2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

東漢時代324 献帝(六) 劉虞 191年(1)

今回は東漢献帝初平二年です。七回に分けます。 東漢献帝初平二年 辛未 191年 [一] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月辛丑(初六日)、天下に大赦しました。 [二] 『三国志・魏書一・武帝紀(裴松之注含む)』と『資治通鑑』からです。 …

東漢時代323 献帝(五) 公孫度 190年(5)

今回で東漢献帝初平元年が終わります。 [十九] 『資治通鑑』からです。 夏四月、(朝廷が)幽州牧・劉虞を太傅に任命しましたが、道路が遮断されているため、信命(命令・任命書)を送ることができませんでした。 幽部(幽州)は荒外(荒服の外。辺遠)に接し…

東漢時代322 献帝(四) 曹操敗北 190年(4)

今回も東漢献帝初平元年の続きです。 [十五] 『資治通鑑』からです。 朝廷が詔によって北軍中候・劉表を荊州刺史に任命しました。 当時は寇賊が縦横(横行)しており、道路が塞がっていたため、劉表は単馬で宜城に入りました。 『資治通鑑』胡三省注によると…

東漢時代321 献帝(三) 孫堅挙兵 190年(3)

今回も東漢献帝初平元年の続きです。 [十一] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 三月乙巳(初五日)、車駕(皇帝の車)が長安に入り、未央宮を行幸しました。 『欽定四庫全書・後漢記(袁弘)』では「三月己巳(二十九日)」ですが、『資治通鑑…

東漢時代320 献帝(二) 遷都 190年(2)

今回は東漢献帝初平元年の続きです。 [六] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 董卓は山東の兵が盛んなため、遷都してこれを避けようと欲しました。 公卿は皆、遷都を望みませんでしたが、敢えて発言する者がいません。 董卓は河南尹・朱儁を推挙…

東漢時代目録(四)

東漢時代目録(四)です。 東漢時代目録(一) 東漢時代目録(二) 東漢時代目録(三) 東漢時代319 献帝(一) 反董卓同盟 190年(1) 東漢時代320 献帝(二) 遷都 190年(2) 東漢時代321 献帝(三) 孫堅挙兵 190年(3) 東漢時代322 献帝(四) 曹操敗北 190年(4) 東漢時代323…

東漢時代319 献帝(一) 反董卓同盟 190年(1)

今回から東漢献帝の時代です。 孝献皇帝 名を劉協といい、霊帝の中子(長子と末子以外の子)です。母は王美人ですが、何皇后に害されました。 『資治通鑑』胡三省注によると、「協」には「合(共同。同じ)」の意味があります。霊帝は献帝が自分に似ていたた…

東漢時代318 霊帝(五十三) 曹操出奔 189年(8)

今回で東漢霊帝中平六年が終わります。 [三十三] 『資治通鑑』からです。 董卓は性格が残忍で、一度権力を掌握して専政を開始すると、国家の甲兵・珍宝を占有し、威が天下を震わせました。 しかも董卓の願望には限りがなく、賓客にこう言いました「わしの相(…

東漢時代317 霊帝(五十二) 相国董卓 189年(7)

今回も東漢霊帝中平六年の続きです。 [二十五] 『後漢書・孝献帝紀』と『資治通鑑』からです。 董卓が諸公を率いて上書し、遡って故太傅・陳蕃、大将軍・竇武および諸党人について審理するように求めました。 全ての爵位を恢復し、使者を送って祠(祠廟)を…

東漢時代316 霊帝(五十一) 献帝即位 189年(6)

今回も東漢霊帝中平六年の続きです。 [十六] 『資治通鑑』からです。 丁原を執金吾に任命しました。 [十七] 『資治通鑑』からです。 ちょうどこの頃、泰山で兵を募っていた騎都尉・鮑信が戻り、袁紹にこう言いました「董卓は強兵を擁しているので、やがて異…

東漢時代315 霊帝(五十) 何進の失敗 189年(5)

今回も東漢霊帝中平六年の続きです。 [十五(続き)] 何進が謀をして日が重なったため、少なからず情報が漏洩しました。中官は懼れて事態の変化を求めるようになります(懼而思変)。 張譲の子婦(息子の妻。恐らく養子の妻です)が何太后の妹だったため、張…

東漢時代314 霊帝(四十九) 董卓東進 189年(4)

今回も東漢霊帝中平六年の続きです。 [十五(続き)] 以前、霊帝が董卓を召して少府に任命しようとしました(『資治通鑑』胡三省注によると、中平六年(本年。霊帝崩御前)の事です)。 しかし董卓は上書してこう言いました「(臣が)率いている湟中の義従(漢…

東漢時代313 霊帝(四十八) 政変 189年(3)

今回も東漢霊帝中平六年の続きです。 [十五] 大きな政変が起きます。まずは『後漢書・孝霊帝紀』から簡単に書きます。 八月戊辰(二十五日)、中常侍・張讓、段珪等が大将軍・何進を殺しました。 そこで虎賁中郎将・袁術が東西宮を焼き、諸宦者を攻めます。 …

東漢時代312 霊帝(四十七) 蹇碩誅殺 189年(2)

今回は東漢霊帝中平六年の続きです。 [八] 『資治通鑑』からです。 何進は朝政を掌握するようになると、蹇碩が自分を図ろうとした(害そうとした)ことを怨み、秘かに蹇碩誅殺を謀りました。 袁紹も何進の親客・張津を通して諸宦官を全て誅滅するように勧め…

東漢時代311 霊帝(四十六) 霊帝の死 189年(1)

今回は東漢霊帝中平六年です。八回に分けます。 東漢霊帝中平六年 己巳 189年 [一] 『資治通鑑』からです。 董卓が皇甫嵩に言いました「陳倉が危急なので、速やかに救うことを請います。」 皇甫嵩はこう言いました「それは違う(不然)。百戦百勝するよりも…

東漢時代310 霊帝(四十五) 西園八校尉 188年(3)

今回で東漢霊帝中平五年が終わります。 [十五] 『後漢書・孝霊帝紀』と『資治通鑑』からです。 秋七月、射声校尉・馬日磾を太尉に任命しました。 馬日磾は馬融の族孫です。族孫は父の兄弟の曾孫、または孫の代に当たる親族です。 [十六] 『資治通鑑』からで…

東漢時代309 霊帝(四十四) 王芬の陰謀 188年(2)

今回は東漢霊帝中平五年の続きです。 [十四] 『三国志・魏書一・武帝紀』の注と『資治通鑑』からです。 この頃、元太傅・陳蕃の子・陳逸が冀州刺史・王芬の坐(席。居場所)で術士・平原の人・襄楷に会いました。 襄楷が言いました「天文は宦者に対して不利…

東漢時代308 霊帝(四十三) 州牧 188年(1)

今回は東漢霊帝中平五年です。三回に分けます。 東漢霊帝中平五年 戊辰 188年 [一] 『後漢書・孝霊帝紀』からです。 春正月、休屠各胡(屠各胡。匈奴の一部)が西河を侵し、郡守・邢紀を殺しました。 [二] 『後漢書・孝霊帝紀』と『資治通鑑』からです。 丁…

東漢時代307 霊帝(四十二) 區星の乱 187年(2)

今回は東漢霊帝中平四年の続きです。 [七] 『後漢書・孝霊帝紀』からです。 六月、洛陽(雒陽)の民が男児を生みました。頭が二つあり、一つの体を共にしました(両頭共身)。 『孝霊帝紀』の注によると、上西門外の劉倉の妻が生みました。 [八] 『資治通鑑』…

東漢時代306 霊帝(四十一) 傅燮 187年(1)

今回は東漢霊帝中平四年です。二回に分けます。 東漢霊帝中平四年 丁卯 187年 [一] 『後漢書・孝霊帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月己卯(二十一日)、天下に大赦しました。 [二] 『後漢書・孝霊帝紀』と『資治通鑑』からです。 二月、滎陽賊が中牟令…

東漢時代305 霊帝(四十) 車騎将軍趙忠 186年

今回は東漢霊帝中平三年です。 東漢霊帝中平三年 丙寅 186年 [一] 『後漢書・孝霊帝紀』と『資治通鑑』からです。 春二月、江夏の兵・趙慈が叛して南陽太守・秦頡を殺しました。 [二] 『後漢書・孝霊帝紀』と『資治通鑑』からです。 庚戌(十六日)、天下に…

東漢時代 孫堅の出征

黄巾討伐と涼州遠征に孫堅が参加しました。 東漢時代302 霊帝(三十七) 王允 184年(6) 東漢時代304 霊帝(三十九) 董卓 185年(2) 以下、『三国志・呉書一・孫破虜討逆伝』から紹介します。 霊帝中平元年(184年)、黄巾賊の帥・張角が魏郡で挙兵しました。神霊…

東漢時代304 霊帝(三十九) 董卓 185年(2)

今回は東漢霊帝中平二年の続きです。 [八] 『資治通鑑』からです。 夏四月庚戌(十二日)、大いに雹が降りました(大雨雹)。 『後漢書・孝霊帝紀』は「大風が吹いて雹が降った(大風雨雹)」としていますが、『後漢書・五行志三』には「雹が降り、農作物を…

東漢時代303 霊帝(三十八) 各地の乱 185年(1)

今回は東漢霊帝中平二年です。二回に分けます。 東漢霊帝中平二年 乙丑 185年 [一] 『後漢書・孝霊帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、大疫に襲われました。 [二] 『後漢書・孝霊帝紀』からです。 琅邪王・劉據が死にました。 琅邪王は光武帝の子・劉京…

東漢時代302 霊帝(三十七) 王允 184年(6)

今回で東漢霊帝中平元年が終わります。 [二十一] 『資治通鑑』からです。 張曼成の余党が改めて趙弘を帥に立てました。その衆が再び盛んになり、十余万に拡大して宛城を拠点にします。 朱儁が荊州刺史・徐璆等と兵を合わせて包囲しましたが、六月から八月に…

東漢時代301 霊帝(三十六) 黄巾の失敗 184年(5)

今回も東漢霊帝中平元年の続きです。 [十九] 『後漢書・孝霊帝紀』と『資治通鑑』からです。 冬十月、皇甫嵩が張角の弟・張梁と広宗で戦いましたが、張梁の衆が精勇だったため、皇甫嵩は勝てませんでした。 翌日、皇甫嵩は営門を閉じて士卒を休ませ、状況の…

東漢時代300 霊帝(三十五) 盧植失脚 184年(4)

今回も東漢霊帝中平元年の続きです。 [十] 『後漢書・孝霊帝紀』と『資治通鑑』からです。 張曼成が宛下に駐軍して百余日が経ちました。 六月、南陽太守・秦頡が張曼成を攻撃して斬りました。 [十一] 『後漢書・孝霊帝紀』と『資治通鑑』からです。 交趾の土…

東漢時代 曹操登場(下)

『三国志・魏書・武帝紀』の本文と裴松之の注から、黄巾事件以前の曹操について紹介しています。 東漢時代 曹操登場(上) 『武帝紀』本文からです。 曹操は若い頃から機警(機智鋭敏)で、権数(権謀術数)がありましたが、任侠放蕩で行業(徳行学業。または…

東漢時代 曹操登場(上)

霊帝中平元年(184年)に曹操が登場しました。 東漢時代299 霊帝(三十四) 長社の戦い 184年(3) ここでは二回に分けて、『三国志・魏書・武帝紀』の本文と裴松之の注から、黄巾事件以前の曹操について紹介します。 魏太祖武皇帝は沛国譙の人で、姓は曹、諱(…

東漢時代 曹操登場(上)

霊帝中平元年(184年)に曹操が登場しました。 東漢時代299 霊帝(三十四) 長社の戦い 184年(3) ここでは二回に分けて、『三国志・魏書・武帝紀』の本文と裴松之の注から、黄巾事件以前の曹操について紹介します。 魏太祖武皇帝は沛国譙の人で、姓は曹、諱(…