2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

第七十八回 夾谷で孔子が斉を退け、三都を堕して聞人が法に伏す(四)

*今回は『東周列国志』第七十八回その四です。 斉景公が晏嬰を招いて問いました「叔孫氏が郈を討つために兵を請い、侯犯も郈を挙げて投降して来た。寡人はどちらに従うべきだろう。」 晏子が言いました「魯と修好したばかりです。叛臣が献じる地を受け取る…

第七十八回 夾谷で孔子が斉を退け、三都を堕して聞人が法に伏す(三)

*今回は『東周列国志』第七十八回その三です。 翌朝、両君が壇下に集まり、揖讓してから壇を登りました。斉は晏嬰が相になり、魯は孔子が相を勤めています。両相も一揖してからそれぞれ自分の主に従い、壇に登って拝礼を交わしました。 太公(斉国の祖)と…

第七十八回 夾谷で孔子が斉を退け、三都を堕して聞人が法に伏す(二)

*今回は『東周列国志』第七十八回その二です。 周敬王十九年、魯の陽虎が魯で乱を起こして政権を握ろうとしました。陽虎は叔孫輒が叔孫氏の寵愛を受けていないことを知っていました。また、陽虎は費邑の宰・公山不狃とも親密な関係にありました。そこで二人…

第七十八回 夾谷で孔子が斉を退け、三都を堕して聞人が法に伏す(一)

第七十八回 夾谷で会して孔子が斉を退け、三都を堕して聞人が法に伏す (会夾谷孔子却斉 墮三都聞人伏法) *今回は『東周列国志』第七十八回その一です。 当時、晋には楚を討伐する力がなく、人心も離散していたため、斉景公は晋に代わって興隆する謀を急ぐ…

第七十七回 申包胥が兵を借り、楚昭王が国に還る(四)

*今回は『東周列国志』第七十七回その四です。 子西と子期が郢城に帰りました。平王の骸骨を収めて埋葬し、宗廟・社稷を新たに建て直します。同時に申包胥を派遣して舟師で随の昭王を迎えさせました。 昭王は隨君と盟を定めて侵伐しないことを誓います。隨…

第七十七回 申包胥が兵を借り、楚昭王が国に還る(三)

*今回は『東周列国志』第七十七回その三です。 闔閭が漢水を渡った時、太子・波が送った急使が報告しました「夫概が造反して王を称し、更に越兵と結んで入寇させました。呉都の危機が旦夕に迫っています。」 闔閭は驚いて「子胥が考えた通りだ」と言い、郢…

第七十七回 申包胥が兵を借り、楚昭王が国に還る(二)

*今回は『東周列国志』第七十七回その二です。 秦哀公は大将・子蒲と子虎に車五百乗を指揮させ、申包胥に従って楚を救うように命じました。 申包胥が言いました「我が君は隨で救援を待ち望んでおり、その姿は大旱に雨を望む時のようです。胥(私)が一足先…

第七十七回 申包胥が兵を借り、楚昭王が国に還る(一)

第七十七回 秦庭で泣いて申包胥が兵を借り、呉師を退けて楚昭王が国に還る (泣秦庭申包胥借兵 退呉師楚昭王返国) *今回は『東周列国志』第七十七回その一です。 伍員が隨国の南鄙(南境)に駐軍し、人を送って隨侯に書信を届けました。その内容はこうです…

戦国時代124 秦王政(十) 統一戦争の始まり 前232~229年

今回は秦王政十五年から十八年までです。 秦王政十五年 前232年 己巳 [一] 秦王が大挙して趙を攻めました。 一軍は鄴に、一軍は太原に至り、狼孟と番吾(または「鄱吾」)を取ります。 しかし秦軍は趙将・李牧に遭って還りました。李牧は秦に畏れられていま…

戦国時代123 秦王政(九) 韓非子 前235~233年

今回は秦王政十二年から十四年までです。 秦王政十二年 前235年 丙寅 [一] 秦の文信侯・呂不韋が酖毒を飲んで死にました。 以下、『史記・秦始皇本紀(『正義』含む)』と『資治通鑑』からです。 呂不韋の家人や食客が秘かに呂不韋を埋葬しました。 しかし秦…

戦国時代122 秦王政(八) 秦・趙・燕の戦い 前236年

今回は秦王政十一年です。 秦王政十一年 前236年 乙丑 [一] 趙人が燕を攻めて貍陽城を取りました。 『資治通鑑』胡三省注は、燕国に「貍陽」はないので、恐らく「漁陽」の誤りという説と、『戦国策』の記述から「貍(貍陽)」は斉と燕の国境の地という説を紹…

戦国時代121 秦王政(七) 李斯抜擢 前237年(2)

今回は秦王政十年の続きです。 [五(続き)] この年、秦が発布した「逐客令」に楚出身の李斯も該当しました。李斯は追放されることになります。 しかし李斯は上書してこう訴えました「吏(官員)が逐客を議していると聞きましたが、それは過ちになるでしょう…

戦国時代120 秦王政(六) 李斯登場 前237年(1)

今回は秦王政十年です。二回に分けます。 秦王政十年 前237年 甲子 [一] 前年、秦で起きた嫪毐の乱によって、嫪毐を太后に紹介した文信侯・呂不韋の罪も問われました。しかし呂不韋は先王の時代に大功を立てたため誅殺できません。 冬十月、秦王が呂不韋の相…

戦国時代119 秦王政(五) 楚考烈王の子 前238年(2)

今回は秦王政九年の続きです。 [九] 楚王と春申君の間にも秦始皇帝と呂不韋の関係に似た話が伝わっています。『史記・春申君列伝(巻七十八)』と『資治通鑑』からです。 楚考烈王には子ができなかったため、春申君・黄歇が憂いて生育能力のある婦人を多数進め…

戦国時代118 秦王政(四) 嫪毐の乱 前238年(1)

今回は秦王政九年です。二回に分けます。 秦王政九年 前238年 癸亥 [一] 『史記・秦始皇本紀』によると、彗星が現れました。ある時には彗星が天に拡がりました。 [二] 秦が魏を攻めて垣(楊寛の『戦国史』では「首垣」)と蒲陽(または「蒲」)を取りました…

第七十六回 楚昭王が西奔し、伍子胥が屍を鞭打つ(四)

*今回は『東周列国志』第七十六回その四です。 闔閭が再び章華台に群臣を集め、大宴を開きました。楽工が音楽を奏で、群臣が楽しみ喜びます。 しかし伍員だけは痛哭を止めません。 闔閭が問いました「卿が楚に報いるという志は既にかなえられたではないか。…

第七十六回 楚昭王が西奔し、伍子胥が屍を鞭打つ(三)

*今回は『東周列国志』第七十六回その三です。 麦城を守る鬥巣は呉軍が東西に築城したと聞き、急いで出陣しました。しかし二城は既に完成しており、まるで堅塁のようです。 鬥巣はまず東城に行きました。城壁の上が旌旗で埋められ、鐸声(大鈴の音)が絶え…

第七十六回 楚昭王が西奔し、伍子胥が屍を鞭打つ(二)

*今回は『東周列国志』第七十六回その二です。 呉軍の追撃を知った薳射は、対抗するために陣を構えようとしました。しかし呉軍が退いたと聞き、喜んで言いました「呉人が臆病だということは知っていた。窮追できないのだ。」 薳射は五鼓(五更。午前三時か…

第七十六回 楚昭王が西奔し、伍子胥が屍を鞭打つ(一)

第七十六回 楚昭王が郢を棄てて西奔し、伍子胥が墓を掘って屍を鞭打つ (楚昭王棄郢西奔 伍子胥掘墓鞭屍) *今回は『東周列国志』第七十六回その一です。 沈尹・戍が去ってから、呉・楚両軍は漢水を挟んで対峙を続けました。 数日後、武城黒が令尹に媚びを…

第七十五回 孫武子が美姫を斬り、蔡昭侯が呉師を乞う(後編)

*今回は『東周列国志』第七十五回後編です。 唐と蔡の二君が楚に入って三年が経ちました。帰りたいと思っても動けません。 唐の世子は唐侯が帰ってこないため、大夫・公孫哲を楚の国境まで送って様子を見させました。唐侯が拘留されていると知ります。 公孫…

第七十五回 孫武子が美姫を斬り、蔡昭侯が呉師を乞う(中編)

*今回は『東周列国志』第七十五回中編です。 孫武が執法を送って呉王にこう報告しました「兵が既に整ったので王の確認を願います。兵は王の指示に従い、赴湯蹈火(熱湯に赴いたり火を踏むこと)を命じたとしても、退避する者はいません。」 闔閭は二姫を失…

第七十五回 孫武子が美姫を斬り、蔡昭侯が呉師を乞う(前篇)

第七十五回 孫武子が陣を演じて美姫を斬り、蔡昭侯が質を納めて呉師を乞う (孫武子演陣斬美姫 蔡昭侯納質乞呉師) *今回は『東周列国志』第七十五回前編です。 慶忌は死に臨んで左右の者に要離を殺さないように命じました。その名を成すためです。 左右の…

第七十四回 囊瓦が無極を誅し、要離が慶忌を刺す(四)

*今回は『東周列国志』第七十四回その四です。 闔閭は伍員が要離の勇を称えるのを聞いて、尋常ではない魁偉な人物だと思っていました。 しかし実際に要離に会ってみると、身長はわずか五尺余で、腰の周りは一束(恐らく一抱えの太さ)しかなく、容貌も醜陋…

第七十四回 囊瓦が無極を誅し、要離が慶忌を刺す(三)

*今回は『東周列国志』第七十四回その三です。 当時、楚の伯嚭が国外に出奔していました。伍員が呉で重用されていると聞き、呉に奔ります。 伯嚭はまず伍員に謁見しました。伍員は伯嚭に会って二人で泣き、闔閭に会わせました。 闔閭が問いました「寡人は東…

第七十四回 囊瓦が無極を誅し、要離が慶忌を刺す(二)

*今回は『東周列国志』第七十四回その二です。 呉王闔閭元年は周敬王六年にあたります。 闔閭が国政について伍員に意見を求め、こう問いました「寡人は国を強くして霸業を図りたいが、どうすればいいだろう?」 伍員は頓首して涙を流しながら言いました「臣…

第七十四回 囊瓦が無極を誅し、要離が慶忌を刺す(一)

第七十四回 囊瓦が謗を懼れて無極を誅し、要離が名を貪って慶忌を刺す (囊瓦懼謗誅無極 要離貪名刺慶忌) *今回は『東周列国志』第七十四回その一です。 費無極は伯郤宛を妬み、鄢将師とある計策を考え出しました。 費無極が偽って囊瓦に言いました「子悪…

第七十三回 伍員が呉市で乞い、専諸が王僚を刺す(四)

*今回は『東周列国志』第七十三回その四です。 姫光が専諸を招いて「魚腸」の剣を与えました。専諸は姫光が言葉を発する前にその意図を悟り、発憤して言いました「王を殺すことができます。二弟は遠く離れ、公子も使者として国を出ました。彼は孤立している…

第七十三回 伍員が呉市で乞い、専諸が王僚を刺す(三)

*今回は『東周列国志』第七十三回その三です。 呉軍はまず罪人三千を送り出して楚の右営を急襲させました。 この日は秋七月晦日(末日)です。兵家は晦日に兵を動かすことを忌避したため、胡子・髠も沈子・逞も陳の夏齧も戦の準備をしていませんでした。 呉…

第七十三回 伍員が呉市で乞い、専諸が王僚を刺す(二)

*今回は『東周列国志』第七十三回その二です。 伍員は公子・光が諫言したと知り、「光には内志があるから外事を語ることができないのだ」と言って大夫の職を辞退しました。 それを知って姫光が再び王僚に言いました「王が出師に賛成しなかったため、子胥は…

第七十三回 伍員が呉市で乞い、専諸が王僚を刺す(一)

第七十三回 伍員が簫を吹いて呉市で乞い、専諸が炙を進めて王僚を刺す (伍員吹簫乞呉市 専諸進炙刺王僚) *今回は『東周列国志』第七十三回その一です。 漁丈人は伍員を船に乗せて長江を渡り、飲食を与えましたが、剣を受け取りませんでした。 伍員は一度…