東漢時代120 章帝(二十六) 南単于の上書 88年(3)
今回も東漢章帝章和二年の続きです。
五月、京師で旱害がありました。
秋七月、南単于が東漢に上書しました「北虜の分争に乗じて出兵討伐するべきです。北を破って南を完成させ(破北成南)、併せて一国とすれば、漢家に長く北念(北方の憂い)を無くさせることができます(北匈奴が滅亡して南匈奴が漢の北の国境を守れば、漢には北の憂いがなくなります)。臣等は漢地で生長し(生まれ育ち)、口を開いて食べ物を仰いでおり(漢のおかげで生活ができており。原文「開口仰食」)、歳時(四季)の賞賜はいつも億万に上っています(動輒億万)。何もすることなく枕を高くしていますが(原文「垂拱安枕」。「垂拱」は拱手して何もしないこと、「安枕」は安眠することです。ここではどちらも太平を享受していることを表します)、恩に報いて尽力するという義がないことに慚愧しています(慙無報效之義)。国中(南匈奴)と諸部(『資治通鑑』は「諸郡」としていますが、『後漢書・南匈奴列伝(巻八十九)』では「諸部」です。『資治通鑑』の誤りです)の故胡・新降の精兵(『資治通鑑』胡三省注によると、「故胡」は元から南匈奴に属す兵、「新降」は新たに北匈奴から投降した兵です)を徴発して、道を分けて並出し、期日を十二月に定めて虜地で合流することを願います。また、臣の兵衆は単少(稀少。寡弱)で内外を防ぐには足りないので、執金吾・耿秉、度遼将軍・鄧鴻および西河、雲中、五原、朔方、上郡太守を派遣して、力を併せて北に向かわせることを願い、聖帝の威神によって一挙して平定できることを期待します。臣国(南匈奴)の成敗は、本年に要があります(本年にかかっています。原文「要在今年」)。既に諸部に勅令して兵馬を整えさせました(厳兵馬)。ただ哀憐と省察(省みて善し悪しを考慮すること)を請うだけです(唯裁哀省察)。」
『資治通鑑』胡三省注(元は『資治通鑑考異』)によると、袁宏の『後漢紀』は「章和元年(前年)十月、南単于が上書した(略)。師(軍)が出る前に帝が寝疾(病で寝込むこと)した」と書いています。しかし范瞱の『後漢書‧南匈奴列伝(巻八十九)』では、本年七月に南単于が上書しており、文中に「孝章皇帝聖思遠慮」とあります。「孝章皇帝」は死後に贈られる諡号なので、范瞱の『後漢書』が正しいはずです。
耿秉が進言しました「昔、武帝が天下を単極(窮尽。財力を使い果たすこと)して匈奴を臣虜(臣僕)にしようと欲しましたが、まだ天時に遇わず、事が成りませんでした(匈奴を臣服させることができませんでした)。今、幸いにも天授に遭い(天が授けた好機に遭遇し)、北虜が分争しています。夷によって夷を伐つのは(南匈奴によって北匈奴を討伐するのは)国家の利です。許可するべきです(宜可聴許)。」
耿秉はこれを機に自分が国恩を受けているので命を捨てて尽力するのは当然だ(分当出命效用)と述べました。
太后はこれに従おうとしました。
しかし尚書・宋意が上書して反対しました「戎狄とは礼義を簡賎(軽視)して上下がなく、強ければ雄となり、弱ければ屈服するものです。漢興以来、征伐が頻繁に行われましたが、克獲(勝利収穫)が未だに害(損失)を補っていません。光武皇帝は自ら金革の難を服して(自ら戦乱を経験して。原文「躬服金革之難」。「金革」は「武器甲冑」です)天地の明を深く明らかにし(深昭天地之明)、(匈奴の)来降に乗じて籠絡・懐柔して養いました(羈縻畜養)。そのおかげで辺民が生を得て労役が休息し、今に至るまで四十余年になります(『資治通鑑』胡三省注によると、建武二十四年(48年)に南単于が降ってから四十一年(足掛け)になります)。最近は鮮卑が奉順(従順)で、(北匈奴の)万数を斬獲しました(前年)。中国は坐して大功を享受しており、百姓はその労を知りません。漢興功烈(漢が起きて以来の功業)はここにおいて盛んになっています。このようであるのは、夷虜が互いに攻撃しあい、漢兵を損なっていないからです。臣が察するに、鮮卑が匈奴を侵伐するのは、正に抄掠(略奪)を利としているからであり、功を聖朝に帰しているのは(戦功を東漢に報告しているのは)、実に(漢からの)重賞を貪り得たいからです。今もしも南虜が北庭に還都することを許したら、鮮卑を禁制しなければならなくなります(南匈奴が北匈奴を滅ぼして北に帰ったら、鮮卑の匈奴への侵略を禁止しなければなりません)。鮮卑は外に暴掠の願いを失い(匈奴に対して略奪を行う機会が無くなり)、内に功労の賞がなくなるので(東漢からの重賞もなくなるので)、豺狼(山犬や狼)のような貪婪が必ず辺境の憂患になります。今、北虜が西に遁走して和親を請い求めています。その帰附を利用して外扞(外の守り)とすれば、これを越える巍巍とした業(偉大な業績)はありません(巍巍之業無以過此)。もし兵を率いて賦(税。出費)を費やすことで南虜に順ったら、坐して上略(上策)を失い、安全から去って危険に向かうことになります(去安即危矣)。誠に同意してはなりません(誠不可許)。」
次回に続きます。