第十五回 雍大夫が無知を殺し、魯荘公が乾時で大戦する(後編)

*今回は『東周列国志』第十五回後編です。
 
公子・小白は斉国が乱れて主がいなくなったと聞き、鮑叔牙と相談して莒子から兵車百乗を借りました。急いで斉に向かいます。
魯を出て昼夜兼行していた管夷吾は、即墨に至った時、既に莒兵が通りすぎたと聞きました。急いで小白の後を追います。
三十余里進んだ所で莒兵が車を止めて食事の準備をしていました。
管夷吾は小白が車上で正座しているのを見つけ、前に進み出ると鞠躬(拝礼)をしてから問いました「公子にはお変わりがないようですが、どこに行くつもりですか?」
小白が言いました「父の喪に駆けつけようとしているのだ。」
管夷吾が言いました「糾が年長者なので、喪を主宰させるべきです。公子は少し留まってください。自ら労苦を求める必要はありません。」
鮑叔牙が言いました「仲よ、暫く退け。それぞれに主がいる。多くを語る必要はない。」
管夷吾は圧倒的に数が多い莒兵が眉を吊り上げ目を怒らせ、闘志を抱いているのを見て、衆寡の差が大きいため同意したふりをして退きました。
しかし小白から離れた場所まで来ると、突然、弓を引いて矢を乗せ、小白をめがけて放ちました。小白は大声を挙げ、口から鮮血を吐いて車上に倒れます。鮑叔牙が急いで助けましたが、従人達が「しまった!」「まずい!」と言って一斉に泣き始めました。
管夷吾は三十乗の車を率いて飛ぶように去りました。
道中、夷吾が感嘆して言いました「子糾には福がある。国君になれるはずだ。」
 
管夷吾は戻って魯侯に報告し、子糾に酒を勧めて慶賀しました。一行は安心して斉都に向かいます。途中の邑長達が次々と飲食を献上したため、先に進む速度が極端に遅くなりました。
 
ところが小白は死んでいませんでした。管夷吾が射た矢は小白の帯鉤に中っただけです。小白は夷吾が矢の名手だと知っており、二発目が射られることを恐れたため、瞬時に智慧を使って舌尖を噛み切り、血を吐き出して死んだふりをしました。従人も鮑叔牙も騙されるほどの演技でした。
暫くして小白の演技だと知った鮑叔牙は「夷吾は去ったがまた来るかもしれない。我々はゆっくりできない」と判断しました。そこで、小白の服を替え、温車車。臥車。霊柩を運ぶ車)に乗せて小路から急行しました。
斉都・臨淄に近づいてから、鮑叔牙が単独で先に城に入り、諸大夫を訪問して公子・小白の賢才を称えます。
諸大夫が問いました「子糾がもうすぐ到着する。どうするつもりだ?」
鮑叔牙が言いました「斉は続けて二君を弑殺しました。賢者でなければ乱を安定させることができません。子糾を迎え入れようとしたのに小白が先に到着したのは天(天命)です。もし魯君が糾を帰国させたら、我が国に対する要求は少なくないでしょう。かつて宋が(鄭の)子突を擁立してから際限なく賄賂を要求したため、数年の間、戦が絶えませんでした。今の我が国は有り余る難に見舞われています。どうして魯の要求に堪えることができますか?」
諸大夫が問いました「ではどうやって魯侯に謝すればいい?」
鮑叔牙が言いました「我々に国君がいれば、彼等は自然に退きます。」
大夫・隰朋と東郭牙が声をそろえて「叔(叔牙)の言う通りだ」と言いました。
こうして小白が城に迎え入れられて即位します。これを桓公といいます。
 
鮑叔牙が言いました「魯兵が到着する前に進軍を止めさせるべきです。」
そこで仲孫湫が魯荘公に会い、斉で既に国君が立ったことを告げました。荘公は小白が死ななかったと知り、激怒して言いました「子を立てる場合は年長者を選ぶべきだ。孺子がなぜ国君になれるのだ!孤(国君の自称)は功を立てずに三軍を還すわけにはいかない。」
仲孫湫が帰って報告すると、斉桓公が問いました「魯兵が退こうとしない。どうするべきだ?」
鮑叔牙が言いました「兵を用いて防ぎましょう。」
斉が迎撃の準備を始めました。右軍は王子成父が将、寧越が副将に、左軍は東郭牙が将、仲孫湫が副将になり、鮑叔牙が桓公を奉じて中軍の将になりました。先鋒は雍廩です。五百乗の兵車が動員されました。
配置が決まると東郭牙が言いました「魯君は我が国に備えがあることを恐れ、長駆しないはずです。乾時は水草を得るのに便利なので、駐軍の地に選びましょう。伏兵を置いて待機し、敵の不備に乗じれば必ず勝てます。」
鮑叔牙は賛同し、寧越と仲孫湫にそれぞれの兵を率いて埋伏させました。王子成父と東郭牙が他の道から魯軍の後ろに回り、雍廩が魯軍を誘い出すという計画が練られます。
 
魯荘公と子糾が乾時に至った時、管夷吾が進言しました「小白は立ったばかりなので人心がまだ安定していません。速くその隙を突けば必ず内変が起きます。」
しかし荘公はこう言いました「仲の言が正しいのなら、小白は既に射殺されて久しいはずだ。」
荘公は進軍を止めて乾時に陣を構えさせました。魯侯の営が前、子糾の営が後ろにあり、二十里離れています。
 
翌朝、間諜が報告しました「斉兵が来ました。先鋒の雍廩が戦いを挑んでいます。」
魯荘公が言いました「先に斉師を破れば城中は自然に肝を寒くさせるだろう。」
荘公は秦子と梁子を率いて戎車を前に出し、自ら雍廩を譴責して言いました「汝は賊の誅殺を首謀してわしに国君(小白の帰国)を求めた。しかしすぐにその考えを改めた。信義はどこにあるのだ?」
荘公が弓を引いて雍廩を射ようとすると、雍廩は恥じ入ったふりをし、頭を抱えて逃げ出しました。
荘公は曹沫に命じて追撃させます。
雍廩は車の向きを変えて応戦しましたが、数合もせずにまた逃走しました。曹沫は生来の勇を奮い、画戟を持って追撃します。しかし深入りした曹沫は鮑叔牙の大軍に包囲されました。曹沫は厚い包囲を突破するために画戟で左右を突きます。身体に二矢を浴びましたが、死戦の末なんとか脱出しました
 
魯将・秦子と梁子は曹沫を失うことを恐れて迎えに行きました。すると突然左右で炮声が轟き、寧越と仲孫湫が両路の伏兵を率いて襲いかかりました。鮑叔牙も中軍を率いて参戦し、大軍が壁のように魯軍に迫ります。三面から攻撃をうけた魯軍は抵抗できず徐々に壊散しました。
鮑叔牙が軍令を出しました「魯侯を捕えた者には賞として万家の邑を与えよう。」
伝令が軍中を駆け巡って鮑叔牙の令を叫びます。斉軍の士気が高まりました。
斉の軍令を聞いた秦子は魯侯の繍字黄旗(刺繍で文字が書かれた黄色い旗)を取ると地に放りました。梁子がその旗を拾って自分の車に立てます。秦子がその理由を問うと、梁子が言いました「私が斉軍を誘いましょう。」
魯荘公は事が急を要するのを見て、戎車から飛び降りて軺車(軽車)に乗り換え、微服(庶民の服)で逃走しました。
秦子がすぐ後に続き、厚い包囲を突破します。
寧越は遠くに繍旗があるのを見て小路に潜みました。旗の下にいるのが魯君だと思い、兵を指揮して幾重にも包囲します。すると梁子が冑を脱いで顔を見せ、「私は魯の将だ。我が君は既に遠くに去った」と宣言しました。
 
鮑叔牙は斉軍が大勝したと判断し、鉦を鳴らして撤兵させました。
孫湫が魯侯の戎輅を献上し、寧越が梁子を献上します。斉侯は軍前で梁子を斬りました。
斉侯は王子成父と東郭牙の行方がはっきりしないため、寧越と仲孫湫を乾時に駐軍させ、自らは大軍を率いて先に凱旋しました。
 
管夷吾等は後営で輜重を管理していましたが、前営の敗報を聞くと、召忽と公子・糾に営を守らせ、自ら全ての兵車を率いて魯荘公を迎えに行きました。ちょうど退却して来た魯荘公と遭遇したため兵を合流させます。曹沫も敗軍の車や兵を集めて逃げ帰りました。兵数を確認すると十分の七が失われていました。
管夷吾が言いました「軍の士気が既に失われました。留まるべきではありません。」
魯軍は夜の間に営を抜いて退却を始めました。
 
しかし二日も経たずに兵車が現れて道を塞ぎました。魯軍の退路で待っていた斉の王子成父と東郭牙です。
曹沫が戟を持って「主公は速やかに進んでください!私がここで死にます!」と叫んでから、秦子に「汝はわしを助けよ」と言いました。
秦子が王子成父の軍に対抗し、曹沫が東郭牙の軍に対抗します。
管夷吾は魯荘公を守り、召忽は公子・糾を守って逃走しました。
 
紅袍の小将が魯侯を追撃しましたが、魯荘公の一矢が額に刺さりました。また一人、白袍の者が追ってきましたが、これも荘公に射殺されました。斉軍は魯荘公を恐れて少し退きます。
この時、管仲が輜重や武器、馬等を道中に棄てさせました。斉兵は先を争って物資を奪い始めます。魯荘公はその隙に脱出しました。
曹沫は左膊(上腕)に刀傷を負いましたが、無数の斉軍を殺して囲みを破りました。
秦子は戦死しました。
 
虎口から離れた魯荘公等は、網から漏れた魚のように急いで奔走しました。
斉の隰朋と東郭牙が追撃して汶水に至りました。魯境内の汶陽の田(地)がことごとく奪われ、斉の守備兵が置かれます。
魯軍には斉から失地を取り返す力がありません。
斉軍は大勝して帰還しました。
 
斉侯・小白が早朝(朝廷。朝の会)に出ると、百官が祝賀しました。
しかし鮑叔牙が進み出て言いました「子糾がまだ魯におり、管夷吾と召忽がそれを補佐し、魯も助けています。心腹の疾(病)がまだ残っているので祝賀する時ではありません。」
斉侯・小白が問いました「どうするべきだ?」
鮑叔牙が言いました「乾時の一戦で魯の君臣は胆を寒くさせたはずです。臣が三軍の衆を率いて魯の国境に臨み、子糾を討つように要求しましょう。魯は恐れて従うはずです。」
斉侯が言いました「寡人は国を挙げて子(汝)の言を聞こう。」
鮑叔牙は車馬を選ぶと大軍を率いて汶陽に至り、国境を清理しました。
それから公孫隰朋を送って魯侯に書を届けました「外臣の鮑叔牙が魯賢侯殿下に百拝します。家には二主がなく、国には二君がないといいます。寡君は既に宗廟を奉じましたが、公子・糾が争奪しようとしました。これは不二の誼(二君がいない道理)に背くことです。しかし寡君には兄弟の親(情)があり、戮(処刑)を加えることが忍びないので、上国の手を借りたいと思います。管仲と召忽は寡君の仇なので、受け入れて太廟で戮すつもりです。」
隰朋が出発しようとした時、鮑叔牙が言いました「管夷吾は天下の奇才だ。私は国君に進言し、彼を召して用いさせようと思っている。死なせてはならない。」
隰朋が言いました「魯が殺そうとしたらどうしますか?」
鮑叔が言いました「鉤を射た事を述べれば魯は必ず信じる。」
隰朋は納得して去りました。
斉の書を得た魯侯は施伯を招きます。
 
どのような決定がされるのか、続きは次回です。