2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

西漢時代114 武帝(三十三) 李広の死 前119年(2)

今回は西漢武帝元狩四年の続きです。 [四] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 春、東北に孛星(異星。彗星の一種)が現れました。 夏、西北に長星(彗星の一種)が現れました。 [五] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 武帝が諸将と議論して…

西漢時代113 武帝(三十二) 卜式 前119年(1)

今回は西漢武帝元狩四年です。四回に分けます。 西漢武帝元狩四年 壬戌 前119年 [一] 『漢書・武帝紀』からです。 冬、有司(官員)が関東の貧民を隴西、北地、西河、上郡、会稽に遷すように進言しました(『資治通鑑』では前年に民を函谷関以西および朔方以…

西漢時代112 武帝(三十一) 神馬 前120年

今回は西漢武帝元狩三年です。 西漢武帝元狩三年 辛酉 前120年 [一] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 春、東方に孛星(異星。彗星の一種)が現れました。 [二] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 夏五月、天下に大赦しました。 [三] 『漢…

西漢時代111 武帝(三十) 渾邪王の帰順 前121年(2)

今回は西漢武帝元狩二年の続きです。 [八] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 当時、匈奴の渾邪王と休屠王が住む西方が漢軍に敗れて数万人が殺されたため、伊稚斜単于は怒って二人を招き、誅殺しようとしました。 秋、渾邪王と休屠王は恐れて漢への…

西漢時代110 武帝(二十九) 霍去病の遠征 前121年(1)

今回は西漢武帝元狩二年です。二回に分けます。 西漢武帝元狩二年 庚申 前121年 [一] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 冬十月、武帝が雍に行幸し、五畤を祀りました。 [二] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 三月戊寅(初七日)、丞相・…

西漢時代109 武帝(二十八) 身毒国 前122年(3)

今回で西漢武帝元狩元年が終わります。 [三] 『漢書・武帝紀』からです。 十二月、大雪が降り、民が凍死しました。 [四] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 夏四月、天下に大赦しました。 [五] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 丁卯(二十…

西漢時代108 武帝(二十七) 二王の乱 前122年(2)

今回は西漢武帝元狩元年の続きです。 [二] 『資治通鑑』からです。 淮南王・劉安は淮南厲王・劉長の子です。劉長は高帝・劉邦の子で、文帝の時代に蜀に遷され、途中で餓死しました。 淮南王・劉安は賓客・左呉等と日夜叛逆を謀っていました(二年前参照)。 …

西漢時代107 武帝(二十六) 白麟 前122年(1)

今回は西漢武帝元狩元年です。三回に分けます。 西漢武帝元狩元年 己未 前122年 一角獣を得たことから「狩」を年号に使って「元狩」に改元されます(下述します)。 [一] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 冬十月、武帝が雍を行幸し、五畤を祀りま…

西漢時代106 武帝(二十五) 霍去病登場 前123年

今回は西漢武帝元朔六年です。 西漢武帝元朔六年 戊午 前123年 [一] 『資治通鑑』からです。 春二月、大将軍・衛青が定襄から出て匈奴を撃ちました。 合騎侯・公孫敖が中将軍に、太僕・公孫賀が左将軍に、翕侯・趙信が前将軍に、衛尉・蘇建が右将軍に、郎中…

西漢時代105 武帝(二十四) 淮南王と衡山王 前124年(2)

今回は西漢武帝元朔五年の続きです。 [四] 『資治通鑑』からです。 衛青は尊貴寵愛を得て群臣で並ぶ者がいなくなりました。公卿以下、百官が腰を低くして尊重します。しかし汲黯だけは対等の礼で接しました。 ある人が汲黯に言いました「天子自ら群臣が大将…

西漢時代104 武帝(二十三) 匈奴討伐 前124年(1)

今回は西漢武帝元朔五年です。二回に分けます。 西漢武帝元朔五年 丁巳 前124年 [一] 『資治通鑑』からです。 冬十一月乙丑(初五日)、丞相・薛澤を罷免しました。 公孫弘が丞相に任命され、平津侯に封じられました。 『資治通鑑』は『史記‧漢興以来将相名…

西漢時代 淮南王の上書(後)

淮南王・劉安の上書を紹介しています。 西漢時代 淮南王の上書(前) 「南方の地形に詳しくない者は多くが越は人が多くて兵が強いから辺城に難を為せる(漢の辺境を侵略できる)と思っています。淮南が国を全て擁していた時(淮南王国が分割される前)、多くの…

西漢時代 淮南王の上書(前)

西漢武帝建元六年(前135年)、漢が閩越を討伐しました。 西漢時代89 武帝(八) 閩越遠征 前135年(1) この時、淮南王・劉安が出征に反対して上書しました。『資治通鑑』を元に上書の内容を紹介します。二回に分けます。 「陛下が天下に臨み、徳を布いて恵を施…

西漢時代103 武帝(二十二) 張騫 前126~125年

今回は西漢武帝元朔三年と四年です。 西漢武帝元朔三年 乙卯 前126年 [一] 『資治通鑑』からです。 冬、匈奴の軍臣単于が死に、弟の左谷蠡王・伊稚斜が自立して単于になりました。 『資治通鑑』胡三省注によると、匈奴には左・右賢王の下に左・右谷蠡王がい…

西漢時代102 武帝(二十一) 主父偃の死 前127年(2)

今回は西漢武帝元朔二年の続きです。 [七] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 燕王・劉定国(高帝の親族・劉澤の孫)は父・康王(劉嘉)の姫(妾)と姦通したり、弟の妻を奪って姫にしました。 また、肥如令(肥如の県令。肥如は燕国の属県です。『…

西漢時代101 武帝(二十) 推恩令 前127年(1)

今回は西漢武帝元朔二年です。二回に分けます。 西漢武帝元朔二年 甲寅 前127年 [一] 『資治通鑑』からです。 冬、武帝が淮南王・劉安に几杖(肘掛けと杖)を下賜し、入朝を免じました。 劉安は高帝の孫で、淮南王・劉長の子です。 『漢書・武帝紀』は「淮南…

西漢時代 主父偃等の上書

武帝元朔元年(前128年)、主父偃、厳安、徐楽が上書しました。 西漢時代100 武帝(十九) 韓安国 前128年(2) 『資治通鑑』を元に上書の内容を紹介します。 主父偃が上書して言いました「『司馬法(『司馬穰苴兵法』)』にはこうあります『国が大きくても戦を…

西漢時代100 武帝(十九) 韓安国 前128年(2)

今回は西漢武帝元朔元年の続きです。 [四] 『資治通鑑』からです。 秋、匈奴の二万騎が漢に侵入し、遼西太守を殺して二千余人を奪いました。 更に匈奴は韓安国の営壁を包囲し、漁陽、雁門に入ってそれぞれの地で千余人を殺略しました。 『漢書・武帝紀』は若…

西漢時代99 武帝(十八) 太子と皇后 前128年(1)

今回は西漢武帝元朔元年です。二回に分けます。 西漢武帝元朔元年 癸丑 前128年 改元が行われました。前年までは「元光年間」、本年からは「元朔年間」です。但し、この頃にはまだ年号がなく、後に「建元」「元光」「元朔」等の年号がつけられたともいわれて…

西漢時代98 武帝(十七) 車騎将軍衛青 前129年

今回は西漢武帝元光六年です。 西漢武帝元光六年 壬子 前129年 [一] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 冬、商車に税をかけることにしました。 『資治通鑑』胡三省注によると、商賈(商人)の車や船を課税の対象にしたようです。 [二] 『漢書・武帝…

西漢時代97 武帝(十六) 公孫弘 前130年(3)

今回で西漢武帝元光五年が終わります。 [九] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 この年、吏民で当世の政務に明るい者や先聖の術(学問)を修めた者を召しました。朝廷に招かれた者は上計の官吏(計簿を提出するために上京する官員。毎年、全国の県が…

西漢時代96 武帝(十五) 巫蟲事件 前130年(2)

今回は西漢武帝元光五年の続きです。 [四] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 秋七月、大風が吹いて木が倒れました。 [五] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 女巫・楚服等が陳皇后に厭勝の術を教え、婦人の媚道を利用させようとしました。 …

西漢時代95 武帝(十四) 西南夷経営 前130年(1)

今回は西漢武帝元光五年です。三回に分けます。 西漢武帝元光五年 辛亥 前130年 [一] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 河間王・劉徳(武帝の兄)は学問を修めて古典を愛し、真実を探求しました(実事求是)。 金帛を使って四方から善書を求め、そ…

西漢時代94 武帝(十三) 灌夫事件 前132~131年

今回は西漢武帝元光三年と四年です。 西漢武帝元光三年 己酉 前132年 [一] 『資治通鑑』からです。 春、河水(黄河)が流れを変えて頓丘(東郡)から東南に向かいました。 『漢書・武帝紀』は「河水が頓丘から東南に流れて勃海に入った」としていますが、『資…

西漢時代93 武帝(十二) 馬邑の役 前133年(2)

今回は西漢武帝元光二年の続きです。 [五] 前年、漢と匈奴が和親しましたが、本年、早速決裂します。『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 当時、雁門郡馬邑県に聶壹という富豪がいました。聶が氏で壹が名です。『資治通鑑』胡三省注によると、楚の大夫…

西漢時代92 武帝(十一) 李少君 前133年(1)

今回は西漢武帝元光二年です。二回に分けます。 西漢武帝元光二年 戊申 前133年 [一] 『資治通鑑』からです。 冬十月、武帝が雍に行幸して五畤(五帝の畤)を祀りました。 『史記・封禅書』からです。 今回、武帝は初めて雍で五畤の郊祀を行いました。この後…

西漢時代91 武帝(十) 李広と程不識 前134年

今回は西漢武帝元光元年です。 西漢武帝元光元年 丁未 前134年 改元が行われました。前年までは「建元年間」、本年からは「元光年間」です。但し、この頃にはまだ年号がなく、後に「建元」「元光」等の年号がつけられたともいわれています。 『漢書・武帝紀…

西漢時代90 武帝(九) 汲黯 前135年(2)

今回は西漢武帝建元六年の続きです。 [八] 『資治通鑑』からです。 東海太守で濮陽の人・汲黯が主爵都尉になりました。 『漢書・張馮汲鄭伝(巻五十)』によると、汲黯の先祖は衛君(秦二世皇帝の時代に滅ぼされました)に寵信されており、代々卿大夫を勤め…

西漢時代89 武帝(八) 閩越遠征 前135年(1)

今回は西漢武帝建元六年です。二回に分けます。 西漢武帝建元六年 丙午 前135年 [一] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 春二月乙未(初三日)、遼東郡の高廟で火災がありました。 『資治通鑑』胡三省注は「景帝が全国の郡国に高祖廟を建てるように…

西漢時代88 武帝(七) 趙佗の死 前137~136年

今回は西漢武帝建元四年と五年です。 西漢武帝建元四年 甲辰 前137年 [一] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 夏、血のように赤い風が吹きました。 [二] 『漢書・武帝紀』と『資治通鑑』からです。 六月、旱害がありました。 [三] 『『漢書・武帝紀…