2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

春秋時代53 東周襄王(十三) 斉桓公の死 前644~643年

今回は東周襄王九年からです。 襄王九年 前644年 丁丑 [一] 春正月戊申朔、宋に五つの隕石が落ちました 同月、大風のため、六鷁(六羽の水鳥)が逆に飛んで宋都を過ぎました。 周の内史・叔興が宋を聘問した時、宋襄公がこの二事について問いました「これは何…

春秋時代52 東周襄王(十二) 斉管仲の死 前645年(4)

今回で東周襄王八年が終わります。 [十五] この年、斉の管仲が病に倒れました。 『管子』の『戒(第二十六)』と『小称(第三十二)』に桓公と管仲の会話が紹介されています。以下、二篇の内容を合わせて簡単に紹介します。 桓公が管仲を訪ねて言いました「…

春秋時代51 東周襄王(十一) 慶鄭処刑 前645年(3)

今回も東周襄王八年の続きです [十二] 十月(晋が用いる夏暦。周暦では十二月)、晋の陰飴甥(呂甥)が秦穆公に会い、王城(秦の地名)で盟を結びました。 穆公が聞きました「晋国は和しているか?」 呂甥が答えました「和していません。小人は国君が犯した…

春秋時代50 東周襄王(十) 戦後の晋と秦 前645年(2)

今回は東周襄王八年の続きです。 [十一] 韓原で秦に敗戦した晋の大夫達は髪を乱したまま営舎を片づけ、恵公に従うため秦軍の後を追いました。 秦穆公が使者を送ってこう伝えました「汝等は何を心配しているのだ。寡人(私)は晋君に従って西に行き、晋の妖夢…

春秋時代 韓原の戦い 岐下の野人

晋と秦が韓原で戦いました。 春秋時代49 東周襄王(九) 韓原の戦い 前645年(1) 本編では『春秋左氏伝(僖公十五年)』と『国語・晋語三』の内容を元にしましたが、『史記・秦本紀』は異なる記述になっているので、ここで紹介します。 秦繆公(穆公)十五年、…

春秋時代49 東周襄王(九) 韓原の戦い 前645年(1)

今回は東周襄王八年です。四回に分けます。 襄王八年 前645年 丙子 [一] 春正月、魯釐公が斉に入りました。 [二] 楚が徐国を討ちました。徐が諸夏(中原諸国)に近づいたためです。斉桓公には徐嬴という夫人がおり、斉と徐は婚姻関係にありました。 三月、斉…

春秋時代48 東周襄王(八) 泛舟の役 前648~646年

今回も東周襄王の続きです。 襄王五年 前648年 癸酉 [一] 春、諸侯が衛の楚丘に郛(外城)を築きました。狄の攻撃に備えるためです。 [二] 三月庚午、日食がありました。 「三月庚午」というのは『春秋(僖公十二年)』の記述です。恐らく「四月庚午朔」の誤…

春秋時代47 東周襄王(七) 周内史過と晋恵公 前649年

今回は東周襄王四年です。 襄王四年 前649年 壬申 [一] 孔子が編纂した史書『春秋』はこの年春に「晋が大夫・丕鄭父を殺した」と書いています。丕鄭父は丕鄭のことです。この事件は前年冬に記述しました。 『春秋左氏伝』は「春、晋が丕鄭の乱を魯に報告した…

春秋時代46 東周襄王(六) 里克と丕鄭の死 前650年

今回は東周襄王三年です。 襄王三年 辛未 前650年 [一] 春正月、魯釐公(僖公)が斉に入りました。 [二] かつて温の蘇子(温子、温蘇子。『資治通鑑外紀』によると巳姓。西周司寇・蘇忿生の後裔の邑)が王子・頽を擁立しました(東周恵王二年、前675年)。王…

春秋時代45 東周襄王(五) 斉桓公と封禅 前651年(4)

今回で東周襄王二年が終わります。 [八] 当時、周王室はますます衰え、斉・楚・秦・晋が強大になっていましたが、晋は献公の死によって混乱し、秦穆公は辺境にいたため中国(中原)の会盟に参加せず、楚成王は荊蛮の地に勢力を拡大して夷狄としての立場を自…

春秋時代44 東周襄王(四) 晋恵公即位 前651年(3)

今回も東周襄王二年の続きです。 [五(続き)] 呂甥が大夫達に言いました「国君が既に死んだが、勝手に新君を立てることはできない。久しく国君がいなければ、諸侯の謀略を招くであろうが、国外の公子を迎え入れても民心が統一しなければ乱を大きくしてしま…

春秋時代43 東周襄王(三) 晋献公の死 前651年(2)

今回は東周襄王二年の続きです。 [五] 九月甲子(晋が使っていた夏暦の九月甲子。周暦では十一月初十日)、晋献公が在位二十六年で死にました。太子・奚斉(驪姫の子)が即位することになります。 しかし晋の里克と丕鄭は公子・重耳を晋に入れようとし、三公…

春秋時代42 東周襄王(二) 葵丘の会 前651年(1)

今回は東周襄王二年です。四回に分けます。 襄王二年 前651年 庚午 [一] 春三月丁丑(十九日)、宋桓公が在位三十一年で死にました。太子・茲父(または「茲甫」)が即位します。これを襄公といいます。 『史記・宋微子世家』によると、襄公は庶兄の目夷を相…

春秋時代41 東周襄王(一) 洮の会盟 前652年

今回から東周襄王の時代です。 襄王 恵王が死んで子の鄭が立ちました。襄王といいます。 襄王元年 前652年 己巳 東周恵王は在位二十四年(前年。前653年)閏十二月に死にました。この年(前652年)は襄王元年になります。『春秋左氏伝』『帝王世紀』とも在位…

春秋時代第一期年表 東周恵王

今回は東周恵王の時代です。 *全て拡大できます。 これで春秋時代第一期が終わります。

春秋時代第一期年表 東周釐王

今回は東周釐王時代の年表です。 *全て拡大できます。 次回は春秋時代最後・恵王の年表です。 春秋時代第一期年表 東周恵王

春秋時代第一期年表 東周荘王

今回は東周荘王時代の年表です。 *全て拡大できます。 次回は東周釐王の年表です。 春秋時代第一期年表 東周釐王

春秋時代第一期年表 東周桓王

今回は東周桓王の年表です。 *全て拡大できます。 次回は荘王時代の年表です。 春秋時代第一期年表 東周荘王

春秋時代40 東周恵王(十九) 恵王の死 前654~653年

今回で東周恵王の時代が終わります。 恵王二十三年 丁卯 前654年 [一] 春、晋献公が大夫・賈華に屈の公子・夷吾を攻撃させました。夷吾は守りきれないと判断し、屈の人々に再戦を誓って去りました。 夷吾が言いました「兄(重耳)に従って狄(翟)に行くべき…

春秋時代 百里奚登用

秦穆公が賢人・百里奚を得ました。 春秋時代39 東周恵王(十八) 虢・虞滅亡 前655年(2) ここでは百里奚の登用に関する逸話を二つ紹介します。 まずは『説苑・臣術(巻二)』からです。 秦穆公が塩を買うために賈人(商人)を集めました。ある賈人が五頭の羖羊…

春秋時代 晋太子申生の死

晋の太子・申生が殺されました。 春秋時代37 東周恵王(十六) 斉桓公南征 晋太子申生の死 前656年 『国語・晋語二』に詳しく書かれているので、ここで紹介します。 申生が稷桑(東山)から凱旋して五年が経ちました(東周恵王十七年、前660年参照。足掛け五年…

春秋時代39 東周恵王(十八) 虢・虞滅亡 前655年(2)

今回は東周恵王二十二年の続きです。 [八] 晋献公が虢国(西虢。または黄河南にあるので南虢)を攻撃するため、再び虞国に道を借りようとしました(東周恵王十九年、前658年参照)。 虞の宮之奇が虞公を諫めて言いました「虢は虞の表(表面。外周)です。虢…

春秋時代38 東周恵王(十七) 首止の会盟 前655年(1)

今回は東周恵王二十二年です。二回に分けます。 恵王二十二年 丙寅 前655年 [一] 春正月辛亥朔、冬至(日南至)と重なりました。 魯僖公が太廟で朔(毎月初一日、宗廟に報告する儀式)を行い、宮門前の観台で雲物(雲や風、気、日、月、星)を観察しました。…

春秋時代37 東周恵王(十六) 斉桓公南征 晋太子申生の死 前656年

今回も東周恵王の時代です。 周恵王二十一年 乙丑 前656年 [一] 春正月、斉桓公が魯公(釐公)、宋公(桓公)、陳侯(宣公)、衛侯(文公)、鄭伯(文公)、許男(男爵・穆公)、曹伯(伯爵。昭公)と共に蔡を攻撃しました。 蔡は壊滅し、穆公(繆公)は斉に…

春秋時代第一期年表 東周平王

春秋時代第一期の年表です。 『史記・十二諸侯年表』『資治通鑑外紀目録』『今本竹書紀年』『資治通鑑前編挙要』の対比表です。 平王四十九年から『春秋左氏伝』の記述が始まるので、『左伝』の欄を追加して主な内容を記載しました。 今回は東周平王の年表で…

春秋時代 斉桓公と諸侯(二)

斉桓公と諸侯の関係を紹介しました。 春秋時代 斉桓公と諸侯(一) 今回はその続きです。 まずは『国語・斉語』からです。 桓公が言いました「南伐をしたいと思うが、どこの国を主(物資を提供する国)とするべきだろうか。」 管仲が答えました「魯を主にする…

春秋時代 斉桓公と諸侯(一)

斉が狄の攻撃を受けた邢や衛を援けました。 春秋時代36 東周恵王(十五) 邢・衛の再建 晋の虢攻撃 前659~657年 斉桓公と諸侯の関係について『資治通鑑外紀』が『管子』『国語』を元にいくつかの逸話を紹介しています。以下、列記します。 まずは『管子・覇形…

春秋時代36 東周恵王(十五) 邢・衛の再建 晋の虢攻撃 前659~657年

今回も東周恵王の時代です。 恵王十八年 壬戍 前659年 [一] 魯釐公(僖公)の元年、季友を相に任命し、汶陽(汶水北)の鄪邑を与えました。季友の子孫は季孫氏(季氏)を名乗ります。 慶父の子孫を孟孫氏(仲孫氏。孟氏)、叔牙の子孫を叔孫氏(叔氏)といい…

春秋時代 晋太子申生の遠征

東周恵王十七年(前660年)、晋の太子・申生が東山の狄を討伐しました。 春秋時代35 東周恵王(十四) 晋太子申生の東山討伐 前660年(3) 本編では『春秋左氏伝(閔公二年)』を中心に記述しましたが、『国語・晋語二』には少し異なる記述がるのでここで紹介し…

春秋時代35 東周恵王(十四) 晋太子申生の東山討伐 前660年(3)

今回で東周恵王十七年(前660年)が終わります。 [九] 晋献公が太子・申生に東山の皋落氏(赤狄の一種)を討伐させました。里克が諫めて言いました「太子は冢祀(宗廟の祭祀)と社稷の粢盛(穀物。社稷の祭祀)を奉じ、朝晩、国君の食事を見守るものです。だ…