東漢時代 孫堅登場
東漢時代281 霊帝(十六) 孫堅登場 174年
ここでは『三国志・呉書一・孫破虜討逆伝』の本文と裴松之の注を元に孫堅について紹介します。
ある時、冢(墓)の上にしばしば光怪(光の怪現象)が現れ、雲気が五色になり、上は天に連なって数里に蔓延しました。衆人が皆、それを観に行きます。
父老が互いに「これは凡気(普通の気)ではない(是非凡気)。孫氏が興るだろう(孫氏其興矣)」と言いました。
鄰母はこう言いました「どうして吉徴(吉兆)ではないと分かるのですか(安知非吉徵也)。」
孫堅は若くして県吏になりました。
十七歳の時、父と共に船に乗って銭唐に到りました。
するとちょうど海賊・胡玉等が匏里(地名)から陸に上がり、賈人(商人)の財物を奪い取って岸の上で分けていました。
行旅(旅人)は皆、立ち往生し、船も進めなくなります。
父は「汝が図るところではない(汝が為すべき事ではない。汝の手に負えることではない。原文「非爾所図也」)」と言いましたが、孫堅は前に進むと刀を持って岸に上がり、手を振って東西を指し示し(以手東西指麾)、人兵(士兵)を分部(分派。配置)して賊を羅遮(包囲)しているように見せました。
遠くからそれを眺めた賊は官兵が捕まえに来たと思い、急いで財物を棄てて逃げ散ります。
孫堅は賊の後を追い、首級一つを斬って還りました。
孫堅の父は大いに驚きました。
後に会稽の妖賊・許昌が句章で挙兵し、陽明皇帝を自称しました。その子・許韶が諸県を扇動して部衆が万を数えます。