2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

西漢時代281 成帝(三十九) 傅太后 前7年(2)

今回は西漢成帝綏和二年の続きです。 [九] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 四月己卯(中華書局『白話資治通鑑』は「己卯」を恐らく誤りとしています。下述します)、孝成皇帝を延陵に埋葬しました。 『資治通鑑』胡三省注によると、延陵は扶風に…

西漢時代280 成帝(三十八) 成帝の死 前7年(1)

今回は西漢成帝綏和二年です。六回に分けます。 西漢成帝綏和二年 甲寅 前7年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、成帝が甘泉を行幸し、泰畤で郊祭しました。 [二] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 二月壬子(十三日)、丞相・…

西漢時代279 成帝(三十七) 王莽台頭 前8年(5)

今回で西漢成帝綏和元年が終わります。 [十(続き)] 『資治通鑑』本文に戻ります。 函谷都尉・建平侯・杜業は以前から翟方進と不仲でした。 翟方進が上奏しました「杜業は紅陽侯の書を受け取って請いを聴きました。不敬の罪に当たります,」 杜業は罷免され…

西漢時代278 成帝(三十六) 淳于長の失脚 前8年(4)

今回も西漢成帝綏和元年です。 [十] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 衛尉・侍中・淳于長(王政君の姉の子)は成帝の寵を受けており、大いに信用されていたため、権貴が公卿を圧倒しました。外は諸侯、州牧、郡守と結び、賄賂や賞賜は鉅万(巨万)…

西漢時代277 成帝(三十五) 夏侯藩と匈奴 前8年(3)

今回も西漢成帝綏和元年です。 [六] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 秋八月庚戌(初九日)、中山王・劉興(孝王)が死にました。 『漢書・諸侯王表』と『漢書・宣元六王伝(巻八十)』によると、劉興の子・劉箕子が跡を継ぎました。 劉箕子は成帝…

西漢時代276 成帝(三十四) 殷周の子孫 前8年(2)

今回は西漢成帝綏和元年の続きです。 [三] 『漢書・成帝紀』『漢書・楊胡朱梅云伝(巻六十七)』と『資治通鑑』からです。 武帝時代に周の後代・姫嘉を周子南君に封じました(武帝元鼎四年・前113年参照)。 元帝時代、周子南君を尊重して周承休侯に改め、位…

西漢時代275 成帝(三十三) 皇太子 前8年(1)

今回は西漢成帝綏和元年です。五回に分けます。 西漢成帝綏和元年 癸丑 前8年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、天下に大赦しました。 [二] 『資治通鑑』からです。 成帝が丞相・翟方進、御史大夫・孔光、右将軍・廉褒、後将軍・朱博…

西漢時代274 成帝(三十二) 劉欣と劉興 前10~9年

今回は西漢成帝元延三年と四年です。 西漢成帝元延三年 辛亥 前10年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月丙寅(初十日)、蜀郡の岷山が崩れました。江(恐らく「岷江」。長江上流の支流です)が三日に渡って塞がれ、江水が涸れてしまいま…

西漢時代273 成帝(三十一) 烏孫 康居 前11年

今回は西漢成帝元延二年です。 西漢成帝元延二年 庚戌 前11年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、成帝が甘泉を行幸し、泰畤で郊祭を行いました。 三月、河東を行幸して后土を祀りました。 成帝は祭祀が終わってから龍門に行遊し、歴観…

西漢時代272 成帝(三十) 折檻 前12年(2)

今回は西漢成帝元延元年の続きです。 [九] 『資治通鑑』からです。 特進・安昌侯・張禹が平陵肥牛亭の地を求めました。 張禹は成帝が太子だった頃に『論語』を教授しました(成帝河平四年・前25年)。 『資治通鑑』胡三省注によると、張禹はこの地に冢塋(墓…

西漢時代271 成帝(二十九) 天変 前12年(1)

今回は西漢成帝元延元年です。二回に分けます。 西漢成帝元延元年 己酉 前12年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月己亥朔、日食がありました。 [二] 『資治通鑑』からです。 壬戌(二十四日)、王商が再び大司馬・衛将軍になりました。 …

西漢時代 梅福の上書

成帝永始三年(前14年)、元南昌尉で九江の人・梅福が上書しました。 西漢時代269 成帝(二十七) 祭祀の恢復 前14年 以下、『資治通鑑』を元に上書の内容を書きます。 「昔、高祖は、善言を採用する様子がまだ及ばないようであり(いくら善言を採用してもまだ…

西漢時代 谷永の諫言

成帝永始二年(前15年)、谷永が涼州刺史になり、報告のために京師に来ました。 西漢時代266 成帝(二十四) 班伯 前15年(1) 報告が終わって涼州刺史部に帰ろうとした時、成帝が尚書を送り、谷永に話したいことがあったら自由に述べるように命じました。 谷永…

西漢時代270 成帝(二十八) 梁王劉立 前13年

今回は西漢成帝永始四年です。 西漢成帝永始四年 戊申 前13年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、成帝が甘泉に行幸し、泰畤で郊祭を行いました 神光が降って紫殿に集まりました。 天下に大赦しました。 甘泉宮は雲陽県にあるため、雲陽…

西漢時代269 成帝(二十七) 祭祀の恢復 前14年

今回は西漢成帝永始三年です。 西漢成帝永始三年 丁未 前14年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月己卯晦、日食がありました。 成帝が詔を発しました「天災が頻繁に重なり、朕は甚だ懼れている。民の失職を想い、大中大夫・嘉等を臨遣(皇…

西漢時代268 成帝(二十六) 昌陵事件 前15年(3)

今回で西漢成帝永始二年が終わります。 [九] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 成帝が雍を行幸して五畤を祀りました。 『資治通鑑』胡三省注は「成帝建始二年(前31年)、雍の五畤を廃止した。今回、久しく継嗣(後継者)がいなかったため、甘泉・…

西漢時代267 成帝(二十五) 翟方進と孔光 前15年(2)

今回は西漢成帝永始二年の続きです。 [七(続き)] 成帝が張放等と宴を開いた時、長信庭林表がちょうど使いに来ており、班伯と成帝のやり取りを見ました。 『資治通鑑』胡三省注によると、「長信庭林表」は「長信宮庭の林表」を指します。長信宮は王太后が住…

西漢時代266 成帝(二十四) 班伯 前15年(1)

今回は西漢成帝永始二年です。三回に分けます。 西漢成帝永始二年 丙午 前15年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月己丑(初三日)、大司馬・車騎将軍・安陽侯・王音(敬侯)が死にました。 王氏では王音だけが身を修めて整えており、しば…

西漢時代265 成帝(二十三) 蕭何の子孫 前16年(3)

今回で西漢成帝永始元年が終わります。 [六] 『資治通鑑』からです。 かつて鄼侯・蕭何の子孫で侯位を継いだ者の中には、子がいなかったり罪を犯した者がいたため、前後して五回、祭祀が途絶えました。しかし高后(呂太后)、文帝、景帝、武帝、宣帝が蕭何の…

西漢時代264 成帝(二十二) 昌陵廃止 前16年(2)

今回は西漢成帝永始元年の続きです。 [四] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 六月丙寅(初七日)、趙氏(飛燕)を皇后に立てて、天下に大赦しました。 趙飛燕は皇后に立てられてから寵愛が少し衰えました。妹(『飛燕外伝』では趙合徳)が最も寵幸…

西漢時代263 成帝(二十一) 王莽登場 前16年(1)

今回は西漢成帝永始元年です。三回に分けます。 西漢成帝永始元年 乙巳 前16年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月癸丑(二十二日)、太官の凌室(氷を貯蔵する部屋)で火災がありました。 戊午(二十七日)、戾后(史良娣。宣帝の祖母)…

西漢時代262 成帝(二十) 杜鄴 前17年

今回は西漢成帝鴻嘉四年です。 西漢成帝鴻嘉四年 甲辰 前17年 [一] 『漢書・成帝紀』からです。 春正月、成帝が詔を発しました「しばしば有司(官員)に敕し(指示し)、寬大を行うことに務め、苛暴を禁止させたが、今に至っても改められていない。一人に辜…

西漢時代261 成帝(十九) 趙飛燕 前18年

今回は西漢成帝鴻嘉三年です。 西漢成帝鴻嘉三年 癸卯 前18年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 夏四月、天下に大赦しました。 [二] 『漢書・成帝紀』からです。 吏民が爵位を買えるようにしました。爵一級の値を千銭にしました。 [三] 『漢書…

西漢時代260 成帝(十八) 昌陵邑 前19年

今回は西漢成帝鴻嘉二年です。 西漢成帝鴻嘉二年 壬寅 前19年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春、成帝が雲陽、甘泉を行幸しました。 『資治通鑑』胡三省注によると、甘泉宮は雲陽県にあります。 [二] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からで…

西漢時代259 成帝(十七) 成帝の微行 前20年

今回は西漢成帝鴻嘉元年です。 西漢成帝鴻嘉元年 辛丑 前20年 [一] 『資治通鑑』からです。 谷永が上奏しました「聖王は名誉(名声)を実効(実際の成果、功績)よりも上にはしませんでした(聖王不以名誉加於実效)。御史大夫は任が重く職が大きいものです…

西漢時代258 成帝(十六) 王立 前22~21年

今回は西漢成帝陽朔三年と四年です。 西漢成帝陽朔三年 己亥 前22年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春三月壬戌(中華書局の『白話資治通鑑』は「壬戌」を恐らく誤りとしています)、八つの隕石が東郡に落ちました。 [二] 『漢書・成帝紀』…

西漢時代257 成帝(十五) 劉向の進言 前23年

今回は西漢成帝陽朔二年です。 西漢成帝陽朔二年 戊戌 前23年 [一] 『漢書・成帝紀』からです。 春なのに寒冷が続きました。 成帝が詔を発しました「昔、帝堯が羲・和の官を立てた時(帝堯は羲氏と和氏を天地を管理する官に立てました)、四時(四季)の事を…

西漢時代256 成帝(十四) 王章と馮野王 前24年(2)

今回は西漢成帝陽朔元年続きです。 [三(続き)] 王鳳が王商を弾劾して罷免させ、後には定陶王を国に帰らせたため、成帝は王鳳に対して不平を抱えていました。 王章の進言を聴いた成帝はついに感寤(覚醒。悟ること)し、意見を採用して王章に言いました「京兆…

西漢時代255 成帝(十三) 王鳳専横 前24年(1)

今回は西漢成帝陽朔元年です。二回に分けます。 西漢成帝陽朔元年 丁酉 前24年 『漢書・成帝紀』の注によると、応劭が「当時は陰が盛んで陽が衰えていたため、『陽朔』に改元し、陽気の蘇息を願った」と解説しています。 しかし顔師古はこれを否定し、「朔は…

西漢時代254 成帝(十二) 王商失脚 前25年

今回は西漢成帝河平四年です。 西漢成帝河平四年 丙申 前25年 [一] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、匈奴復株累若鞮単于が来朝しました。 [二] 『漢書・成帝紀』と『資治通鑑』からです。 天下の徒(囚徒)を赦しました(大赦しました)。…