西漢時代88 武帝(七) 趙佗の死 前137~136年
甲辰 前137年
夏、血のように赤い風が吹きました。
六月、旱害がありました。
秋九月、東北に孛星(異星。彗星の一種)が現れました。
この年、南越王・趙佗が死んで孫の文王・趙胡が立ちました。
*1983年に広東省広州市で南越王の墓が発掘されました。ここが南越文王の墓とされています(現在は「西漢南越王博物館」になっています)。但し、発掘された玉印には「趙昧」と刻まれていたため、文帝の名は「趙胡」ではなく「趙昧」が正しいとする説もあります。
乙巳 前136年
春、三銖銭が廃されました。
代わりに新しい半両銭が発行されました。
この半両銭は文帝時代の半両銭と同じ四銖銭(文帝前五年・前175年)のようです。
『五経』博士を設立しました。
夏四月、平原君が死にました。
五月、大蝗害がありました。
秋八月、広川王・劉越(恵王)と清河王・劉乗(哀王)が死にました。二人とも景帝の子です。
劉乗には子がいなかったため、清河王国は廃されました。
次回に続きます。