秦楚時代 張良と老父

張良劉邦と合流しました。

秦楚時代16 秦二世皇帝(七) 陳勝の死 前208年(2)

張良始皇帝二十九年(前218年)始皇帝暗殺を謀って失敗した人物です。

暗殺未遂事件から劉邦に出会うまでの張良について『史記・留侯張良世家(巻五十五)』から紹介します。
 

始皇帝暗殺に失敗した張良は姓名を変えて下邳に隠れました。

ある日、張良が下邳の圯(橋)の上を悠々と歩いた時、一人の老父に出会いました。老父は粗末な服を着ており、張良の所まで来ると履物を圯の下に落としました。

老父が張良を見て言いました「孺子(若者)よ。下りて履物を取って来なさい。」

張良は驚いて殴ろうかと思いましたが、相手が年老いているため無理に我慢して履物を取って来ました。

老父が言いました「わしに履かせなさい。」

張良は既に履物を取ってきたので、あえて拒否せずそのまま長跪して履物を履かせました。

老父は足を延ばして履かせてから笑って去っていきます。

張良はとても驚いて暫く老父を目で追っていました。

老父は一里ほど去ってから戻って来てこう言いました「孺子には教えることができる(孺子可教矣)。五日後の平明(空が明るくなる頃)、わしに会いにここに来なさい。」

張良は不思議に思いましたが、跪いて「はい(諾)」と答えました。

 

五日後の平明、張良が老父に会いに行きました。

すると老父は既に来ており、怒ってこう言いました「老人と約束したのに遅れて来たのはなぜだ。」

老父は「五日後の早朝に会おう」と行って去ってしまいます。

五日後、張良は鶏が鳴き始めた時に会い行きました。しかしやはり老父が先に来ており、また怒って言いました「遅れたのはなぜだ。」

老父は「五日後の早朝にまた来なさい」と言って去りました。

五日後、張良は夜半に出発しました。

暫くしてから老父が現れ、喜んで言いました「こうであって当たり前だ。」

老父は一篇の書を取り出して言いました「この書を読めば王者の師となれる。十年後に興り、十三年経ったら孺子は済北でわしに会うことになる。穀城山下の黄石がわしだ。」

老父は他には何も言わずに立ち去り、その後、姿を現すこともありませんでした。

空が明るくなってから書を見ると『太公呂尚兵法』でした。張良は奇異に思って常に書を熟読するようになりました。

 

張良は下邳で任俠(狭義の事を行う者)として日々を送りました。かつて項伯項羽の親族)が人を殺して張良と一緒に身を隠したこともありました。

 

十年が経ち、陳渉等が挙兵しました。張良も少年(若者)百余人を集めます。

景駒が楚の假王に立って留(地名)に駐留すると、張良は帰順するために留に向かいました。道中で沛公・劉邦に会います。

沛公は数千人を率いて下邳の西を攻略しているところでした。

張良は沛公に属すことにし、沛公は張良を厩将に任命しました

 

張良はしばしば『太公兵法』を引用して沛公に策を献じました。沛公は張良を気に入って常にその策を用いるようになります。

張良は他の者にも『太公兵法』を引用して策を語りましたが、誰も理解できませんでした。

張良が言いました「沛公は天から授けられた人材だ(沛公の才は天から授けられたものだ。原文「沛公殆天授」)!」

張良は沛公の下に留まり、景駒へは帰順しませんでした。

 

張良の智謀は劉邦の天下統一を大いに助けることになります。