2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

第三十二回 晏蛾児が節に殉じ、群公子が朝堂を閙す(後編)

*今回は『東周列国志』第三十二回後編です。 官員達は世子の出奔を聞き、朝宗(朝見)の対象がいなくなったため門を閉ざしました。老臣の国懿仲と高虎だけは心中に焦りを抱きましたが、解決したいと思っても策がありません。 こうして諸公子が対峙したまま二…

第三十二回 晏蛾児が節に殉じ、群公子が朝堂を閙す(中編)

*今回は『東周列国志』第三十二回中編です。 豎刁が喪について相談すると、雍巫が言いました「待て待て(且慢,且慢)。先に長公子の君位を定めてから喪を発するべきだ。そうすれば争いから免れることもできるだろう。」 豎刁は納得し、二人で長衛姫の宮中に…

第三十二回 晏蛾児が節に殉じ、群公子が朝堂を閙す(前編)

第三十二回 晏蛾児が墻を越えて節に殉じ、群公子が朝堂を大いに閙す (晏蛾児逾墻殉節 群公子大閙朝堂) *今回は『東周列国志』第三十二回前編です。 斉桓公は管仲の遺言に背いて再び豎刁、雍巫(易牙)、開方の三人を用いました。鮑叔牙は諫言が聞かれなか…

第三十一回 晋恵公が慶鄭を殺し、介子推が股を割く(後編)

*今回は『東周列国志』第三十一回の後編です。 公子・重耳は一心に斉を目指しました。しかし「高い所に登るには低い所から。遠い所に行くには近い所から(登高必自卑,行遠必自邇)」といいます。一行はまず衛国に行くことにしました。 重耳は翟境を去った時…

第三十一回 晋恵公が慶鄭を殺し、介子推が股を割く(中編)

*今回は『東周列国志』第三十一回の中編です。 ある日、恵公が郤芮に言いました「寡人は秦にいた三カ月間、重耳が変に乗じて国に帰ろうとするのではないかと心配していた。今日、やっと安心できた。」 郤芮が言いました「重耳が国外にいたら、いつまでも心腹…

第三十一回 晋恵公が慶鄭を殺し、介子推が股を割く(前編)

第三十一回 晋恵公が怒って慶鄭を殺し、介子推が股を割いて君に与える (晋恵公怒殺慶鄭 介子推割股啖君) *今回は『東周列国志』第三十一回の前編です。 晋恵公は霊台山に囚われてから穆姫を怨みました。衰絰を着て秦君を迎え入れたことは全く知りません。 …

第三十回 秦晋が大戦し、穆姫が大赦を要求する(後編)

*今回は『東周列国志』第三十回後編です。 秦穆公が大寨に帰ってから百里奚に言いました「井伯の言を聞かなかったばかりに、晋に笑われるところだった。」 三百人の壮士が一斉に陣営の前に集まり、叩首しました。 穆公が問いました「汝等は誰だ?なぜ寡人の…

第三十回 秦晋が大戦し、穆姫が大赦を要求する(中編)

*今回は『東周列国志』第三十回中編です。 晋の西境が恵公に急を告げました。 恵公が群臣に問いました「秦が理由もなく兵を興して国境を侵した。どう防ぐべきだ?」 慶鄭が言いました「秦兵は主上が徳に背いたので討伐して来たのです。なぜ理由がないという…

第三十回 秦晋が大戦し、穆姫が大赦を要求する(前編)

第三十回 秦晋が龍門山で大戦し、穆姫が台に登って大赦を要求する (秦晋大戦龍門山 穆姫登台要大赦) *今回は『東周列国志』第三十回前編です。 管仲は病床で桓公と話して易牙、豎刁、開方の三人を遠ざけるように勧め、隰朋に政治を任せるように進言しまし…

第二十九回 晋恵公が群臣を誅し、管夷吾が相を論じる(後編)

*今回は『東周列国志』第二十九回後編です。 家にいた共華は丕鄭父等の計画が漏れて誅殺されたと知り、すぐに家廟を拝して別れを告げ、朝廷に行こうとしました。弟の共賜が言いました「行けば必ず死にます。なぜ逃げないのですか?」 共華が言いました「丕大…

第二十九回 晋恵公が群臣を誅し、管夷吾が相を論じる(中編)

*今回は『東周列国志』第二十九回中編です。 丕鄭父と秦の大夫・冷至が晋に入りました。冷至は聘問のための礼幣を数車に載せて運んでいます。 一行が絳(晋都)の郊外に来た時、里克が殺されたと聞きました。丕鄭父は警戒して秦国に引き返そうとしましたが、…

第二十九回 晋恵公が群臣を誅し、管夷吾が相を論じる(前編)

第二十九回 晋恵公が群臣を大いに誅し、管夷吾が病榻で相を論じる 晋恵公大誅群臣 管夷吾病榻論相 *今回は『東周列国志』第二十九回前編です。 本来、里克の考えでは公子・重耳を迎え入れるつもりでしたが、重耳がそれを辞退し、夷吾が重賂を使って帰国を求…

第二十八回 里克が孤主を弑殺し、穆公が晋を平定する(後編)

*『東周列国志』第二十八回後編です。 斉桓公が晋の乱を知って諸侯を集めようとしました。自ら高梁の地に至ります。 その頃には秦が既に兵を出しており、周恵王も大夫の王子党に兵を率いさせて晋に送りました。 これらの情報を聞いた斉桓公は、公孫隰朋を派…

第二十八回 里克が孤主を弑殺し、穆公が晋を平定する(中編)

*『東周列国志』第二十八回中編です。 里克が百官を朝堂に集めて言いました「庶孽(妾の子)は既に除いた。公子の中で、重耳が最年長であり、しかも賢人だ。彼を立てるべきだと思う。諸大夫で心が同じ者は簡に名を記せ。」 丕鄭父が言いました「この事は狐老…

第二十八回 里克が孤主を弑殺し、穆公が晋を平定する(前編)

第二十八回 里克が二度孤主を弑殺し、穆公が一度晋の乱を平定する 里克両弑孤主 穆公一平晋乱 *『東周列国志』第二十八回前編です。 荀息が公子・奚斉を擁立しました。百官が葬儀に参加し、序列に従って哀哭します。しかし狐突は病が重いことを理由に参加し…

第二十七回 驪姫が申生を殺し、献公が荀息に嘱す(後編)

*今回は『東周列国志』第二十七回の中編です。 翌朝、近臣が報告しました「蒲と屈の二公子が朝覲に来ましたが、関に至って太子の変を聞き、すぐに車を還しました。」 献公が言いました「報告もせずに去ったのは、共謀していたからだ。」 献公は重耳を捕える…

第二十七回 驪姫が申生を殺し、献公が荀息に嘱す(中編)

*今回は『東周列国志』第二十七回の中編です。 翌日、申生が入宮して宴の感謝をしました。驪姫は申生を留めて一緒に食事をします。 その夜、驪姫が泣いて献公に言いました「妾(私)は太子の心を得るために招いて礼遇しました。しかし測らずも太子は無礼を働…

第二十七回 驪姫が申生を殺し、献公が荀息に嘱す(前編)

第二十七回 驪姫が巧計で申生を殺し、献公が終わりに臨んで荀息に嘱す (驪姫巧計殺申生 献公臨終嘱荀息) *今回は『東周列国志』第二十七回の前編です。 晋献公が虞・虢の二国を併合したため、群臣が祝賀しました。 驪姫は心中嬉しくありません。驪姫は世子…

第二十六回 百里が妻を知り、穆公が陳宝を得る(後編)

*今回は『東周列国志』第二十六回後編です。 姜戎子・吾離が秦に服さず侵犯を繰り返したため、三帥が兵を率いて討伐しました。 吾離は敗れて晋に奔り、瓜州の地が全て秦の支配下に入りました。 当時、西戎の主・赤斑が強盛になる秦を見てその臣・繇余を秦に…

第二十六回 百里が妻を知り、穆公が陳宝を得る(中編)

*今回は『東周列国志』第二十六回中編です。 翌日、早い時間に二叟が樽(酒)を持って来ました。餞別の宴が開かれ、前夜と同じ序列で席に着きます。 久しく酒を飲んでから、公子・縶が白乙の才を称え、秦に連れて行くことを願いました。蹇叔はこれに同意しま…

第二十六回 百里が妻を知り、穆公が陳宝を得る(前編)

第二十六回 扊扅を歌って百里が妻を知り、陳宝を得て穆公が夢の証とする (歌扊扅百里認妻 獲陳宝穆公証夢) *今回は『東周列国志』第二十六回前編です。 秦穆公は百里奚の才能を深く理解し、上卿の爵位を与えようとしました。しかし百里奚が辞退して言いま…

第二十五回 智荀息が虢を滅ぼし、窮百里が相を拝す(四)

*今回は『東周列国志』第二十五回その四です。 秦穆公は晋の媵の中に百里奚の名を見つけましたが、本人がいないため不思議に思いました。 すると公子・縶が言いました「かつて虞国の臣だった者です。逃走しました。」 穆公が公孫枝に問いました「子桑(公孫…

第二十五回 智荀息が虢を滅ぼし、窮百里が相を拝す(三)

*今回は『東周列国志』第二十五回その三です。 献公は虞公を連れて帰国し、殺そうとしました。しかし荀息が言いました「かれは騃豎子(愚かな小人)なので何もできません。」 献公は寓公(他国に住む貴族・官員。亡命者)を遇する礼を用いることにし、別の…

第二十五回 智荀息が虢を滅ぼし、窮百里が相を拝す(二)

*今回は『東周列国志』第二十五回その二です。 暫くして虢の辺吏が晋を譴責しました。両国が兵を整えて対立します。 虢公は犬戎と戦っているため国境の衝突にかまっている暇がありません。 献公が荀息に問いました「これで(虢が晋に対して兵を用いたので)…

第二十五回 智荀息が虢を滅ぼし、窮百里が相を拝す(一)

第二十五回 智荀息が途を借りて虢を滅ぼし、窮百里が牛を飼って相を拝す 智荀息假途滅虢 窮百里飼牛拝相 *今回は『東周列国志』第二十五回その一です。 晋献公は内は驪姫に惑わされ、外は「二五」に惑わされたため、ますます太子を遠ざけて奚斉を愛するよう…

戦国時代32 東周烈王(三) 魏の内争 前369年

今回で東周烈王の時代が終わります。 烈王七年 前369年 壬子 [一] 日食がありました。 [二] 東周烈王が死に、弟の扁が立ちました。これを顕王といいます。 なぜ弟が即位したのかはわかりません。 [三] 二年前に魏武侯が死んでから、魏では内乱が起きています…

戦国時代31 東周烈王(二) 韓哀侯殺害 前373~370年

今回は東周烈王三年から六年です。 烈王三年 前373年 戊申 [一] 『史記・趙世家』によると、夏六月に雪が降りました。 [二] 燕が林狐(または「林営」)で斉軍を破りました。 魯も斉を攻めて陽関に入りました。 魏も斉を攻めて博陵(または「鱄陵」)に至り…

第二十四回 召陵で楚大夫を礼款し、葵邱で周天子を奉戴する(四)

*今回は『東周列国志』第二十四回その四です。 会盟が終わってから桓公が宰孔に言いました「寡人は三代に封禅の事があったと聞いている。その典(決まり。方法)とはどのようなものだったのか、聞き得ることができるか?」 宰孔が言いました「古は泰山を封…

第二十四回 召陵で楚大夫を礼款し、葵邱で周天子を奉戴する(三)

*今回は『東周列国志』第二十四回その三です。 鄭の子華と弟の子臧は嫡夫人から産まれました。夫人は寵を受けていたため、子華が世子に立てられます。しかし後に二人の夫人が立ち、それぞれに子が産まれました。嫡夫人の寵はしだいに衰え、暫くして病死しま…

第二十四回 召陵で楚大夫を礼款し、葵邱で周天子を奉戴する(二)

*今回は『東周列国志』第二十四回その二です。 翌年春、桓公が先に陳敬仲を首止に派遣し、行宮(臨時の宮殿)を築いて世子の到着を待ちました。 夏五月、斉、宋、魯、陳、衛、鄭、許、曹八国の諸侯が首止に集まります。世子・鄭も行宮に入りました。 桓公が…