史書の種類(中国史)

中国の史書には複数の分類方法があります。
今回は史書の種類について簡単に説明します。
 

一、「正史」と「野史」

「正史」は王朝から認められた正当な歴史書という意味で、「野史」は民間で編纂された歴史書という意味です。
 
「正史」は太古から西漢前漢武帝の時代までを書いた『史記』に始まります。
清代の乾隆帝が歴代王朝を扱った史書の中から二十四種類を選んで正史として認めたため、中国の正史といえば、通常は「二十四史」を指すようになりました。
以下、列記します。

史記』『漢書』『後漢書』『三国志』『晋書』『宋書』『南斉書』『梁書』『陳書』『魏書』『北斉書』『周書』『隋書』『南史』『北史』『旧唐書』『新唐書』『旧五代史』『新五代史』『宋史』『遼史』『金史』『元史』『明史』

中華民国時代以降、『新元史』や『清史稿』を加えて「二十五史」「二十六史」という名称も生まれましたが、「二十四史」ほどは浸透していないようです。
 
「野史」はこれら「正史」以外の全ての史書を指すことになります。
 
 

二、「編年体」「紀伝体」「紀事本末体」

上述の「正史」と「野史」は政権に認められたかどうかによって分けられました。「正史」には「紀伝体」という共通点があります。
次は史書の体例(形式)について述べます。「正史」の体例である「紀伝体」を紹介する前に「編年体」を書きます。
 

1、「編年体

編年体」というのは、事件が発生した時間に順じて記述している史書です。発生年を軸に編纂した体例という意味です。
最も有名なのは『春秋左氏伝』です。
春秋時代孔子が魯国の歴史をまとめました。この書を『春秋』といいます。しかし『春秋』はあまりにも簡潔なため、理解が困難でした。そこで編纂されたのが『春秋』をより詳しく解説した『春秋左氏伝』です。
例えば、『春秋』の魯隠公元年を見ると
「元年春、王正月。三月、公と邾儀父が蔑で盟す。夏五月、鄭伯が鄢で段に克つ(後略)
とあります。
一つ一つの事件を非常に簡単に書いているだけなので、夏五月に登場する鄭伯とは誰なのか、段とは誰なのか、なぜ二人が戦ったのか、といったことが全くわかりません。これに肉付けして内容を豊富にしたのが『春秋左氏伝』です。『春秋』の「夏五月、鄭伯が鄢で段に克つ」という一文に対して、『春秋左氏伝』は鄭伯と段の出生から対立、鄭伯による討伐とその後の事まで詳しく書いています。
 
『春秋左氏伝』に並んで有名な編年体史書に『資治通鑑』があります。『資治通鑑』は戦国時代から宋北宋建国に至る千三百年以上の歴史を書いた大作です。
日本で有名な『十八史略』も編年体史書に含まれます。但し、中国では『資治通鑑』が広く読まれており、『十八史略』を目にすることはほぼありません。
 

2、「紀伝体

紀伝体」というのは、主に「本紀」と「列伝」からなる史書の体例です。
「本紀」は帝王(天子)の興亡を述べたものです。
正史の筆頭である『史記』を例にすると、「夏本紀」「殷本紀」「周本紀」は王朝一代の歴史を書いており、「高祖本紀」「孝文本紀」等は皇帝個人の事績を書いています(高祖は西漢劉邦。孝文は西漢文帝です)
「本紀」は天子の在位年に順じて記述されているので、一つ一つの本紀は「編年体」と考えることもできます。例えば「孝文本紀」の一部を見ると
(文帝)二年十月、丞相・平(陳平)が死に、再び絳侯・勃(周勃)を丞相にする。(略)
十一月晦、日食あり。十二月望(十五日)、また日蝕
というように、上述の『春秋』に似た形式であることがわかります。
 
「列伝」は帝王以外の人物を書いた伝記です。
「列伝」は大きく分けると「単伝」「合伝」「類伝」「附伝」に分けられます。
「単伝」は一つの列伝に一人の人物を書いたもので、「伍子胥列伝(『史記』)」「商君列伝(『史記』)」「諸葛亮(『三国志』)」等があります
「合伝」は一つの列伝に複数の人物を書いたもので、「管晏列伝管仲と晏嬰。『史記』)」「孫子呉起列伝孫子呉起。『史記』)」「関張馬黄趙伝関羽張飛馬超黄忠趙雲。『三国志』)」等があります。
「類伝」は共通する人物や地域を一つにまとめたもので、「刺客列伝春秋戦国時代の刺客。『史記』)」「仲尼弟子列伝孔子の弟子。『史記』)」「南蛮西南夷列伝(西南地方の異民族。『後漢書』)」等があります。
「附伝」というのはある列伝に附記された人物伝で、「廉頗藺相如列伝(『史記』)」の後ろに記載された趙奢や李牧、「張儀列伝(『史記』)」の後ろに記載された陳軫、犀首等の伝があります。
 
このように、「紀伝体」とは「本紀」と「列伝」からなる史書の形式ですが、「本紀」「列伝」以外にも「表(年表、人物表等)」「書(経済、地理、風俗等、人物以外の記録)」等を具えていることがあります(詳しい解説は省きます)
 

3、「紀事本末体」

編年体」は事件が発生した順に記述を重ねていく形式なので、時間の流れは分かりますが、一つの事件が他の事件によって何回も分断されることがあります。
紀伝体」は人物に焦点を当てた形態なので、一人に起きた出来事を一貫して語ることができ、物語的な要素を含んでいます。例えば『史記』の「項羽本紀」や「伍子胥列伝」等は紀伝体の代表作として広く読まれており、小説のような面白さがあります。しかし、人物一人一人に焦点が置かれると時代の流れがつかみにくくなるという欠点が生まれます。
 
そこで生まれたのが「紀事本末体」です。
代表は南宋の袁枢によって編纂された『通鑑紀事本末』です。袁枢は編年体の代表である『資治通鑑』から重要な内容を抜き出し、事件ごとにまとめました。
例えば第一巻は「三家分晋」で始まっており、春秋時代に大国だった晋が趙・魏・韓の三家に分割された事件がまとめて紹介されています。編年体資治通鑑』では東周威烈王二十三年(前403年)に書かれている内容です。
「三家分晋」の次は「秦并六国」で、東周顕王七年(前362年)まで飛んでおり、秦が商鞅を登用して強国になってから天下を統一するまでがまとめられています。
「紀事本末体」は一つ一つの事件の経緯を知るにはとても優れており、『通鑑紀事本末』以降も多数の書が編纂されました。
編年体」が年、「紀伝体」が人を軸にしているのに対して、「紀事本末体」は事(事件)を軸としているといわれています。
但し、現在読まれている史書においては、「紀事本末体」は「編年体」や「紀伝体」の史書ほど浸透していないようです。
 
 
三、「国別史」「通史」「断代史」
最後に地域や時間に焦点を置いた史書の分類方法を紹介します。
 

1、「国別史」

「国別史」というのは、分裂時代の諸国を国ごとにまとめて記述した史書の形式です。
有名なのは『国語』です。『国語』は春秋時代に起きた出来事を弁舌、会話を中心にまとめた書で、「周語」「魯語」「斉語」「晋語」というように国ごとに紹介されています。
戦国時代の遊説家の弁論を紹介している『戦国策』も「東周策」「西周策」「秦策」というように国ごとにまとめられているので「国別史」になります。
また、「紀伝体」の正史『三国志』も「魏書」「呉書」「蜀書」として国ごとにまとめられているので、「国別史」になります。
特殊な例では、『史記』の「世家(主に諸侯の歴史)」も「呉太伯世家(周が封侯した呉国の歴史)」「斉太公世家(同じく斉国の歴史)」「魯周公世家(同じく魯国の歴史)」というように国ごとに分けられているので、「国別史」になります。更にこれらの「世家」は各国の出来事を発生した順に書いているので、編年体ということもできます。
例えば「斉太公世家」を見ると
(斉桓公七年、諸侯が甄で桓公と会す。桓公が始めて覇を称える。
二十三年、山戎が燕を攻める。燕が斉に急を告げ、斉桓公が燕を救って山戎を討伐する。(略)
というように編年体の形を採っています。
 

2、「通史」と「断代史」

「通史」と「断代史」は時間的概念による分け方です。
簡単に言うと、「通史」は複数の王朝をまたいだ比較的長い時代を扱っており、これに対して「断代史」は一つの王朝に限定して記述しています。
例えば太古から西漢時代を扱った『史記』は「通史」で、西漢時代を扱った『漢書』、東漢時代の『後漢書』、三国時代の『三国志』等は「断代史」になります(実際は前後の時代にも一部またがっていますが、「断代史」とされます)
正史は新しい王朝が成立してから古い王朝の歴史をまとめて編纂したものが多いので、「断代史」が主流になります。但し上述の『史記』以外にも、南北朝時代北朝北魏東魏西魏、東斉、西周、隋)南朝(宋、斉、梁、陳)について書いた『北史』『南史』は「通史」とみなすことができます南北朝時代を一つの区切りとした場合は、『北史』も『南史』も「断代史」になります)
編年体の代表である『資治通鑑』は戦国時代から北宋建国までの歴史が描かれているので「通史」です。
 

『春秋』は春秋時代の魯国を中心にした編年体史書で、春秋時代という区切りでみたら「断代史」と考えることもできそうですが、魯国の興亡を書いたわけでも特定の王朝を舞台にしたわけでもないので、「断代史」とするには違和感があります。これは『国語』『戦国策』等も同じで、「通史」か「断代史」かという分け方は通常しないようです。

 
 
以上のように、史書の分類方法は複数あり、一つの書がいくつかの種類に属すことがしばしばあります。
また、ここに紹介した分類以外にも歴代の典章制度をまとめた「典制体」(代表は『通典』『文献通考』『通典』)や、特定の地域の歴史を書いた「地方史」(代表は『華陽国志』)等がありますが、省略します。