西漢時代に入る前に
概略
春秋戦国という長い分裂の時代に終止符を打ち、天下を統一したのは秦でした。
しかし秦は始皇帝死後、すぐに混乱状態に陥り、天下は再び分裂します。
しかし王莽政権は短期間で滅び、劉氏の皇族が再び天下を治めます。
西漢は大きく分けると;
2、文帝と景帝の時代
3、武帝の時代
4、昭帝以降の時代
に分けられます。
西漢は秦の郡県制を引き継ぎましたが、同時に皇族や功臣を王に分封して、王国の存在も認めました。「郡県制」と「分封制」が共存する西漢の制度を「郡国制」といいます。各地の諸侯王国は朝廷が直接統治する郡県とは異なり、半独立状態となりました。
しかし統一して間もなく、韓信、彭越、英布といった諸侯王が粛清されます。
功臣の粛清が終わり、異姓王がほぼ全滅した頃、劉邦は死にました。
しかし呂后が死ぬと劉氏皇族を支持する勢力により奪権が行われます。
呂氏一族は滅ぼされ、文帝と景帝の時代を迎えました。
文帝・景帝の時代は休息の時代といえます。
この時代は、租税を軽くし、刑罰を見直し、軍事行動も控え、人々は平和を享受しました。この治世を「文景の治」といいます。
但し、完全に何もない時代ではありません。
劉邦は異姓王を粛清し、皇族の王を増やしましたが、文帝・景帝の時代になると、劉姓の王が各地で大きな勢力を持つようになりました。
そこで、朝廷は劉姓の王が擁す勢力を削減し始めます。
これに対して各地の諸侯王が挙兵しました。「呉楚七国の乱」の勃発です。
結局、各地の諸侯王は戦いに敗れ、勢力が大きく削がれました。
「呉楚七国の乱」は漢朝廷の勢力が諸侯王国の勢力を圧倒し、中央集権体制が固められるきっかけとなった重要な事件です。
文帝・景帝の時代を継いだのは武帝です。
文帝・景帝の時代、人々は休養し、大きな戦争も無く、国庫が潤いました。
武帝はそれまでの穏やかな政治から、外に向かう政治に切り替えました。
主な矛先は北方の匈奴です。
衛青、霍去病、張騫、李陵、蘇武等、西漢を代表する英雄たちが活躍するのは、まさにこの時代です。
対外的に積極的な政策を行う一方、武帝は対内的にも皇帝権を拡大するために改革を行いました。
丞相の権限を抑えるために「中朝」を設けたり、全国の監視を強化するために天下を十三州に分けて刺史を派遣しました。
武帝の在位期間は五十年以上という長さで、その間に多くの改革がおこなわれました。
統一貨幣を鋳造したり、均輸・平準法等の経済的措置を実施したのも武帝です。
しかし度重なる戦争は国費を圧迫し始めました。
武帝の晩年は黄金時代の勢いを失います。
しかしこの時代は武帝の余光の時代と言っていいほど精彩を欠きます。
西漢歴代皇帝
孝恵皇帝(恵帝) 劉盈
前少帝 名不明(呂后専横)
後少帝 劉弘(呂后専横)
太宗孝文皇帝(文帝) 劉恒
孝景皇帝(景帝) 劉啓
孝昭皇帝(昭帝) 劉弗陵
廃帝 劉賀
中宗孝宣皇帝(宣帝) 劉詢
孝成皇帝(成帝) 劉驁
孝平皇帝(平帝) 劉衎
孺子 劉嬰
参考文献
西漢時代の地図です。『中国歴史地図集(第二冊)』を参考にしました。
西漢時代 高帝(一) 劉邦即位 前202年(1)
西漢時代目録(上)
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