西漢時代300 哀帝(十五) 鮑宣の上書 前2年(3)

今回も西漢哀帝元寿元年の続きです。
 
[] 『資治通鑑』からです。
哀帝建平二年(前5年)に王莽が封国に帰されました。
王莽は門を閉じて人に会わず、自分の行いを正しました(杜門自守)
ある日、王莽の中子王獲が家奴を殺したため、王莽は王獲を厳しく譴責して自殺させました。
 
王莽が封国に帰ってから三年が経ち、その間に吏民で王莽の冤罪を上書する者が百数(百以上)に及びました。
本年、日食が起きて賢良の周護、宋崇等が皇帝の問いに答えた時、彼等も王莽の功徳を強く訴えました。
哀帝は王莽と平阿侯王仁(王政君の弟王譚の子。王莽と同じ時に封国に帰されました)を京師に呼び戻し、太后(王政君)に仕えさせました。
 
[] 『資治通鑑』からです。
日食の変異があったため、董賢がこれを理由にして傅晏と息夫躬の策(軍備を教化して匈奴に備える策)に反対しました。
辛卯(中華書局『白話資治通鑑』は「辛卯」を恐らく誤りとしています)哀帝が傅晏の印綬を没収し、罷免して家に帰らせました(罷就第)
漢書百官公卿表下』には、「辛卯」ではなく「辛亥」に「(傅晏に)安車駟馬を下賜して罷免した」と書かれています。
 
[] 『漢書哀帝紀』と『資治通鑑』からです。
正月丁巳(十七日)、皇太太后(傅太后哀帝の祖母)が死にました。
太后は渭陵元帝陵)に合葬され、孝元傅皇后と称されました(傅氏は元帝が生きていた時は昭儀でした。死後に合葬されて皇后と称されました)
 
[] 『資治通鑑』からです。
丞相や御史大夫が上奏して息夫躬、孫寵等の罪過を弾劾しました。
哀帝は息夫躬と孫寵の官を免じて封国に派遣します。
また、侍中、諸曹、黄門郎の数十人を罷免しました。
資治通鑑』胡三省注によると、全て丁氏と傅氏の親党です。
 
鮑宣が上書しました「陛下は父に仕えるように天に仕え(父事天)、母に仕えるように地に仕え(母事地)、子を養うように黎民(民衆)を養っています(子養黎民)。しかし即位以来、父(天)が明を損ない、母(地)が震動し、子(民衆)が訛言(虚言。噂)を流して互いに驚恐しており、しかも今回、日食が三始(正月朔。三朝)にあったので、誠に畏懼するべきです。小民は正朔の日に器物を毀敗(破損)しただけでも恐れます。日虧(日が欠けること。日食)ならなおさらでしょう。陛下は深く内心で自責し、正殿を避け(「避正殿」。災害等があった時、帝王は自分を責めるために正殿から離れて起居しました)、直言を挙げ、過失を求め、外親および旁仄素餐の人(皇帝の左右にいて俸禄を受けているだけの無能な人)を罷免して退け、孔光を召して光禄大夫に拝し、孫寵と息夫躬の過悪を発覚(発見)して免官のうえ国に就かせたので(遣就国)、衆庶は歙然(和睦、安定した様子)とし、悦喜しない者はいません。天と人は同心なので、人心が悦べば天意(天の怒り)が解けます。ところが、二月丙戌(十六日)に白虹(『資治通鑑』胡三省注によると、虹の周りに現れる気で、白は兵を表します)が日を侵し、連日曇っているのに雨が降りません。これは天下の憂愁が結ばれてまだ解けておらず、民に怨望があってまだ塞がれていないからです。侍中駙馬都尉董賢は本来、葭莩の親(遠い親戚の関係。「葭莩」は葦の茎内にある薄膜で、関係が薄い親戚の比喩として使われます)もなく、ただ令色(善色。美色)、諛言(阿諛)によって自ら進んだのに(『資治通鑑』胡三省注は、「令色には質(本質)がなく、巧言には実がない」と書いています)、賞賜に度がなく、府臧(府庫。財物)を使い果たし、三第(三つの邸宅)を合わせてもまだ小さいと思い、更に暴室を壊しています後宮の暴室の地を奪おうとしています)。董賢の父と子も坐したまま天子の使者を使い、将作(将作大匠)が邸宅を築き、行夜の吏卒(夜間、董賢の屋敷を巡邏する吏卒)も皆、賞賜を得ており、上冢(墓参り)して会があったらいつも太官が供しています(必要な物を提供しています)。海内の貢献(貢物)は本来一君を養うものですが、今は逆に全て董賢の家に行っています。これが天意と民意でしょうか。天には久しく逆らうことができません。このように厚く遇すのは、それによって逆に害すことになります。もし董賢を哀れもうと欲するのなら、彼のために天地に対して過失を謝り、海内の讎を解き、罷免して国に就かせ(免遣就国)、乗輿・器物を回収して県官(朝廷)に還すべきです。こうすれば父子がその性命を全うできますが、こうしなければ海内が仇とするところとなり、久安を得られなくなります。孫寵と息夫躬は国にいるべきではないので(封国を有すべきではないので)、どちらも(侯位を)免じて天下に示すべきです。再び何武、師丹、彭宣、傅喜を召し、広く民の考えを改めさせ(曠然使民易視)、それによって天心に応じて大政を建立し、太平の端を興すべきです。」
哀帝は鮑宣の意見が尋常なものではない思い、心を動かされました。鮑宣の言を採用して何武と彭宣を招きます。
鮑宣自身は司隸に任命されました。
但し、董賢の地位はそのままでした。
 
 
 
次回に続きます。