2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧

第九十七回 死范雎が秦国に逃げ、假張禄が魏使を辱める(四)

*今回は『東周列国志』第九十七回その四です。 范雎が須賈に「大夫は何の用事があって来たのですか?」と問いました。 須賈が言いました「今の秦では相の張君が政治を行うようになった。私は彼と通じたいのだが、困ったことに取り次ぐ人がいない。孺子(汝…

第九十七回 死范雎が秦国に逃げ、假張禄が魏使を辱める(三)

*今回は『東周列国志』第九十七回その三です。 秦王が左右の人払いをし、長跪(上半身を直立して跪く礼)して問いました「先生は何を寡人に教えてくださるのですか?」 范雎は「はいはい(唯唯)」としか言いません。 少しして、秦王がまた跪いて教えを請い…

第九十七回 死范雎が秦国に逃げ、假張禄が魏使を辱める(二)

*今回は『東周列国志』第九十七回その二です。 范雎は鄭安平の家で薬を塗って養生しました。徐々に体が回復します。やがて鄭安平は范雎を連れて具茨山に隠れました。 范雎は張禄に改名しました。山中で張禄が范雎だと知っている者はいません。 半年後、秦の…

第九十七回 死范雎が秦国に逃げ、假張禄が魏使を辱める(一)

第九十七回 死范雎が計によって秦国に逃げ、假張禄が廷で魏使を辱める (死范雎計逃秦国 假張禄廷辱魏使) *今回は『東周列国志』第九十七回その一です。 大梁の人で范雎、字は叔という者は、談天説地(談論すれば際限がないこと)の能と安邦定国(国を安定…

第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(四)

*今回は『東周列国志』第九十六回その四です。 この頃、秦の大将軍・白起が楚軍を破って郢都を占領し、南郡を置きました。 楚頃襄王は敗走して東の陳を保ちます。 秦の大将・魏冉も黔中を攻めて攻略し、黔中郡を置きました。楚はますます衰退します。 そこ…

第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(三)

*今回は『東周列国志』第九十六回その三です。 趙王が秦王に別れを告げて帰国した時、ちょうど三十日が経っていました。 趙王が言いました「寡人は藺相如を得たおかげで、この身が泰山のように安らかになり、国は九鼎のように重くなった。相如の功は最大だ…

第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(二)

*今回は『東周列国志』第九十六回その二です。 秦王は偽って斎戒すると言いましたが、実際には行いませんでした。 五日後、殿上に昇って礼物を陳列し、諸侯の使者を全て集めます。璧を受け取る様子を見せて列国に誇示するつもりです。 賛礼(式典で進行を担…

第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(一)

第九十六回 藺相如が秦王を二回屈させ、馬服君が韓の囲みを一度解く 藺相如両屈秦王 馬服君単解韓囲 *今回は『東周列国志』第九十六回その一です。 趙恵文王は一人の内侍を寵用していました。姓は繆、名は賢といい、宦者令の官職に就いています。政事にも頻…

第九十五回 楽毅が斉を滅ぼし、田単が燕を破る(後篇)

*今回は『東周列国志』第九十五回後編です。 楽毅に代わって将になった騎劫は、楽毅の軍令をことごとく改めました。燕軍全ての将兵が憤怨して不満を抱きます。 騎劫は営塁に入って三日後に軍を率いて即墨を攻撃しました。城の周りに何重もの包囲網を築きま…

第九十五回 楽毅が斉を滅ぼし、田単が燕を破る(中篇)

*今回は『東周列国志』第九十五回中編です。 楽毅は出兵して六カ月で斉地の七十余城を攻略しました。全て燕の郡県に編入されます。 しかし莒州と即墨だけは堅守を続けたため攻略できませんでした。 楽毅は兵を休めて士をもてなし、斉湣王による暴令を除いて…

第九十五回 楽毅が斉を滅ぼし、田単が燕を破る(前篇)

第九十五回 四国を説いて楽毅が斉を滅ぼし、火牛を駆って田単が燕を破る 説四国楽毅滅斉 駆火牛田単破燕 *今回は『東周列国志』第九十五回前編です。 燕昭王は即位してから、日夜、斉への雪恥を考えていました。死者を弔問して孤児をいたわり、士卒と甘苦を…

戦国時代 盗跖

春秋時代末期から戦国時代初期あたりに「跖」という「盗」が現れたといわれています。「盗」というのは、直接は「盗賊」を指しますが、もっと範囲が広く、統治者に逆らって蜂起した者も「盗」に含まれます。「跖」は通常、「盗跖」とよばれており、民衆反乱…

東周列国志目録(中)

『東周列国志』の目録(中)です。 東周列国志目録(上) 第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(前編) 第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(中編) 第四十三回 智甯兪が衛を復し、老燭武が秦を説く(後編) 第四十四回 叔詹が晋侯に抗し、弦高…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(四)

*今回は『東周列国志』第九十四回その四です。 翌日、宋王・偃は斉兵に戦う能力がないと信じ、営寨を引き払って進軍しました。直接、斉の営塁を攻撃します。 閭丘儉は韓聶の旗号を立てて陣を連ねました。辰(午前七時から九時)から午(正午)に至るまで、…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(三)

*今回は『東周列国志』第九十四回その三です。 宋康王は宋辟公・辟兵の子で剔成の弟です。母の夢の中で徐偃王(西周時代、徐国の国君)が現れて託生(生まれ換わること。転世)したため、偃と名づけられました。 生まれつきの異相で、身長は九尺四寸、面闊…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(二)

*今回は『東周列国志』第九十四回その二です。 秦昭襄王は孟嘗君を失ったことを後悔しており、また、孟嘗君がもたらす影響を恐れ、こう考えました「あの者が斉国で用いられたら、いずれ秦の害になるだろう。」 そこで、昭襄王は謠(噂)を拡散させて斉国に流…

第九十四回 馮驩が孟嘗の客となり、斉王が桀宋を伐つ(一)

第九十四回 馮驩が鋏を弾いて孟嘗の客となり、斉王が兵を糾合して桀宋を伐つ 馮驩弾鋏客孟嘗 斉王糾兵伐桀宋 *今回は『東周列国志』第九十四回その一です。 孟嘗君は秦から逃げ帰って趙を通りました。平原君・趙勝が趙都から三十里も出て迎え入れ、恭敬を極…

日と時

譚家健の『中国文化史概要』を元に、中国古代の暦法や時間の概念、表し方等に関して簡単に解説しています。今回は「日」と「時」について書きます。 上古が「日」を記す時は、「初一日」「初二日」「初三日」というような数え方をせず、「天干(甲・乙・丙・…

二十四節気と旬

譚家健の『中国文化史概要』を元に、中国古代の暦法や時間の概念、表し方等に関して簡単に解説しています。今回は「二十四節気」と「旬」について書きます。 古人は毎月を二つの「節気」に分けました。節気というのは季節の区分です。黄道(太陽が地球を一周…

四季 十二月

譚家健の『中国文化史概要』を元に、中国古代の暦法や時間の概念、表し方等に関して簡単に解説しています。今回は「四季」と「月」について書きます。 中国古代の四季に対する認識は段階があります。 商周以前は、一年は春と秋の二時(二つの季節)に分けら…

年の表し方

譚家健の『中国文化史概要』を元に、中国古代の暦法や時間の概念、表し方等に関して簡単に解説しています。今回は「年」について書きます。 現代は西暦を使っているので、「2016年」「2017年」や「紀元前100年」「紀元前99年」というように年を表すことがで…

暦について

中国古代の暦法や時間の概念、表し方等に関して、譚家健の『中国文化史概要』を元に、簡単に解説します(『中国文化史概要』の完訳ではありません。関係個所を抜粋し、一部加筆します)。 陽暦 陰暦 閏月と閏年 中国は農業を主要な生産手段とする国なので、…

戦国時代 范睢のこと

秦昭襄王五十二年(前255年)に范睢が退きました。 戦国時代110 秦昭襄王(一) 荀子 前255年 ここでは范睢に関する二つの事を書きます。 一つ目は范睢の名です。 本編は『資治通鑑』を基礎にしているので、『資治通鑑』にならって「范睢」と書いて来ました。…

史書の種類(中国史)

中国の史書には複数の分類方法があります。 今回は史書の種類について簡単に説明します。 一、「正史」と「野史」 「正史」は王朝から認められた正当な歴史書という意味で、「野史」は民間で編纂された歴史書という意味です。 「正史」は太古から西漢(前漢…

第九十三回 趙主父が沙邱で餓死し、孟嘗君が函谷関を通る(後編)

*今回は『東周列国志』第九十三回後編です。 平原君が美人を斬って躄者に謝罪した出来事は、秦昭襄王の耳にも入りました。 ある日、秦王が向寿に平原君の賢を話して感嘆しました。すると向寿が言いました「斉の孟嘗君には遥かに及びません。」 秦王が問いま…

第九十三回 趙主父が沙邱で餓死し、孟嘗君が函谷関を通る(中編)

*今回は『東周列国志』第九十三回中編です。 趙恵王の太傅・李兌は肥義と仲が良かったため、秘かにこう言いました「安陽君は強壮なうえ驕っており、その党も多いので、今でも怨望の心があります。田不礼は剛狠(剛腹。頑強)で自分に自信を持っており、進む…

第九十三回 趙主父が沙邱で餓死し、孟嘗君が函谷関を通る(前編)

第九十三回 趙主父が沙邱宮で餓死し、孟嘗君が函谷関を偸み通る (趙主父餓死沙邱宮 孟嘗君偸過函谷関) *今回は『東周列国志』第九十三回前編です。 趙武霊王は身長が八尺八寸もあり、龍顔鳥噣(帝王の相で口が鳥のように尖っている)、広鬢虯髯(もみあげ…

第九十二回 秦武王が踁を絶ち、楚懐王が秦に陥る(後編)

*今回は『東周列国志』第九十二回後編です。 秦昭襄王は楚が質子を斉に送ったと聞き、秦に背いて斉に附いたと疑いました。樗里疾を大将に任命して楚を討伐させます。 楚は大将・景快に迎撃させましたが、景快は敗れて殺されました。 楚懐王が恐懼していると…

第九十二回 秦武王が踁を絶ち、楚懐王が秦に陥る(中編)

*今回は『東周列国志』第九十二回中編です。 秦武王は背が高く力も強かったため、勇士と角力(格闘技。力較べ)をして遊ぶのが好きでした。勇士の烏獲と任鄙は先王の時代に秦将となり、武王にも寵任されて禄秩が増やされました。 斉人の孟賁、字は説という…

第九十二回 秦武王が踁を絶ち、楚懐王が秦に陥る(前編)

第九十二回 鼎を挙げて秦武王が踁を絶ち、会に赴いて楚懐王が秦に陥る (賽挙鼎秦武王絶踁 莽赴会楚懐王陷秦) *今回は『東周列国志』第九十二回前篇です。 楚懐王は張儀に欺かれたことを怨んでいたため、黔中の地を献上して張儀一人と交換することを願いま…