秦楚時代 趙高と李斯の陰謀

始皇帝三十七年(前210年)始皇帝が死にました。趙高が胡亥と李斯を陰謀に誘います。

秦楚時代8 秦始皇帝(八) 始皇帝の死 前210年(1)

以下、『史記李斯列伝(巻八十七)』からです。
 
趙高は扶蘇に届けるために準備された璽書を留めて公子胡亥にこう言いました「上(陛下)が崩じましたが、諸子を王に封ずる詔はなく、ただ長子扶蘇だけに書を賜りました。長子が来たら即位して皇帝になりますが、子(あなた)には尺寸の地もありません。どうするつもりですか?」
胡亥が言いました「同然なことだ。私は『明君は臣を知り、明父は子を知る(明君知臣,明父知子)』と聞いている。父が捐命(命を失うこと)して諸子を封じなかったとしても、(君父の決定に対して)何も言うことはない。
趙高が言いました「それは違います。今、天下の権と存亡は子(あなた)と高(私)と丞相にあります。子(あなた)はよく考えてください。人を臣にするのと人の臣にされるのとでは、また人を制するのと人に制されるのとでは、同日に語ることはできません。
胡亥が言いました「兄を廃して弟を立てるのは不義だ。父の詔を奉じず死を畏れるのは不孝だ。能が薄く材が譾(浅薄)なのに人に頼って強引に功を為すのは(原文「彊因人之功」。意訳しました)不能だ。三者が徳に逆らったら天下は服さず、身は傾危(危険)に遭い、社稷は血食(祭祀)を受けられなくなる。」
趙高が言いました「湯商王朝の成湯)も武西周武王)もその主を殺しましたが、天下は義と称して不忠とはしませんでした。衛君はその父を殺しましたが、衛国はその徳を記録し、孔子もそれを著して不孝としませんでした(いつの事件を指すのか分かりません)。大事を行う時は小謹を行わず(小事に拘らず)、徳を盛んにする時は辞讓(辞退謙譲)しないものです。郷曲(郷里)にはそれぞれ相応な決まりがあり、百官の功(功績、功労。または勤務の方法)も異なります。よって小を顧みて大を忘れたら後に必ず害を招きます。狐疑(疑い深くなること)猶豫(躊躇)したら後に必ず悔いることになります。決断して敢行すれば鬼神も避けて将来必ず功を成せるものです。子(あなた)(私の計画に)従うことを願います。
胡亥が嘆息して言いました「大行(大喪)はまだ発しておらず、喪礼も終わっていない。このような事で丞相を煩わせるわけにはいかない。」
趙高が言いました「時とはとても短いので謀を及ぼす暇もありません。(我々は)贏粮躍馬(食糧が豊富で馬も元気なこと。戦いの準備が整っていること)な状態にあります。ただ時を失うのを恐れるだけです。」
胡亥はついに趙高の言に同意しました。
趙高が言いました「丞相と謀らなければ恐く事は成せません。臣が子(あなた)のために丞相と謀ることをお許しください。
こうして趙高が丞相李斯に会いに行きました。
 
趙高が言いました「上(陛下)が崩じて長子に書が賜われました。咸陽で喪に参加させて嗣(後嗣)に立てるつもりです。しかし書はまだ届けられず、上が崩じたので知る者もいません。長子に賜る書と符璽は全て胡亥の所にあります。太子を定めるのは君侯(あなた)と高(私)の口しだいです。この事をどうするつもりですか?」
李斯が言いました「亡国の言を語ることができるか!これは人臣が議すべきことではない!」
趙高が言いました「君侯(あなた)は自ら蒙恬と較べてどちらに能があると思いますか?蒙恬と較べてどちらの功が高いと思いますか?蒙恬と較べてどちらが遠謀で失敗することがないと思いますか?蒙恬と較べてどちらが天下における怨がないと思いますか(どちらが民に好かれていますか)蒙恬と較べてどちらが長子にとって旧(関係が長くて深いこと)であり、信があると思いますか?」
李斯が言いました「その五者は全て蒙恬に及ばない。しかし君はなぜこのように深く私を責めるのだ?」
趙高が言いました「高(私)は元々内官の厮役(奴僕)に過ぎませんでしたが、幸いにも刀筆の文によって秦宮に進められ二十余年にわたって事を管理してきました。その間、秦によって免罷(罷免)された丞相功臣で、封を受けて二世(子孫の代)に及ぼした者は見たことがなく、皆、誅亡しています(丞相の位を失った者は皆殺されました)。皇帝には二十余子がおり、全て君(あなた)も知っています。長子は剛毅で武勇があり、人を信じて士を奮わせることができます。彼が即位したら必ず蒙恬を用いて丞相にするでしょう。君侯(あなた)が通侯の印を懐にしまって郷里に帰ることができなくなるのは明らかです。高(私)は胡亥を教習するように詔を受け、法事を学ばせて数年になりますが、まだ過失を見たことがありません。胡亥は慈仁篤厚な人物で、財を軽んじて士を重んじ、心は聡明ですが口は巧みでなく(原文「辯於心而詘於口」。誠実で巧言を弄さないという意味)、礼を尽くして士を敬い、秦の諸子で及ぶ者はいません。彼こそ嗣に立てるべきです。君(あなた)が計って定めてください(または「あなたはよく考えて決断してください。」原文「君計而定之」)。」
李斯が言いました「汝は自分の職務に帰れ(君其反位)。斯(私)は主の詔を奉じ、天の命を聴くだけだ。考慮して決定することなどない。
趙高が言いました「安全は危険となり、危険は安全となります(安可危也,危可安也)。安危を定められなくて貴聖(尊貴で聡明)といえますか?」
李斯が言いました「斯は上蔡の閭巷に住む布衣に過ぎなかったが、幸いにも上(陛下)に抜擢されて丞相になり、通侯に封じられ、子孫も皆、尊位重禄に至った。だから(陛下は)存亡安危を臣に任せたのだ。どうして裏切ることができるか!そもそも忠臣とは死を避けないから成り立つのだ(忠臣不避死而庶幾)。孝子とは勤労でなければ危難に遭うものだ。人臣はそれぞれが自分の職を守っていればいい。君はこれ以上この話をして斯(私)に罪を得させるな。」
趙高が言いました「聖人は遷徒無常(常道がなく自在に変化すること)で変化に応じて時に従い、末を見て本を知り、指(動向)を見て帰趨を予知することができると聞いたことがあるでしょう。物(事象)とは元々そういうものであり、常法など存在しません。今、天下の権命(権力と命運)は胡亥に懸かっており、高(私)は志を得ることができます。外から中を制すことを惑(乱)といい、下から上を制すことを賊といいます(恐らく外と下は李斯。中は趙高。上は胡亥)。秋霜が降ったら草花が落ち、水が揺れ動いたら(氷が融けたら。春が来たら)万物が作られるのは必然の效(結果)です。君(あなた)はなぜそれらを見るのが晩いのですか?」
李斯が言いました「晋は太子(申生)を換えて三世が不安になり、斉桓兄弟(小白と糾)は位を争って身が殺戮され、紂は親戚(比干)を殺して諫言を聴かなかったために国が丘墟となって社稷を危うくした。三者は天に逆らったから宗廟が血食(祭祀)を受けられなくなったのだ。斯(私)はまだ人である。謀に足るはずがない(人である以上は天に従わなければならないから陰謀には参加できない)
趙高が言いました「上下が合同(協力)すれば長久を得られます。中外が一つになれば事に表裏がなくなります。君(あなた)が臣の計を聴けば長く封侯となり、世世(代々)(封侯の自称)と称し、必ず喬松(王子喬と赤松子。仙人)の寿と孔墨孔子墨子の智を得られます。今、この機会を放棄して従わなかったら、禍は子孫に及び、心を寒くさせるに足りるでしょう。善者は禍を福とするものです。君(あなた)はどう対処するつもりですか?」
李斯は天を仰いで嘆き、涙を流して嘆息してから言いました「ああ(嗟乎)、乱世に遭ってしまったから死ぬこともできない(死んで忠を尽くすこともできない)。どこに命を託せばいいのだ!」
ついに李斯は趙高の陰謀に同意しました。
 
趙高が胡亥に報告して言いました「臣が太子(胡亥)の明命を奉じて丞相に知らせました。丞相斯が令を奉じないはずがありません。
こうして三人は共謀し、始皇帝が丞相に与えた詔を偽造して胡亥を太子に立てました。