2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

戦国時代年表 東周慎靚王

今回は東周慎靚王の年表です。 『史記・六国年表』『資治通鑑目録』『戦国史』『古本竹書紀年輯校訂補』『今本竹書紀年』を元にしています。 *全て拡大できます。 次回は東周赧王の年表です。 戦国時代年表 東周赧王

戦国時代年表 東周顕王

東周顕王の年表です。 『史記・六国年表』『資治通鑑目録』『戦国史』『古本竹書紀年輯校訂補』『今本竹書紀年』を元にしています。 ⋆全て拡大できます。 次回は東周慎靚王の年表です。 戦国時代年表 東周慎靚王

戦国時代年表 東周烈王

東周烈王の年表です。 『史記・六国年表』『資治通鑑目録』『戦国史』『古本竹書紀年輯校訂補』『今本竹書紀年』を元にしています。 *全て拡大できます。 次回は東周顕王の年表です。 戦国時代年表 東周顕王

戦国時代年表 東周威烈王

東周威烈王の年表です。 『史記・六国年表』『資治通鑑外紀目録』『戦国史』『資治通鑑前編綱要』『古本竹書紀年輯校訂補』『今本竹書紀年』を元にしています。 *全て拡大できます。 次回は東周安王の年表です。 戦国時代年表 東周安王

戦国時代年表 東周安王

東周安王の年表です。 『史記・六国年表』『資治通鑑目録』『戦国史』『古本竹書紀年輯校訂補』『今本竹書紀年』を元にしています。 *全て拡大できます。 次回は東周烈王の年表です。 戦国時代年表 東周烈王

諸子百家 その他

今回は名家、兵家、陰陽家、雑家について簡単に書きます。 まずは名家です。 名家の代表は戦国時代中期の公孫龍で、『公孫龍子』という書が残されています。 公孫龍は事物の対立・分離を強調しました。 もう一人の代表を恵施といい、『恵子』という書があっ…

諸子百家 法家

今回は法家です。 まずは荀子です。 荀子は名を況、字を卿といい、趙国の人です。十五歳で斉国の稷下で遊学を始めたといわれています。斉で祭酒(学長)を三回担当してから楚国に移り、楚の春申君によって蘭陵令に任命されました。しかし讒言に遭ったため趙…

諸子百家 墨子

今回は墨子です。 墨子は墨家学派の創始者で、名を翟といい、魯国の人です。 「賎人(庶民。身分が低い者)」の出身で、かつては木匠でしたが、後に各国を周遊して学説を唱えました。多数の門徒を抱え、しかも厳密な組織を形成するようになります。多くの門…

諸子百家 道家・荘子

今回は道家の荘子です。 荘子の思想はとても神秘的で、理解が難しい思想です。後に神仙思想へと発展していきます。 荘子は名を周といい、宋国の人です。孟子とほぼ同じか少し遅れて登場しました。貧寒の家に生まれ、生涯で仕官したのは漆園を管理する小官に…

諸子百家 道家・老子

今回は道家です。老子と荘子の二回に分けます。 老子 老子は道家学派の創始者で、姓は李、名は耳、字は聃といい、老聃ともよばれています(老子の姓名に関しては諸説があります)。 孔子と同時期か少し前の人で、周王室の「守藏室之吏(図書館の長)」を勤め…

諸子百家 儒家・孔子と孟子

春秋戦国時代に孔子、孟子、老子等の思想家が現れました。本編では体系的な解説がきなかったので、ここで簡単に紹介します。 参考にするのは譚家健の『中国文化史概要』です(『中国文化史概要』の完訳ではなく、抜粋添削します)。 諸子百家というのは春秋…

第百八回 六国を兼併して輿図を統一し、始皇を号して郡県を建立する(後篇)

*今回は『東周列国志』第百八回後篇です。 秦王政二十六年、六国が秦によって併合され、天下が統一されました。 秦王は六国がそろって王号を称していたため、王の名が尊くないと思って帝号に改めようとしました。しかしかつて東西二帝について議論されたこ…

第百八回 六国を兼併して輿図を統一し、始皇を号して郡県を建立する(中篇)

*今回は『東周列国志』第百八回中篇です。 王翦は楚を滅ぼしてから兵を率いて咸陽に還りました。秦王は黄金千鎰を下賜します。王翦は告老(引退)して頻陽に帰りました。 秦王は王翦の子・王賁を大将に任命し、遼東の燕王を攻撃させました。 秦王が王賁に命…

第百八回 六国を兼併して輿図を統一し、始皇を号して郡県を建立する(前篇)

第百八回 六国を兼併して輿図を統一し、始皇を号して郡県を建立する (兼六国混一輿図 号始皇建立郡県) *今回は『東周列国志』第百八回前篇です。 王翦が李信に代わって大将になり、六十万の兵を率いて楚討伐を宣言しました。 楚の項燕は東岡を守って秦軍…

第百七回 荊軻が秦庭を騒がし、王翦が李信に代わる(後篇)

*今回は『東周列国志』第百七回後編です。 当時の魏では景湣王が既に死に、太子・假が即位して三年が経っていました。 秦が燕を攻めた時から、魏王・假は大梁の城を増築しており、内外に深い溝(濠)を巡らせて守備を固めていました。また、斉と結ぶために…

第百七回 荊軻が秦庭を騒がし、王翦が李信に代わる(中篇)

*今回は『東周列国志』第百七回中編です。 秦の法では、殿上で王に仕える群臣は尺寸の兵器も持ってはならず、郎中や宿衛の官は兵戈を持っていましたが、全て殿下に並んでおり、宣召(王の招き)がなければ勝手に入殿するわけにはいきませんでした。 今回、…

第百七回 荊軻が秦庭を騒がし、王翦が李信に代わる(前篇)

第百七回 地図を献じて荊軻が秦庭を騒がし、兵法を論じて王翦が李信に代わる (献地図荊軻鬧秦庭 論兵法王翦代李信) *今回は『東周列国志』第百七回前編です。 荊軻は日頃から人と剣術について論じていましたが、立派だと認められる人物はなかなかいません…

第百六回 王敖が李牧を殺し、田光が荊軻を薦める(後篇)

*今回は『東周列国志』第百六回後編です。 太子・丹は田光が来たと聞くと自ら宮殿を出て迎え入れました。轡を持って田光の下車を手伝い、先導するために後ろ向きに歩いて田光を宮内に連れて行きます。 部屋に入ると再拝して敬意を尽くし、跪いて席を払いま…

第百六回 王敖が李牧を殺し、田光が荊軻を薦める(中篇)

*今回は『東周列国志』第百六回中編です。 秦兵が邯鄲を包囲しました。顏聚が兵を全て集めて抵抗します。 趙王・遷は恐れて隣邦に援軍を求める使者を送ろうとしました。しかし郭開がこう言いました「韓王は既に秦に入って臣となり、燕も魏も自分を守るのが…

第百六回 王敖が李牧を殺し、田光が荊軻を薦める(前篇)

第百六回 王敖が反間によって李牧を殺し、田光が刎頸して荊軻を薦める (王敖反間殺李牧 田光刎頸薦荊軻) *今回は『東周列国志』第百六回前編です。 趙王遷五年、代の中部で地震があり、大半の建物が倒壊しました。平地が百三十歩も裂けて邯鄲も大旱に襲わ…

第百五回 茅焦が秦王を諫め、李牧が桓齮を退ける(後篇)

*今回は『東周列国志』第百五回後編です。 趙王が群臣を集めて共議すると、群臣はこう言いました「昔年、廉頗だけが秦兵を防ぐことができました。龐氏も楽氏も良将と称されていましたが、龐煖は既に死に、楽氏にも人がいません。廉頗だけがまだ魏国にいます…

第百五回 茅焦が秦王を諫め、李牧が桓齮を退ける(中篇)

*今回は『東周列国志』第百五回中編です。 楚国上蔡の人・李斯という者がいました。名賢・荀卿の弟子で広く学問があり、かつて秦国に周遊して呂不韋の舍人になりました。後に呂不韋がその才能を推挙したため、秦王が客卿に任命しましたが、今回、「逐客令(…

第百五回 茅焦が秦王を諫め、李牧が桓齮を退ける(前篇)

第百五回 茅焦が衣を解いて秦王を諫め、李牧が壁を堅くして桓齮を退ける (茅焦解衣諫秦王 李牧堅壁却桓齮) *今回は『東周列国志』第百五回前編です。 秦の大夫・陳忠が死んでからも秦王に諫言する者は絶えませんでした。秦王はことごとく殺戮して死体を闕…

第百四回 甘羅が高位を取り、嫪毐が秦宮を乱す(後篇)

*今回は『東周列国志』第百四回後篇です。 腐刑を偽って宦者の姿になった嫪毐は内侍に混ざって太后に進められました。太后は嫪毐を宮中に留めて身辺に侍らせます。 夜、太后が嫪毐に侍寝を命じて試してみると、大いに欲求を満足させ、呂不韋の十倍も勝ると…

第百四回 甘羅が高位を取り、嫪毐が秦宮を乱す(中篇)

*今回は『東周列国志』第百四回中篇です。 呂不韋は府中に帰って一人で堂上に座り、悶々としていました。 門下の客に甘羅という者がいました。甘茂の孫ですが、この時はまだ十二歳です。呂不韋が喜ばない様子を見て、進み出て問いました「あなたの心中には…

第百四回 甘羅が高位を取り、嫪毐が秦宮を乱す(前篇)

第百四回 甘羅が童年で高位を取り、嫪毐が腐を偽って秦宮を乱す (甘羅童年取高位 嫪毐偽腐乱秦宮) *今回は『東周列国志』第百四回前篇です。 王翦は兵を十里退けてから、溝(濠)を深くして塁壁を高くするように命じました。険阻な地形に兵を分けて守りを…

第百三回 李国舅が黄歇を除き、樊於期が秦王を討つ(後篇)

*今回は『東周列国志』第百三回後編です。 長安君・成嶠はまだ十七歳で軍務に精通していなかったため、樊於期を招いて相談しました。樊於期は以前から呂不韋が妾を納めて国を盗んだ事を嫌っていたため、左右の人払いをしてから成嶠に詳しく経緯を説明し、こ…

第百三回 李国舅が黄歇を除き、樊於期が秦王を討つ(中篇)

*今回は『東周列国志』第百三回中編です。 翌日、春申君が李園を招いて計画を伝え、秘かに李嫣を府中から出して別の舍(家)に住ませました。 その後、黄歇が入朝して楚王に言いました「臣は李園に嫣という妹がおり、美色があると聞きました。相者(人相を…

第百三回 李国舅が黄歇を除き、樊於期が秦王を討つ(前篇)

第百三回 李国舅が権を争って黄歇を除き、樊於期が檄を伝えて秦王を討つ (李国舅争権除黄歇 樊於期伝檄討秦王) *今回は『東周列国志』第百三回前編です。 龐煖は燕を破った威勢に乗じて列国と合従し、協力して秦に対抗しようとしました。 秦に附いている…

第百二回 信陵が蒙驁を敗り、龐煖が劇辛を斬る(後篇)

*今回は『東周列国志』第百二回後編です。 秦王政四年十月、蝗蟲が東方から飛んできて天を覆いました。禾稼(農作物)が収穫できず、疫病も流行します。 呂不韋が賓客と議して政令を発しました。百姓に粟を納めさせ、千石を納めたら爵一級を与えると約束し…