諸子百家 法家

今回は法家です。
 
まずは荀子です。
荀子は名を況、字を卿といい、趙国の人です。十五歳で斉国の稷下で遊学を始めたといわれています。斉で祭酒(学長)を三回担当してから楚国に移り、楚の春申君によって蘭陵令に任命されました。しかし讒言に遭ったため趙で遊学してから秦に入ります。晩年になって再び楚に帰りました。
荀子には多数の門人がおり、中でも韓非や李斯が有名です。
現存する『荀子』三十二篇のうち、大半が荀子本人によって書かれたものだといわれています。
 
通常、荀子儒家に列しますが、法家の発展に大きな影響をもたらしたのでここでは法家として紹介します。
 
荀子は人格化された意識を持つ「天」の存在を否定しました。荀子はこう言っています「列星随旋,日月逓照,四時代御,陰陽大化,風雨博施(星々が連なって旋回し、太陽と月が交互に照らし、四季が代わる代わる訪れ、陰陽が交感して万物が大化し、風雨が広く施しを与える)。」
天には天の規律があり、統治者の善悪によって変わるわけではない、政治の善し悪しが豊作や天変地異をもたらすことはないというのが荀子の考えです。荀子はこうも言っています「天行有常,不為堯存,不為桀亡(天の動きには決められた規則があり、堯によって存続するのではなく、桀によって亡ぶのでもない)。」
当時は統治者が悪政を行ったら天譴が起きると信じられていました。荀子はこれを否定して、「天人之分」を主張しました。「人は天(自然界)の規則に従っていれば良い結果を得られるが、逆らったら禍を受ける。また、天が人事に関与することはなく、国家の治乱は社会そのものに原因がある。よって、人は迷信に奔らず、天を利用して自然を改造することで、人類の利益としなければならない」という考えです。荀子の言葉を紹介します「大天而思之,孰与物畜而制之。従天而頌之,孰制天命而用之。望時而待之,孰与応時而使(天を尊重して思慕するくらいなら、天を物質とみなして制御したほうがいい。天に従って讃頌するくらいなら、天の規則を把握して利用した方がいい。時を望んで待つくらいなら、時に応じて利用した方がいい)。」
 
荀子は、肉体があって始めて精神が生まれると考えました。「形具而神生(形が備わってから精神が生まれる)」です。この対極にあるのが道家の思想で、例えば荘子は「神(精神。霊魂)は道から生まれ、道が全ての根幹にある。形(肉体)は神によって動かされている」と考えました。道家のように心霊的なものが先にあると考える思想を唯心思想、荀子のように物質的なものが先にあると考える思想を唯物思想といいます。
 
事象の認識に対して、荀子はこう言いました「凡以知,人之性也。可以知,物之理也(事象を認識できるのは人の本性である。事象が人によって認識されるのは、自然の理である)。」
そして人がもつ認識の能力(知覚)と、人によって認識される客観的な存在(事象)が結合して積み重ねられた時、智(知識。智慧が生まれます。これが「知有所合謂之智(知覚が合したものを智という)」です。
荀子は認識の過程を二段階に分けました。一つは「縁天官」で、目体等の感覚器官と周囲に存在する色味等の接触を指します。感覚感性による認識段階です。
もう一つは「心有徴知」で、心が感覚に対して分析を行う段階です。理性による認識段階にあたります。
荀子はこう言っています「心居中虚,以治五官,夫是之謂天君(心は胸中の空虚な場所におり、五官を管理している。これを天君という)。」荀子は五官を「天官」、心を「天君」と呼び、心が体の中枢で天官(感覚器官)を管理していると考えました。
そのため、心が無い状態(心不在焉)では、白黒の物が目の前にあっても見えず、耳の傍で雷が鳴っても聞こえず、ひどい場合には錯覚を生み出すこともあると言っています。
 
荀子は知ることよりも行動することを重視しました。「不聞不若聞之,聞之不若見之,見之不若知之,知之不若行之,学至于行而止矣(聞かないよりも聞いた方がいい。聞くだけよりも見た方がいい。見るだけよりも知った方がいい。知るだけよりも実践した方がいい。学問の最終目標は実践であり、実践して始めて止めることができる)」と言っています。
これは消極的な道家に対する否定であり、実践を重視した墨家思想の発展でもありました。
 
荀子孟子の「性善論性善説」に反対し、「性悪論性悪説」を主張しました。荀子が考える「性」とは生理的本能です。荀子はこう言っています「目好色,耳好声,口好味,心好利,骨体膚肌好愉悦,是皆生于人之性情者也(目は美しい色を好み、耳は美しい声を好み、口は美味を好み、心は利を好み、骨肉や皮膚は愉悦を好む。これは全て人の性情から生まれたものである)。」
人の本性とは気持ちがいいものを好み、利益を追求するものです。そのため、もし人の本性に従ったら必ず奪い合いが始まります(「従人之性,順人之情,必出于争奪」)。これが「性悪論」です。
荀子は、争奪を避けるためには聖人が制定した礼法を守って人の性を善に向かわせなければならないと考えました。よって人の「善」は「性(本性)」ではなく、「偽(人為的にできたもの)」とみなされます。
 
社会観において、荀子は人が社会性をもつ動物であることに着眼しました。「人能群,彼不能群也(人は群れになることができるが、動物は群れになることができない)」と言っています。
そして群れとしての社会において「礼」が必要だと考えました。礼とは人間社会の秩序を守る規範です。荀子は「隆礼(礼を興隆させる)」を主張したため、多くの場合、儒家とみなされますが、荀子の「礼」は純粋な周礼ではなく、法と結合した新しい社会の秩序でした。
 
政治思想において、荀子は王道を推奨し、覇道に反対しました。
また、孟子の「法先王(堯といった先王に法る)」という主張に対し、「法後王西周の王に法る)」を主張しました。王権、君権を至上なものとみなす思想で、法家の理論に近づいています。しかし民の存在も重視しており、「君者,舟也。庶人者,水也。水則載舟,水則覆舟(国君は舟で、民衆は水である。水は舟を載せることもあれば、舟を転覆させることもある)」と警告しました。
儒家と法家の過渡期にあると言えます。
 
 
次は韓非です。
韓非は韓国出身の貴族です。口吃(どもり)でしたが文章を得意としました。
現存する『韓非子』の多くの内容は韓非自身によって書かれたものです。秦王が韓非の書を読んで気に入り、秦国に招きましたが、同学の李斯に讒言されて獄中で自殺しました。
 
法家は韓非以前に商鞅の「明法」、申不害の「用術」、慎到の「任勢」という考えが存在していました。韓非は三者を融合して法家思想を大成させます。
韓非は、国を治めるためには必ず法を明らかにする必要があり(明法)、同時に賞罰は身分に関係なく厳格な態度で行わなければならないと考えました。「刑過不避大臣,賞善不遺匹夫(刑罰は大臣を避けず、褒賞は匹夫も漏らさない)」と言っています。
しかも韓非は、刑は重くして賞は少なくするべきだと説きました。仁義よりも刑法の方が人に対する抑制力を発揮できると考えたからです。「厳家無悍虜,而慈母有敗子(厳しい家には凶悪な奴隷がなく、慈母には失敗した子ができる)」と言っています。
「術」というのは君王が群臣を操る時に使う権術です。人を知ってうまく用いることができれば、人は才を尽くして仕え、功績を立てることができます。信任した者に群臣を監視させて臣下の動きを掌握するといった君王の策謀も「術」に含まれます。
「勢」とは君主の権勢・地位を指します。韓非は「君主となる者は権力を手放してはならない」と主張しました。「事在四方,要在中央。聖人執要,四方来効(事は四方にあり、要は中央にある。聖人が要を掌握すれば、四方が集めって力を尽くす)」と言っています。
 
思想哲学において、韓非は老子の「道」を「万物に存在する客観的な規律」と解釈しました。天地、日月、五行、四時(四季)等の自然現象や社会の活動は全て「道」に支配されており、それは実際に存在し、しかも人によって認識できるものだと考え、こう言いました「今道雖不可得聞見,聖人執其建功処以見其形(今、道は見聞きできないが、聖人が道を使って立てた功績から、その形を見ることができる)。」
こうして韓非は「道」を老子の神秘的な概念から脱却させました。
韓非は鬼神や占卜等も迷信として退けました。「亀筮鬼神,不足挙勝。左右向背,不足以専戦。然而恃之,愚莫大焉(亀筮鬼神は勝利を判断できない。星の動きからは戦果を予言できない。それでもこういったものに頼るのは、愚の最も大きなものである)」と言っています。
 
韓非は荀子の認識論を継承しました。器官による感覚と思考による認識を強調し、先見的な知識(前識)老子が説く「不見而知(見ずに知る)」という境地を否定してこう言っています「先物行,先理動,謂之前識。前識者,無縁而妄意度也(物が現れる前に行い、道理が明らかになる前に動く、これを前識という。前識とは根拠がなく適当に想像して得たものである)。」
韓非は「参験」という方法で物事の是非を判断するように主張しました。「参」は比較対照、「験」は検証の意味で、一つの事物を各方面から詳しく調べ、互いに参照し、比較して正確な判断を導くという方法です。例えば刀は見ただけでは鋭利かどうかわからず、馬は見ただけでは足が速いかどうかわかりません。人を用いる時も同じで、実践の中から考察しなければ賢愚優劣の判断はできないものです。
これらの考えは荀子の思想を発展させたものです。
 
韓非は、歴史とは絶えず進化するものだと考えました。上古の世は樹木で家を構え、木を擦って火を起こし、草木を食べて禽獣の皮を着ました。中古の世は鯀・禹が治水を行った時代でした。近古の世は湯武(商の成湯と西周の武王)が征誅を行った時代でした。そして当今の世(戦国時代)は力を争う時代になっています。時代の条件が異なれば治国の方法も異なって当然なので、「聖人不期修古,不法常可(聖人は復古を期待せず、旧習慣例に倣うこともなかった)」と主張し、儒家墨家復古主義に反対しました。
 
韓非は荀子の性悪論を発展させ、「人の本性は自己中心的なもので、人と人との関係は相互に利用するものだ」と考えました。例えば雇い主が労働者に飲食や金銭を与えるのは、労働者を愛しているからではなく労働者を使うことによって利益を得るためです。労働者が力を尽くすのも主人を愛しているからではなく、労働によって報酬を得たいからです。父子、夫婦、君臣の間にも同じように利害関係が存在します。よって人君となる者は人々の「利を追って害を避ける」という心理を利用することで、民を統治するべきだと考えました。そこで必要になるのが賞罰の制度です。
このように韓非は人の本性を根拠にして法治の必要性を説明しました。
 
 
次回は名家、兵家、陰陽家、雑家についてまとめて書きます。

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