東漢時代357 献帝(三十九) 献帝東還 196年(2)
『資治通鑑』には、「張楊が自分の功労のおかげで還都できたと考えたため、宮殿の名を楊安にした」と書かれていますが、『三国志・武帝紀』の注は「張楊に宮室を繕治(修築)させたので、殿の名を楊安殿にした。八月、献帝が遷居した」と解説しています。
張楊が諸将に言いました「天子は天下がこれを共にするべきであり(天子は天下が擁すべきで、個人のものではない。原文「天子当與天下共之」)、朝廷には自ずから公卿大臣がいる。楊(私)は外に出て外難を防ぐべきだ(楊当出扞外難)。」
張楊は野王に還りました。
楊奉も京師を出て梁に駐屯します。
韓暹と董承は共に留まって宿衛になりました。
当時は宮室が焼き尽くされていたため、百官は荊棘を切り開き、破壊された壁や土丘の間で居住しました(『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』の原文は「百官披荊棘,依牆壁間」ですが、『三国志・魏書六・董二袁劉伝』では「百官披荊棘,依丘牆間」です。ここは『三国志』を元に意訳しました)。
しかし、ある者は牆壁(壁)の間で飢死し、ある者は兵士に殺されました。
『資治通鑑』胡三省注によると、尚書郎は三署(五官・左・右署)の郎から選ばれます。まず、尚書台に入ったら守尚書郎中と称し、一年経ったら尚書郎、三年経ったら尚書侍郎と呼ばれました。尚書侍郎は三十六人おり、秩四百石でした。一曹ごとに六人おり、主に文書を起草します。
[十] 『資治通鑑』からです。
当時、「漢に代わるのは当塗高(代漢者当塗高)」という讖言(予言)がありました。
袁術は自分の名と字がこれに応じていると考えました。
少し解説します。
「塗」は「途」に通じ、「道」を意味します。「当塗高」は「道に当たって高くなる(当道而高。「当道」は「道中にいること」、または「執政」「権力を握ること」です)」という意味で、『資治通鑑』胡三省注によると魏を指します。
また、宮門の両側に建てられた楼(両観闕)を「象魏」といい、道に当たって広大なものは象魏(魏)なので、「当塗高」は「魏」を指すともいわれています。
しかし袁術は「当塗高」が自分を指していると考えました。「術」は本来、城邑内の道を意味し、字の「公路」も道を意味するからです。
更に、袁氏は陳の出身なので、舜(土徳の帝王)の後代に当たるとされていました
しかし衆人で敢えて答えようとする者はいません。
主簿・閻象が進み出て言いました「昔、周は后稷から文王に至るまで、徳を積んで功を重ねてきましたが(積徳累功)、天下を三分してその二を有しても、なお殷に服事しました(周は天下の三分の二を有しても殷に仕えました)。明公は代々繁栄してきましたが(奕世克昌)、周の興盛には及びません(未若有周之盛)。漢室は衰微しましたが、殷紂の暴政ほどひどくはありません(未若殷紂之暴也)。」
袁術は黙ったまま何も言いませんでした。
張承が言いました「重要なのは徳であって強いことではありません(在徳不在強)。徳を用いることで天下の欲と同じくすれば(徳によって天下の希望に順じれば。原文「用徳以同天下之欲」)、匹夫の資(資本。力)によって霸王の功を興すのも、困難とするには足りません。しかしもし越権しようとして時勢を侵して動いたら(苟欲僭擬干時而動)、衆に棄てられることになるので、誰がこれを興せるでしょう(誰能興之)。」
袁術は不快になりました。
孫策も情報を聞いて袁術に書を送り、譴責しました「成湯が桀を討った時は『夏に多くの罪がある(有夏多罪)』と称し、武王が紂を伐った時は『殷に重罰(重罪)がある(殷有重罰)』と言いました。この二主は確かに聖徳がありましたが、もしも当時、(桀・紂に)道を失うという過ちがなかったら、逼迫して(天下を)取る理由はありませんでした(無由逼而取也)。今、主上(献帝)は天下に対して悪があるわけではなく、幼小というだけで強臣に脅かされており、湯・武の時とは異なります。そもそも、かつて董卓は貪淫驕陵(貪欲かつ驕慢横暴)で志に紀極(限度)がありませんでしたが、主を廃して自ら興るということはまだありませんでした。それなのに天下が同心になってこれを疾した(憎んだ)のです。それを真似て更にひどくしたらなおさらです(況效尤而甚焉者乎)。また、幼主は明智聡敏で、夙成(早成)の徳があると聞きました。天下はまだその恩を被っていませんが、全て帰心しています。使君は五世に渡って(原文「五世相承」。『資治通鑑』胡三省注によると、袁安が袁京を生み、袁京が袁陽を生み、袁陽が袁逢を生み、袁逢が袁術を生んだので、五代になります)漢の宰輔になり、栄寵の盛を比べられる者はいません。忠を尽くして節を守ることで(效忠守節)、王室に報いるべきです。これが旦・奭(西周の周公と召公)の美であり、率土(天下)が望むことです。時の人は多くが図緯の言に惑わされ、非類の文(恐らく経典以外の文章を指します)を妄りに牽き(引用し)、とりあえず主を悦ばせることを美行として成敗の計を顧みませんが(苟以悦主爲美,不顧成敗之計)、これは古今が慎むことであり、熟慮しないわけにはいきません。忠言は耳に逆らい、駮議(駁議。反対意見)は憎しみを招くものですが(忠言逆耳,駮議致憎)、尊明(あなた)に対して益があるのなら、敢えて辞すことはありません。」
次回に続きます。