2014-12-01から1ヶ月間の記事一覧

西周時代22 夷王 楚熊渠

今回は夷王の時代です。 夷王 孝王が死に、懿王の太子・燮が諸侯に擁立されました。これを夷王といいます。 元年 庚子。または乙丑、丁卯。 [一] 春正月、夷王が即位しました。 諸侯が来朝すると、夷王は堂を下りて諸侯と「抗礼(平等な礼)」を行いました…

西周時代21 孝王

今回は孝王の時代です。 孝王 懿王が死んで恭王の弟(または「懿王の弟」)・辟方が立ちました。これを孝王といいます。 元年 辛卯。または庚戌、壬子。 [一] 春正月、孝王が即位しました。 [二] 『竹書紀年』(今本)によると、この年、孝王が申侯に命…

西周時代20 懿王

今回は懿王の時代です。 懿王 恭王(共王)が死んで子の懿王が立ちました。名は囏(または「堅」)です。 元年 丙寅。または乙酉、丁亥。 [一] 春正月、懿王が即位しました。 [二] 鄭で「天再旦」という現象が見られました。「天再旦」とは一日に太陽が二回…

西周時代19 恭王

今回は恭王の時代です。 恭王 穆王が死んで子の恭王が立ちました。恭王は共王とも書かれます。名を繄扈(または「伊扈」)です。 元年 甲寅。または乙亥。 [一] 春正月、恭王が即位しました。 四年 [一] 恭王が密を滅ぼしました。 恭王が涇水で遊んだ時、密…

西周時代18 穆王(三) 呂刑

今回で穆王時代が終わります。 三十七年 [一] 穆王が九師を大挙して東征(南征)し、九江に至りました。この時、黿鼉(亀や鰐)を大量に捕まえて橋を架けたといわれています。 周軍は越を討って紆に至りました。 これは『今本竹書紀年』の記述です。『古本竹…

西周時代18 穆王(二) 徐偃王

今回は穆王時代の続きです。 十四年 [一] 穆王は宗周を安定させると徐夷への反撃を開始しました。楚子(楚国の主。子爵)に命じて徐国を討伐させます。造父が使者として楚に赴き、一日で到着しました。 周の王孫厲が楚子に徐夷討伐を説得する話が『淮南子・…

西周時代16 穆王(一) 犬戎征伐 造父

今回から穆王の時代です。三回に分けます。 今までと同じく、在位年数は主に『竹書紀年』(今本)を参考にしました。『資治通鑑前編』は異なる年数を用いていますが、併記すると繁雑になるので、別途年表にまとめます。 穆王 昭王が死んで子の満が立ちました…

西周時代15 昭王 南征失敗

今回は昭王の時代です。 昭王 康王が死んで子の昭王が立ちました。名は瑕です。 昭王の時代は王道が欠けて徳が衰えました。 元年 庚子。または己丑。 [一] 春正月、昭王が即位しました。 [二] 成王の時代(二十一年)に「治象(明文化された法令)」が廃され…

西周時代14 康王 成康の治

今回は西周康王の時代です。 康王 成王が死に、子の康王が即位しました。名は釗です。 元年 甲戌。または癸亥。 [一] 春正月、康王が即位しました。 冢宰・召公・奭に百官を統べさせました。 諸侯が豊宮(鄷宮)で康王に朝見しました。 魯侯・伯禽、唐侯・…

西周時代13 成王(六) 成王の死

今回で西周成王の時代が終わります。 二十一年 [一] 「治象(明文化された法令)」を排除しました。 世の中が安定して法を犯す者がいなくなったという意味と、法治ではなく礼徳による政治(徳治)を行ったという意味があると思われます。 [二] 周公・旦…

西周時代12 成王(五)

今回も西周成王の時代です。 九年 [一] 春正月、成王が太廟を祭り、始めて「勺」を用いて天を祀りました。「勺」は「汋楽」ともよばれる音楽です。「勺」は「先祖の道を掬う」という意味のようです。 [二] 粛慎氏が来朝しました。 成王が栄伯(周と同姓の畿…

西周時代目録

西周時代の目録です。 本編 西周時代に入る前に 西周時代1 建国前(一) 后稷から亜圉まで 西周時代2 建国前(二) 古公亶父以降 西周時代3 武王(一) 即位 西周時代4 武王(二) 西周時代5 武王(三) 分封 西周時代6 武王(四) 西周時代7 武王(五) 西…

西周時代9 成王(二) 東都建設

今回は西周成王の時代の続きです。 四年 [一] 春正月、成王が始めて宗廟を参拝しました。 これは『竹書紀年』(今本)の記述です(春正月,初朝於廟)。『逸周書・嘗麦解』は孟夏(四月)に始めて宗廟を祈祷したとしています。 [二] 夏四月、成王が太祖・文…

西周時代8 成王(一) 周公摂政 三監の乱

今回から西周成王の時代です。 成王 武王が死んで子の成王が継ぎました。名は誦です。 元年 丁酉。または丙戌。 [一] 春正月、成王が即位しました。 しかし成王はまだ幼く、天下もまだ不安定だったため、周公・旦(武王・発の弟)が諸侯の反乱を恐れました…

西周時代7 武王(五)

今回で西周武王の時代が終わります。 十三年 [一] 西旅(西方の少数民族)が獒(大型犬の一種)を献上しました。 そこで太保・召公・奭が武王を戒め、『旅獒』を書きました。武王の徳が遠方に伝わり、四方から貢物が献上されているが、それらは異姓の諸侯に…

西周時代6 武王(四)

今回も西周武王の時代です。十二年が終わります。 [十一] 周公・旦が呂尚に聞きました「どのように斉を治めるつもりですか。」 呂尚が言いました「賢人を尊んで功績を貴ぶつもりです。」 周公が言いました「(功績を重視したら功臣の権力が大きくなり)後世…

西周時代5 武王(三) 分封

今回も西周武王の時代です。十二年の続きになります。 [十] 全国の諸侯や百官が豊に集まりました。武王は諸侯や功臣および聖人の子孫を分封しました。まず聖人の子孫が封侯されます。 神農の子孫が焦に封じられました。 黄帝と帝堯の子孫に関しては説が分か…

西周時代4 武王(二)

今回も西周武王の時代です。十二年の続きになります。 [四] 武王が紂の子・武庚祿父を諸侯に封じて殷の祭祀を続けさせ、盤庚の政治を継承させたため、殷民が喜びました。 [五] 武王が召公・奭に命じて箕子を釈放させ、貝千朋(「朋」は貨幣の単位)を下…

西周時代3 武王(一) 即位

今回から西周武王の時代です。五回に分けます。 今までと同じく、主に参考にしたのは『史記・殷本紀』『史記・周本紀』『帝王世紀』『十八史略』『竹書紀年』(古本・今本)『資治通鑑外紀』『資治通鑑前編』です。一部を除いて書籍名の紹介はしません。在位…

西周時代2 建国前(二) 古公亶父以降

今回も西周建国前の様子です。古公亶父以降です。 古公亶父は太王とよばれます。 再び后稷、公劉の業を復興し、徳を積んで義を行ったため、国人に愛されました。 当時、商の武乙が暴虐だったため、犬戎等が辺境を侵すようになりました。 豳も薫育の狄人に攻…

西周時代1 建国前(一) 后稷から亜圉まで

今回から西周時代ですが、まずは周王朝建国前の様子です。二回に分けます。 主に参考にしたのは『史記・殷本紀』『史記・周本紀』『帝王世紀』『十八史略』『竹書紀年』(古本・今本)『資治通鑑外紀』『資治通鑑前編』です。一部を除いて書籍名の紹介はしま…

西周時代に入る前に

今回から周王朝に入ります。 周は非常に長い時代ですが、鎬京(西安付近)を首都としていた前半と、雒邑(洛陽附近)を首都にしていた後半とで分けられます。前半を西周、後半を東周といいます。 後半の東周時代は春秋・戦国時代ともいい、分裂の時代です。 …

商王朝 王名対比表(『史記』と甲骨文)

商王朝は甲骨文字の発見によってその実在が明らかになりました。 しかし甲骨文に残された王の名が史書と一致しないこともあります。 そこで、『史記』と甲骨文の対比表を作りました。 『史記』は「三代世表」の記述によります。 甲骨文は中国国際広播出版社…

商王朝年表 紂の時代

今回は商王朝最後の王・紂の年表です。 まずは『資治通鑑外紀目録』を中心にまとめた表です。 長いので前後に分けました。 次は『竹書紀年』(今本)と『資治通鑑前編挙要』の対比表です。 *全て拡大できます。

商王朝年表 盤庚から帝乙まで

今回は商王朝の盤庚から帝乙までの年表です。 まずは『資治通鑑外紀目録』を中心にまとめた表です。 盤庚から高宗・武丁までです。 祖庚から武乙までです。 太丁と帝乙です。 次は『竹書紀年』(今本)と『資治通鑑前編挙要』の対比表です。 盤庚から武丁ま…

商王朝年表 九世の乱

今回は商王朝・九世の乱の時代です。 まずは『資治通鑑外紀目録』を中心にまとめた表です。 次は『竹書紀年』(今本)と『資治通鑑前編挙要』の対比表です。 左が『竹書紀年』(今本)、右が『資治通鑑前編挙要』です。 *全て拡大できます。

商王朝年表 太戊まで

今回は外丙から太戊までの年表です。 まずは『資治通鑑外紀目録』を中心にまとめた表です。 次は『竹書紀年』(今本)と『資治通鑑前編挙要』の対比表です。 まずは外丙から太甲までです。 (『資治通鑑前編』では外丙と仲丁の時代がありません) 左が『竹書…

商王朝年表 成湯

商王朝の年表を作りました。 今回は成湯の時代です。 まずは『資治通鑑外紀目録』を中心にまとめた表です。 次は『竹書紀年』(今本)と『資治通鑑前編挙要』の対比表です。本編の在位年数は『竹書紀年』(今本)のものを使っています。 *どちらも拡大でき…