東漢時代 『申鑒』

東漢献帝建安十年205年)に祕書監(秘書監)侍中荀悦が『申鑒』五篇を作って上奏しました。

東漢時代403 献帝(八十五) 杜畿 205年(2)


資治通鑑』胡三省注によると、祕書監は桓帝時代に置かれました。秩六百石です。
荀悦は荀爽の兄の子です。
当時、政権は曹氏にあり、天子は南面しているだけでした(天子恭己)

荀悦は志が献替(「献可替否」。主君が善を行って過失を正すように建議諫言すること)にありましたが、謀を用いる場所がなかったため、この書を作りました。

 
以下、『資治通鑑』から大略を書きます。
「為政の術とは、四患を除いてから五政を崇める(推進する)ものです(先屛四患乃崇五政)。虚偽は俗を乱し(偽乱俗)、私心は法を壊し(私壊法)、放縦は法度を越え(放越軌)、奢侈は制度を敗亡させます(奢敗制)。この四者を除かなかったら、政を行う道が無くなります(政末由行矣)。これを四患といいます。
農桑を興すことでその生を養い興農桑以養其生)、好悪をはっきりさせることでその俗を正し(審好悪以正其俗)、文教を宣伝することで教化を章かにし(宣文教以章其化)、武備を立てることでその威を掌握し(立武備以秉其威)、賞罰を明らかにすることでその法を統一させる(明賞罰以統其法)、これを五政といいます。
人が死を畏れなかったら、罪(刑)によって懼れさせることはできません。人が生を楽しまなかったら、善(賞)によって(善行を)勧めることはできません。よって上にいる者は、まず民財を豊かにすることでその志(民心)を定めます。これを養生(民の生計を保証すること)といいます。
善悪の要は功罪にあり、毀誉の効(手柄。成果。評価)は準験にあります(善悪は功罪の有無によって判断されるべきであり、批難や称賛といった評価は事実の検証に則らなければなりません。原文「善悪要乎功罪,毀誉効於準験」)。言を聴いたら事を責め(人の言葉を聞いたら実際の行動を調べ。原文「聴言責事」)、名を挙げたら実を察し(名声があったら実態を調べ。原文「挙名察実」)、詐偽(虚偽)によって衆心を動揺させてはなりません(無或詐偽以蕩衆心)。俗に姦怪がなく、民に淫風がないこと、これを正俗といいます。
栄辱とは賞罰の精華です(栄誉と恥辱は賞罰の核心です)。礼教栄辱を君子に加えるのは、その情(心)を改めさせるためです(礼教栄辱以加君子化其情也)。桎梏鞭撲(首枷等の刑具や鞭、棍棒を小人に加えるのは、その形を改めさせるためです(桎梏鞭撲以加小人化其形也)。もしも教化が廃れたら、中人を推して小人の域に堕落させますが、教化が行われたら、中人を引いて君子の塗(道)に納れることができます。これを章化(明化。社会を改善すること)といいます。

上にいる者には必ず武備があり、それによって不測の事態に備えます(以戒不虞)。安居したら内政に寄せ(武備軍政を内政の中に取り入れ。平時においても軍隊の基本となる五人組制度等を取り入れて武備を忘れないようにします)、有事にはそれを軍旅に用います。これを秉威(威権を掌握すること)といいます。

賞罰は政の柄です。人主が妄りに賞さないのは、その財を愛するからではありません。賞を妄りに行ったら、善が勧められないからです。妄りに罰しないのは、その人を憐れむからではありません(非矜其人也)。罰を妄りに行ったら、悪を懲らしめることができないからです。賞を勧めないこと、これを止善(人の善行を妨害すること)といいます。罰を懲らしめないこと、これを縦悪(悪を自由にさせること)といいます。上にいる者が、下が善を為すことを妨害せず、下が悪を為すことを自由にさせずにいられたら、国法が確立します(在上者能不止下為善不縦下為悪,則国法立矣)。これを統法(法令を統一すること)といいます。

四患が既に除かれ(原文「四患既獨」。「獨」は「蠲」で排除の意味です)、五政もまた立ち、誠によってこれを行い、固によってこれを守り(これを堅持し)、簡約でも怠らず、疎略でも失わなければ(法が細かくなくても人々が規則を守って秩序を失わなければ。原文「簡而不怠,疏而不失」)、袖を垂らして拱手揖譲するだけで(統治者が手をこまねいて礼を行うだけで)海内が太平になります(垂拱揖譲而海内平矣)。」