東漢時代292 霊帝(二十七) 中常侍呂強 179年(3)

今回も東漢霊帝光和二年の続きです。
 
[] 『資治通鑑』からです。
中常侍呂強は清忠(清廉忠直)で公事を優先していました。
霊帝が衆例(他の宦官の例)に則って呂強を都郷侯に封じようとしましたが、呂強は固く辞退して受け入れず、これを機に上書して政事について述べました「臣が聞くに、高祖の重約(重要な誓約)では、功臣でなければ侯になれません(非功臣不侯)。これは天爵(天子が与える爵位を重んじて勧戒(奨励すべきことと戒めるべきこと)を明らかにするためです。中常侍曹節等の宦官は祐(天の助け。福)が薄く、品格が低くて人も賎しいのに(品卑人賎)、讒諂(讒言と追従)によって主に媚び、佞邪によって寵を求め、趙高の禍があるのに轘裂(車裂)の誅を被っていません。陛下はこれを悟らず、妄りに茅土(封土。爵位を授け、国を開いて家を継ぐのに(封国を建てたり後継者を立てる時)小人を用いており(開国承家小人是用)(彼等は)それが家人にも及んで金印紫綬を積み重ね(重金兼紫)、互いに邪党を結んで下は群佞と親しくしています(交結邪党下比群佞)。陰陽が乖剌(調和しないこと)し、農業が荒廃し(稼穡荒蕪)、民の必要とする物が欠乏しているのは(人用不康)、全てこれが原因です(罔不由茲)。臣は封事を既に行ったら言が及ばないことを誠に知っています(既に行われた封爵について語っても意味がないことは理解しています。原文「臣誠知封事已行言之無逮」)。それでも死を冒して干觸(干渉)し、愚忠(愚臣の忠言)を述べるのは、実に陛下が既に犯した過ちを改めて、今後一切止めることを願うからです(実願陛下損改既謬従此一止)
臣はまた、後宮采女が数千余人もおり、衣食の費が日々数百金に上っているとも聞きました。最近は穀物が賎く(安く)なっているのに、各戸に饑色があります(食糧が少ないのに安くなっています)。法(法則、道理)に則るなら貴くなるべきなのに今、更に賎く(安く)なっているのは、賦発(徴収、徴発)が繁数(頻発、頻繁)なので、こうすることで(値を安くして)県官(朝廷)に納めているのです(原文「由賦発繁数以解県官」。『資治通鑑』胡三省注は「解」を「発」の意味としています。「発」には「交付する」という意味があります。朝廷が頻繁に穀物を徴発しているため、敢えて穀物の値を下げているというのは理解が困難です。官署や地方の政府が民に支払う金額を少なくするために穀物の値を下げたのかもしれません)。そのため(民は)寒くても服を着ることができず、飢えても穀物を食べることができず(寒不敢衣,飢不敢食)、民にこのような戹(厄。困苦)があるのに憐憫されません(莫之卹)。宮女が無用なのに後庭を填積しているので(満たしているので)、天下がたとえこれ以上、耕桑(農業)に尽力しても、まだ供給できません。
また、以前、議郎蔡邕を召して金商門で対問した時(陛下の問いに答えた時)、蔡邕は敢えて才徳を隠して国を迷わすことがなく(不敢懐道迷国)、切言(厳しい直言)を極めて(陛下の問いに)回答し、貴臣を毀刺(批難)して宦官を譏呵(譴責)しました。ところが陛下がその言を秘密にしなかったため、宣露(暴露)させることになり、群邪が勝手に振る舞って言語を使い尽くし(原文「群邪項領,膏唇拭舌」。「項領」は『詩経小雅節南山』の「駕彼四牡,四牡項領」が元になっています。「項領」は四頭の馬の首が太いことです。ここでは馬の首が太くて制御できないという意味で、大臣が勝手に行動しており、王が大臣を抑えられないことを喩えています。「膏唇拭舌」は膏を唇に塗って口を拭くことで、口舌を尽くすことの比喩です)、競って咀嚼(噛み砕くこと)を欲し、飛條(緊急の上書、または匿名の上書)を造作(作成)しました。すると陛下はそれに惑わされて誹謗を受け入れ(原文「回受誹謗」。「回」には「偏る」「惑乱」の意味があります)、蔡邕に刑罪をもたらし、室家を徙放(放逐)して老幼を流離させました。これは忠臣を裏切ることではありませんか(豈不負忠臣哉)。今は群臣が皆、蔡邕を戒めとし、上は不測の難を畏れ、下は剣客の害を懼れているので、臣は朝廷が再び忠言を聞くことはできないと知っています。故太尉段熲は武勇が並ぶ者がなく(武勇冠世)、辺事に習熟しており、幼年で従軍して老齢になってから功を成し(原文「垂髪服戎,功成皓首」。「垂髪」は冠礼前の髪、「皓首」は白髪の頭です)、二主霊帝桓帝に歴事(代々仕えること)して勲功業績が一人輝いていました(勳烈獨昭)。陛下は既に式序(功績の序列)によって(段熲の)位を台司(三公)に登らせたのに、(段熲は)司隸校尉陽球の誣脅(誣告と脅迫)によって一身が斃され(倒され)、妻子が遠播(遠くに遷すこと)されたので、天下が惆悵(憂愁、失意)して功臣が失望しています。蔡邕を召して授任を加え(官職を与え)、段熲の家属を戻すべきです。そうすれば忠貞の路が開け、衆怨が収まるでしょう(衆怨以弭矣)。」
霊帝は呂強の忠心を知っていましたが、進言を用いることができませんでした。
 
 
 
次回に続きます。