諸子百家 道家・荘子

今回は道家荘子です。
荘子の思想はとても神秘的で、理解が難しい思想です。後に神仙思想へと発展していきます。
 
荘子は名を周といい、宋国の人です。孟子とほぼ同じか少し遅れて登場しました。貧寒の家に生まれ、生涯で仕官したのは漆園を管理する小官に就いた時だけのことです。
現存の『荘子』三十三篇のうち、内篇七篇は荘周が自ら書いたとされています。外篇十五篇は荘子の門人によるもの、雑篇十一篇は荘子の学派に属す後世の者によって書かれたものです。
 
荘子の思想は老子の思想を更に発展させています。
荘子は「道」を「人の主観によって作られた虚構の存在」と考えました。「道」とは、抽象的で玄妙な自我の意識であり、規則も実態もありません。もし「道」によって現実世界を捕らえることができるようになったら、人と物、自我と外界の区別がなくなり、誰からも制約を受けず、完全に自由な世界で周遊することができます。これが荘子が理想とした「逍遥游」です。
荘子はそのような境地に達した人物として「至人」「真人」といった姿を作り出しました。これらは後に神仙思想に導入されます。
 
荘子老子の弁証論を更に発展させ、場合によっては誇大な解釈をしました。例えば荘子は「斉是非(是と非とは等しい概念である)」と言っており、「是亦彼也,彼亦是也。彼亦一是非,此亦一是非(これはあれであり、あれはこれである。あれは一つの是非であり、これもまた一つの是非である)」と説明しています。一部の場所では是非が明確になっても、他の場所に行ったら同じ基準が通用するとは限らず、異なる是非が存在するという意味です。儒家墨家が主張する道徳規範が取るに足らないものだという批判が根底にあります。
 
「斉是非」は相対する概念の統一を説いた思想でした。物質と自分という存在に対しても、「斉物我(物と私は等しい存在である)」と言っています。「天地与我並生,万物与我為一(天地は私と共に生まれ、万物は私と一つになる)」という考えです。
荘子は異なる物質も統一した概念であると考えたので、物質に存在する大小や長短といった差も否定しました。これは「斉大小(大小は等しい)」という説で、「天下莫大于秋亳(秋に抜け替わった鳥獣の毛)之末,而太山(泰山)為小(天下には秋亳より大きな物はなく、しかも太山を小とする)」「万物斉一。孰短孰長(万物は等しく一つなので、短いものも長いない)」と解説しています。
更に「斉生死(生と死は等しい)」と主張しました。「方生方死,方死方生(生まれたら死に、死んだら生まれる)」「其生之時,不若未生之時(人が生きる時間は、生まれるまでの悠久の時間に及ばない。止まることのない時間の中において、人の一生とはほんの一瞬のものに過ぎないので、長寿を願ったり短命を悲しんだりする必要はない)。」よって「生而不悦,死而不禍(生まれても喜ばず、死んでも禍としない)」という結論に導かれます。。
 
このように全てが等しい存在であるのなら、是非善悪という概念も成立しなくなります。そこでこう言っています「自我観之,仁義之端,是非之途,樊然淆乱,我悪能知其辦(私が観たところ、仁義の根源も是非の道理も全てが混然としているので、何が正しいのか見極めることなどできない)。」
そこから、事象を理解する必要はなく「是不是,然不然(是とは不是であり、然とは不然である。正しいことは正しくなく、そうあることはそうではない)」という混沌とした認識が物を知ることの境地だと考えました。
 
荘子の人生観は厭世的かつ悲観的、消極的なものでした。荘子はこう言っています「人生天地之間,若白駒過郤,忽然而已(人生とは天地の間において白馬が溝を通り過ぎるように忽然と終わってしまう)。」
「以生為附贅縣疣,以死為決疣潰癰(生とは疣や瘤と同じで、死とはそれらがつぶれるのと同じだ。「生死とはたわいもないものだ」、または、「生は苦痛で、死は解放だ」という意味です)。」
そのため荘子は自ら貧賤に甘んじ、人と争おうとせず、積極的に生きることを嘲笑するかのように、努めて自由奔放に振る舞おうとしました。
 
荘子の政治理念も老子の思想を発展させています。荘子の理想は「山無蹊隧,沢無舟梁,万物群生,連属其郷(山には小路も隧道もなく、沢には舟も橋もなく、万物が群生し、住む場所を連ならせている)」「同与禽獣居、族与万物並、悪乎知君子小人哉(禽獣と共に住み、万物と並んで族となる。君子や小人という区別は必要ない)」という社会です。
荘子にとって、文明とは排斥するべきものであり、倫理道徳を説いて人々を治めようとする聖人は譴責するべき対象でした。荘子はこうとも言っています「絶聖棄知,大盗乃止。摘玉毀珠,小盗不起。焚符破璽,而民朴鄙。掊斗折衡,而民不争。残天下之聖法,而民始可与論議擢乱六律,鑠絶竽瑟,塞瞽曠之耳,而天下始人含其聡(聖人を絶って知識を棄てれば大盗がいなくなる。玉を棄てて珠を砕けば小盗が起きなくなる。符を焼いて璽を破壊すれば、民が朴実になる。斗衡(秤)を壊して棄てれば民が争わなくなる。天下の聖法をことごとく破壊すれば、民が始めて論議できるようになる。六律(音律)を乱して竽瑟(楽器)を廃棄し、瞽曠春秋時代の楽師)の耳を塞げば、天下の人が始めて耳を正しくすることができる)
荘子にとっては、文明とは人々の生活を乱すものであり、聖人が作った道徳規則があるために人々は自由になれず、音律や楽師が定めた決まりがあるために人々は耳を正すことができないと考えました。
そのため、統治者に対しても厳しい非難をしています。「不仁之人決性命之情而饕富貴(不仁の人(統治者)は性命の情(人の本性)を棄てて富貴を貪っている)。」これは民衆の困苦を顧みず富貴に耽る支配者層に向けた言葉です。
また、兼併を続ける諸侯を非難する有名な言葉も残しています「窃鈎者誅,窃国者為諸侯。諸侯之門而仁義存焉(鈎を盗んだ者は誅殺されるが、国を盗んだ者は諸侯になる。そして諸侯の門に仁義が存在している。)
荘子は功を立てて名を成した者を嘲笑い、統治者が唱える仁義というものにも疑問を呈しました。
荘子の厭世思想は神仙思想と結びつき、道家道教という宗教に発展させていきました。
 
 
次回は墨子について書きます。