2015-12-01から1ヶ月間の記事一覧
今回は東周敬王二年です。 敬王二年 前518年 癸未 [一] 春正月辛丑(初五日)、周の召伯・盈(簡公。召荘公・奐の子)と南宮嚚(南宮極の子)が甘桓公(甘平公の子)を王子朝に推挙しました。 この事を知った劉狄(劉子)が萇弘に言いました「甘氏も去ってし…
今回は東周敬王元年七月の続きからです。 [八] 莒子・庚輿(共公)は前年、斉に大敗したため、国人の支持を失っていました。しかも共公は元々残虐な性格で、剣を愛していました。新しい剣ができると人を斬って試したため、ますます国人に憎まれるようになり…
今回から東周敬王の時代です。 敬王 東周景王が死に、子の猛が立ちました。これを悼王といいます。しかし悼王は周の内乱の中で死んでしまいました。悼王の死後、弟の匄(または「丐」)が即位しました。これを敬王といいます。 敬王元年 前519年 壬午 [一] …
今回で東周景王の時代が終わります。 [五] 晋が鼓国を取った時(東周景王十八年・前527年)、鼓子(鼓国の主)を連れて帰り、宗廟に献上しました。戦勝の報告のためです。その後、鼓子は帰国が赦されましたが、再び鮮虞に附いて晋に背きました。楊伯峻の『春…
今回と次回は東周景王最後の年です。 景王二十五年 前520年 辛巳 [一] 春二月甲子(十六日)、斉の北郭啓が莒を攻撃しました。 莒子(莒国の主)が迎撃しようとすると、大夫・苑羊牧之(氏は苑、名は牧之で羊は字)が諫めて言いました「斉帥(斉の将)は位が…
今回は東周景王二十四年の続きです。 [六] 冬十月、呉に出奔していた宋の華登が挙兵した華氏を援けるため、呉軍を率いて宋を攻撃しました。 この時、斉の大夫・烏枝鳴(烏が姓)が宋を守っています。宋の厨邑大夫・濮が烏枝鳴に言いました「『軍志』にこうあ…
東周景王二十四年(前521年)に周景王が大鐘を鋳造しました。 春秋時代228 東周景王(五十) 周景王の鐘 前522年(4) 本編では『春秋左氏伝(昭公二十一年)』の内容を紹介しました。『国語・周語下』に更に詳しい記述があります。 景王二十三年(前522年)、景…
今回は東周景王二十四年です。二回に分けます。 前521年 景王二十四年 前521年 庚辰 [一] 春、周景王が無射(大鐘の名)を鋳造しました。 泠(または「冷」。楽官)・州鳩(楽官の名)が言いました「王は心疾(心臓の病)によって死ぬだろう。楽(音楽)とは…
『資治通鑑前編』は東周景王二十三年(前522年)に孔子が京師(周都・洛陽)に行ったことを書いています。 春秋時代227 東周景王(四十九) 斉景公 前522年(3) 今回はまず『史記・孔子世家』から当時の孔子の様子を紹介します。 孔子は家が貧しく、社会的地位…
今回は東周景王二十三年冬の続きからです。 [八] 斉景公が疥(疥癬。皮膚病)と痁(瘧疾。おこり。伝染病)を煩い、一年経っても良くなりませんでした。諸侯が聘問や見舞いのために派遣した多数の使者が、景公に謁見できず斉に留まっています。 景公が寵信し…
第十八回 曹沫が剣を手にして斉侯を脅迫し、桓公が火を挙げて甯戚を爵す 曹沫手剣劫斉侯 桓公挙火爵甯戚 *今回は『東周列国志』第十八回前編です。 周釐王元年春正月、斉桓公が設朝(国君が群臣の意見を聞いて政治を行うこと。一年の政治を始めること)しま…
今回は東周景王二十三年六月の続きからです。 [五] 衛霊公の兄・公孟縶は斉豹(斉悪の子)を軽視していたため、司寇の官と鄄邑を奪いましたが、斉豹の力が必要になると官や邑を返して利用しました。事が終わるとまた官と邑を取り上げるということが繰り返さ…
*今回は『東周列国志』第十七回の後編です。 斉桓公は長勺の大敗後、兵を用いたことを悔いて管仲に国政を任せ、日々、婦人と酒を飲んで遊ぶようになりました。国事を報告する者がいると、桓公は「なぜ仲父に報告しない?」と言って追い返します。 当時、豎貂…
*今回は『東周列国志』第十七回の中編です。 魯に釈放された南宮長万が宋に帰った時、宋閔公が戯れて言いました「かつてわしは子(汝)を敬っていたが、子は魯の囚(捕虜)となったから、今後、敬うことはない。」 長万は恥じ入って退きました。 大夫・仇牧…
第十七回 宋国が賄賂を納めて長万を誅し、楚王が一杯の酒で息嬀を虜にする 宋国納賂誅長万 楚王杯酒擒息嬀 *今回は『東周列国志』第十七回の前編です。 斉軍に大勝した魯荘公が曹劌に問いました「卿が一鼓で三鼓に勝ったのには理由があるのか?」 曹劌が答え…
*今回は『東周列国志』第十六回後編です。 魯荘公は斉が管仲を相に任命したと聞き、激怒して言いました「施伯の言に従わなかったことを後悔している。孺子に騙されるとは!」 荘公は車馬を選んで兵を動員し、乾時の仇に報いる準備をします。 これを知った斉…
*今回は『東周列国志』第十六回中編です。 管夷吾が入朝し、斉桓公に稽首謝罪しました。 桓公は自ら管夷吾を抱え起こして席を与えます。 管夷吾が言いました「臣は俘戮の残りです。死を許されただけでも万幸です。度を越えた礼を受けるわけにはいきません。…