかった。主の覇業を成就させて国を強くするためなら禍凶も辞さなかった。大夫種が越王に仕えた時の様子は、主に困辱があっても忠を尽くし続けて怠ることなく、主が絶亡(国を滅ぼすこと)に臨んでも能力を尽くして離れることなく、功が成っても誇らず、貴富を得ても驕怠(驕って怠慢になること)にならなかった。この三子は義の至(頂点)であり、忠の節(見本)である。だから君子は義によって死難を受けたとしても、死を帰ることとみなして受け入れ、生きて辱めを受けるより死んで栄誉を受けることを望んだのだ。士とは身を殺して名を成すのが当然であり、義さえ存在しているのなら死んでも恨まないものである。なぜ(三子のようになるのが)悪いのだ?」

蔡沢が言いました「主聖臣賢(国君が聖明で臣下が賢能であること)、これは天下の盛福(最高の福)です。君明臣直(国君が明智で臣下が実直であること)、これは国の福です。父慈子孝(父に慈愛があり、子に孝心があること)、夫信妻貞(夫に信があり妻に貞があること)、これは家の福です。かつて比干は忠心があったのに殷を存続させることができず、子胥伍子胥は智謀があったのに呉を守ることができず、申生は孝心があったのに晋国が乱れました。彼等は忠臣孝子でしたが、国家が滅乱したのです。その理由は、明君賢父がおらず、彼等の言を聞かなかったからです。だから天下はその君父を恥と思い、臣子を憐れんでいるのです。商君、呉起、大夫種を見ると、彼等は人臣として正しい事をしました。その君が誤っていたのです。だから世の人々は『三子は功を成したのに徳(恩。報い)を見ることができなかった』と言っています。良い世に出会えず死んだことを羨む者がいるでしょうか(人々は三子の功績を称えていますが、三子の不幸を羨むことはありません)。死を待ってやっと忠を表し名を成すことができるというのなら、微子は仁というに足らず、孔子は聖というに足らず、管仲は大(偉大)というに足らなくなります。人が功を立てる時には、成全(全てが完成すること。ここでは功を立てて身も守ること)を望むものです。身と名をどちらも全うできた者は上です。名は後世の模範になっても身を殺した者は次です。名が辱められて身を全うした者は下です。」

范睢は蔡沢の話を称賛しました。
 
 
 
中途半端ですが字数の関係で次回に続きます。