2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

西漢時代201 宣帝(二十五) 先零羌討伐 前61年(3)

今回も西漢宣帝神爵元年の続きです。 [六(続き)] 趙充国が辛武賢の意見に反対する上書をしたため、宣帝は趙充国の書を公卿に見せました。議論に参加した者は皆、「先零の兵は強盛で、しかも䍐、幵の助に頼っています。先に䍐、幵を破らなかったら、先零を図…

西漢時代200 宣帝(二十四) 趙充国 前61年(2)

今回は西漢宣帝神爵元年の続きです。 [四] 『資治通鑑』からです。 漢の義渠安国が羌の地に入りました(前年参照)。 義渠安国はまず先零諸豪(豪は羌族の長です)三十余人を集め、特に桀黠(「桀」は指示に従わず頑固なこと。「黠」は「悪」と同義です)な…

西漢時代 聖主得賢臣頌

西漢宣帝神爵元年(前61年)に王褒の『聖主得賢臣頌』に触れました。 西漢時代199 宣帝(二十三) 王吉 前61年(1) 『漢書・厳朱吾丘主父徐厳終王賈伝下(巻六十四下)』に全文が収録されていますが、ここでは『資治通鑑』から簡略された内容を紹介します。 王…

西漢時代199 宣帝(二十三) 王吉 前61年(1)

今回は西漢宣帝神爵元年です。五回に分けます。 西漢宣帝神爵元年 庚申 前61年 『漢書・宣帝紀』の注によると、前年、神爵(神雀。瑞鳥)が長楽宮に降りて止まったため改元しました(三月に述べます)。 [一] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正…

西漢時代198 宣帝(二十二) 羌族 前62年

今回は西漢宣帝元康四年です。 西漢宣帝元康四年 己未 前62年 [一] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、宣帝が詔を発しました「朕が思うに耆老の人(耆は六十歳。老は七十歳です。併せて老人の意味です)は髪も歯も抜け落ち、血気が衰微し、…

西漢時代197 宣帝(二十一) 疏広 疏受 黄覇 前63年(2)

今回は西漢宣帝元康三年の続きです。 [五] 『漢書・宣帝紀』からです。 夏六月、宣帝が詔を発しました「前年夏、神爵(神雀)が雍に集まった(または「止まった」)。今春は、万を数える五色の鳥が属県(『漢書』の注によると三輔の諸県)に飛んで来て、翱翔…

西漢時代196 宣帝(二十) 功臣封侯 前63年(1)

今回は西漢宣帝元康三年です。二回に分けます。 西漢宣帝元康三年 戊午 前63年 [一] 『漢書・宣帝紀』からです。 春、神爵(神雀。瑞鳥)がしばしば泰山に集まりました(または「止まりました」)。 宣帝が諸侯王、丞相、将軍、列侯、二千石に金(黄金)を、郎…

西漢時代195 宣帝(十九) 宣帝の報恩 前64年(2)

今回は西漢宣帝元康二年の続きです。 [八] 『資治通鑑』からです。 魏相は漢の故事や国家の便宜(利便)となる奏章を観るのが好きだったため、しばしば漢が興隆してから国家が行ってきた便宜となる政策や賢臣・賈誼、鼂錯、董仲舒等の言葉を列挙し、宣帝に上…

西漢時代194 宣帝(十八) 車師撤兵 前64年(1)

今回は西漢宣帝元康二年です。二回に分けます。 西漢宣帝元康二年 丁巳 前64年 [一] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、宣帝が詔を発しました「『書(尚書・康誥)』にはこうある『文王が刑罰を作り、(大悪に対しては)刑を用いて赦さなか…

西漢時代193 宣帝(十七) 馮奉世 前65年(2)

今回は西漢宣帝元康元年の続きです。 [十一] 『資治通鑑』からです。 東海太守で河東の人・尹翁帰は郡における治政が優れていたため(治郡高第)、京師に招かれて右扶風に任命されました。 尹翁帰の為人は公廉明察で、郡中の吏民の賢才・不肖および姦邪な者…

西漢時代192 宣帝(十六) 趙広漢の死 前65年(1)

今回は西漢宣帝元康元年です。二回に分けます。 西漢宣帝元康元年 丙辰 前65年 [一] 『資治通鑑』からです。 烏孫公主(劉解憂。宣帝本始二年・前72年参照)の娘が亀茲王・絳賓の夫人になりました。 絳賓が漢に上書して言いました「漢の外孫を娶ることができ…

西漢時代191 宣帝(十五) 龔遂 前66年(3)

今回で西漢宣帝地節四年が終わります。 [八] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 九月、宣帝が詔を発しました「朕は百姓が職を失って困窮することを恐れ(失職不贍)、使者を派遣して郡国を循行させ、民が疾苦としていることを問わせた。一部の吏(官…

西漢時代190 宣帝(十四) 霍氏滅亡 前66年(2)

今回は西漢宣帝地節四年の続きです。 [七(続き)] この頃、霍禹や霍山等の家でしばしば不思議な事が起きました。以下、『霍光金日磾伝(巻六十八)』からです。 霍光夫人・顕が夢を見ました。府邸内の井戸水が溢れて庭に流れ出し、竈(かまど)が樹の上にあ…

西漢時代189 宣帝(十三) 霍氏の陰謀 前66年(1)

今回は西漢宣帝地節四年です。三回に分けます。 西漢宣帝地節四年 乙卯 前66年 [一] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 春二月、宣帝が外祖母・王媼(前年参照)に博平君の号を与えました。 また、舅(母・王氏の兄弟)・王無故を平昌侯に封じ、王武を…

西漢時代188 宣帝(十二) 廷尉平 前67年(4)

今回で西漢宣帝地節三年が終わります。 [十] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 十二月、宣帝が詔を発しました「最近、吏(官吏)が法を用いて文を巧みにする状況がますます深刻になっている。これは朕の不徳が原因である。決獄が不当なら罪がある者…

西漢時代187 宣帝(十一) 路温舒の上書 前67年(3)

今回も西漢宣帝地節三年の続きです。 [九] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 武帝の時代は徵発が頻繁に行われたため百姓が貧困になり、窮民が法を犯して姦軌(違法。犯罪)が数え切れないほどになりました。 そこで武帝は張湯や趙禹といった酷吏に…

西漢時代186 宣帝(十) 宣帝と霍氏 前67年(2)

今回は西漢宣帝地節三年の続きです。 [七] 『資治通鑑』からです。 霍氏が驕侈縦横(驕慢奢侈・放縦横柄)になりました。 太夫人・顕は広く第室(府邸。邸宅)を修築し、輿輦(天子の車)を作って乗用しました。輿輦には絵が描かれおり、絪馮(座席と軾)は…

宮城谷昌光『三国志読本』から「歴史の断絶?」

宮城谷昌光『三国志読本』の宮城谷氏と水上氏の対談について書いています。今回で最後にします。 前回は水上氏の「文化大革命以後、中国の人たちは、何か美しいものとか、いいものとか、宗教的に深いものさえ忘れてしまって、お金に走ってるようなところがあ…

宮城谷昌光『三国志読本』から「昔と今」

前回、簡体字について長々と書いてしまいました。 宮城谷昌光『三国志読本』から簡体字のこと 『三国志読本』の談話に戻ります。 水上氏は「僕は、他国を侮蔑したくないけど、略字新字の問題ではあの国は困った国だと思います。だって、僕たちは一生懸命、あ…

宮城谷昌光『三国志読本』から簡体字のこと

宮城谷昌光『三国志読本』について書いています。 宮城谷昌光『三国志読本』にがっかり 簡体字に対する批判が書かれていたので、私の見解を交えながら少し解説させていただきます。 宮城谷氏の「漢字は、面白いんです。たった一語でもいろいろな話ができるの…

西漢時代185 宣帝(九) 皇太子 前67年(1)

今回は西漢宣帝地節三年です。四回に分けます。 西漢宣帝地節三年 甲寅 前67年 [一] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 春三月、宣帝が詔を発しました「功があるのに賞さず、罪があるのに誅さなかったら、たとえ唐・虞(堯・舜)でも天下を治められ…

宮城谷昌光『三国志読本』にがっかり

宮城谷昌光という作家の中国歴史小説のファンはとても多いと思います。 私も大好きでした。でも、今回、『三国志読本』を勝って非常にがっかりしました。 以下、宮城谷小説ファンの方は読むとムカムカしてくると思いますので、ご遠慮ください。 私は高校時代…

西漢時代184 宣帝(八) 宣帝中興 前68年(2)

今回は西漢宣帝地節二年の続きです。 [四] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 宣帝が親政を始めましたが、大将軍・霍光の功徳に報いようと思い、霍光の兄(霍去病)の孫・霍山を楽平侯に封じました。奉車都尉のまま尚書の政務を兼任させます(領尚書…

西漢時代183 宣帝(七) 霍光の死 前68年(1)

今回は西漢宣帝地節二年です。二回に分けます。 西漢宣帝地節二年 癸丑 前68年 [一] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 春、霍光が病いに倒れて危篤に陥りました。 車駕(皇帝の車。宣帝)が自ら見舞いに行き、霍光のために涙を流します。 霍光は上…

西漢時代182 宣帝(六) 夏侯勝 前70~69年

今回は西漢宣帝本始四年と地節元年です。 西漢宣帝本始四年 辛亥 前70年 [一] 『漢書・宣帝紀』からです。 春正月、宣帝が詔を発しました「農とは興徳の本(徳を興す基本)だと聞いている。今年は不作なので(今歳不登)、既に使者を派遣して困乏を振貸(救…

西漢時代181 宣帝(五) 匈奴の衰弱 前71年(2)

今回は西漢宣帝本始三年の続きです。 [二] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 正月戊辰(十八日)、漢の五将軍(前年参照)が長安を出発しました。 匈奴は漢兵が大挙出征したと聞き、老弱を連れて奔りました。畜産も逐って遠くに遁走します。 そのた…

西漢時代181 宣帝(五) 匈奴の衰弱 前71年(2)

今回は西漢宣帝本始三年の続きです。 [二] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 正月戊辰(十八日)、漢の五将軍(前年参照)が長安を出発しました。 匈奴は漢兵が大挙出征したと聞き、老弱を連れて奔りました。畜産も逐って遠くに遁走します。 そのた…

西漢時代180 宣帝(四) 許皇后暗殺 前71年(1)

今回は西漢宣帝本始三年です。二回に分けます。 西漢宣帝本始三年 庚戌 前71年 [一] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月癸亥(十三日)、恭哀許皇后が死にました。 漢代の皇后は通常、諡号がありませんでした。 高帝の皇后は高祖呂皇后、恵帝…

西漢時代179 宣帝(三) 田延年 前72年

今回は西漢宣帝本始二年です。 西漢宣帝本始二年 己酉 前72年 [一] 『漢書・宣帝紀』からです。 春、宣帝が水衡銭を使って平陵(昭帝陵)を修築し、民を遷して第宅(邸宅)を築きました。 『漢書』の注によると、水衡と少府は天子の私藏(私有財産)を管理し…

西漢時代177 宣帝(二) 戾太子 前73年(2)

今回は西漢宣帝本始元年の続きです。 [五] 『漢書・宣帝紀』と『資治通鑑』からです。 夏四月庚午(初十日)、地震がありました。 [六] 『漢書・宣帝紀』からです。 宣帝が詔を発し、内郡国に文学高第(成績が優秀な者)を各一人推挙させました。 『漢書』の…