諸子百家 道家・老子

今回は道家です。老子荘子の二回に分けます。
 
老子道家学派の創始者で、姓は李、名は耳、字は聃といい、老聃ともよばれています老子の姓名に関しては諸説があります)
孔子と同時期か少し前の人で、周王室の「守藏室之吏(図書館の長)」を勤めたこともありましたが、後には隠居して官職を求めませんでした。
老子の思想は『老子』という書にまとめられています。『老子』は『道徳経』ともいいます。但し『老子』は老子本人だけの手によるものではなく、戦国時代初期の道家によって書き足されている部分もあるとされています。
 
老子の思想哲学の核心は「道」です。
「道」とは世界の本源で、老子はこう説明しています「有物混成,先天地生。寂兮寥兮,独立而不改,周行而不殆,可以為天下母。吾不知其名,強字之曰道(混然とした物があり、天地の先に生まれた。音もなく、形もなく、独立して改めることもなく、循環して止まることもなく、天下の母になれる。私はその名を知らないが、とりあえず道とよぶことにしよう)。」
「道」というのは物質でも自然現象でもなく、万物が生まれる前から存在していた抽象的な概念です。道は見ることも聴くことも触ることもできません(視之不見。聴之不聞。搏之不得)。しかし世界に存在する全ての事物や現象を主宰しているとされます。
 
老子によると、万物は「道」から生まれました。「道生一,一生二,二生三,三生万物(道が一を生み、一が二を生み、二が三を生み、三が万物を生んだ)」です。
そして万物の根源は「無」です。老子は「天下万物生于有,有生于無(天下の万物は有から生まれた。そして有は無から生まれた)」と言っています。
 
老子はある対象を認識する際、物質そのものの存在を認識するのではなく、「道」を認識するべきだと考えました。そして「道」を認識するには、直観的体験に頼ればよく、実践は必要ないと主張しました。「不出戸,知天下。不窺牖,見天道。其出弥遠,其知弥少。是以聖人不行而知,不見而名(明),不為而成(戸を出なくても天下を知り、窓から外を見なくても天象を知る。遥か遠くに出て行く者は、得られる知がとても少ない。だから聖人は行わなくても知ることができ、見なくても明らかにでき、為さなくても成すことができる)」と言っています。
老子にとって知識とは「道」を習得するのに有害なものでした。「知者不博,博者不知(知る者は博学になれず、博学の者は知らない)」と言っています。学問から離れて知識を棄てることができれば道を得られると考え、「絶学無憂(学を絶てば憂いがなくなる)」と主張しました。
 
老子の思想哲学の中で最も重要なのは弁証法(事象の対立と統一に焦点を当てた動的な論理)です。
老子は全ての事物が変化の過程にあると考えました。「物或行或随,或歔或吹,或強或羸,或載(物には先を行くものもあれば後に従うものもあり、弱く呼吸するものもいれば強く息を吹くものもおり、強いものもいれば弱いものもおり、戴くものもあれば崩れるものもある)」です。
また、対立した事物は全く異なる次元のものではなく、互いに依存しあっていると考えました。「有無相生,難易相成,長短相形,高下相傾,音声相合,前後相随(有と無は互いに生まれ、困難と容易は互いに成立し、長短は互いに形をつくり、高低は互いに影響しあい、音と声は互いに合和し、前後は互いに随従する)」です。
ある現象が極限に達したら全く逆の現象に生まれ変わることもあります「曲則全,枉則直,洼則盈,敝則新,少則得,多則惑(曲となったら全うし、枉(曲がる)となったら直り、洼(くぼ)となったら満たされ、旧弊したら新たになり、少なくなったら得て、多くなったら惑う)」です。
老子は智愚、損益、美悪、剛柔、強弱、勝敗等、全ての対立している事象が実は相互に依存した統一の中にいると考えました。そしてそれは互いに変化しあいます。「正復為奇,善復為妖(正はまた奇となり、善はまた妖となる)」「禍兮福所倚,福兮禍所伏(禍は福が依るところであり、福は禍が伏すところである)」と言っています。
そこで老子は処世の原則を考え出しました。「将欲弱之,必固強之。将欲廃之,必固興之。将欲奪之,必固与之(相手を弱くさせたかったら、まずは必ず強くさせよ。相手を廃したかったら、まずは必ず興隆させよ。相手から奪いたかったら、まずは必ず与えよ)」「不自見,故明。不自是,故彰。不自伐,故有功。不自矜,故長。夫唯不争,故天下莫能与之争(自ら現れようとしなければ自分の姿が明らかにされる。自分が正しいと主張しなければ自分の正しさが明らかにされる。自ら自慢しなければ功績が認められる。自ら驕らなければ長く安泰を保つことができる。自分から争わなければ、天下が争いを与えることはない)」です。
このような思想は孫子等の兵家にも取り入れられました。
また、老子の矛盾と統一に焦点を当てた弁証法はその後の中国思想に大きな影響を与えました。
 
老子は統治階級に対して鋭い批判を行いました。
「民之飢,以其上食税之多(民が飢餓に苦しんでいるのは、上の者が税として多くを食べているからだ)」と言っています。そして民衆の反乱を力によって抑えることはできないと考え、「民不畏死。奈何以死惧之(民は死を恐れないのだから、誅戮によって恐れさせる(鎮圧する)ことができるはずがない)」と言いました。
老子は覇権を争う戦いにも反対しました。「夫嗜殺人者,則不可以得志于天下矣(殺人を好む者は、天下に志を得ることはできない)」と言っています。
そして老子は社会を改善するための方法を唱え、理想の社会を描きました「不尚賢,使民不争。不貴難得之貨,使民不為盗。不見可欲,使民不為乱(賢人を尊ばなければ、民が(名声や官職を求めて)争うことはない。得難い物を貴ばなければ、民が盗賊になることはない。欲を招く物を見せなければ、民が乱を為すことはない)。」
小国寡民,使有什佰之器而不用(国が小さく民も少ない。多数の道具や兵器があっても使う必要はない)。」
 「使人復結縄而用之(人々に縄を結んで使わせよう。「結縄」というのは文字がない時代に使っていた簡単な記号です。文明から離れて原始の生活をするという意味です)。」
「鄰国相望,鶏犬之声相聞,民至老死不相往来(隣りの国と互いに望みあい、鶏や犬の鳴き声が聞こえるほど近くにいるのに、民は老いて死んでも往来することがない)。」
老子の理想の社会では、人々はあらゆる欲望を棄てて自分の生活を満足させることだけを考えているので、隣国に行く必要もなく、戦争をして領土を拡大する必要もありません。文化も教育も、礼儀道徳も科学技術も一切必要としない、「無為而治(無為にして治める)」の社会が老子の理想でした。
 
 
次回は荘子です。