2015-11-01から1ヶ月間の記事一覧

第十六回 鮑叔が管仲を薦め、曹劌が斉を敗る(前編)

第十六回 檻囚を釈放して鮑叔が管仲を薦め、長勺で戦って曹劌が斉を敗る 釈檻囚鮑叔薦仲 戦長勺曹劌敗斉 *今回は『東周列国志』第十六回前編です。 魯荘公は鮑叔牙の書を読むと、すぐ施伯を招いて言いました「子(汝)の言を聞かなかったために敗戦を招いてし…

春秋時代 『史記・伍子胥列伝』 後編

今回は『史記・伍子胥列伝』の続きです。 伍員が楚にいた頃、申包胥と友になりました。伍員が亡命した時、申包胥に言いました「私は必ず楚を覆してみせる。」 申包胥が言いました「私が必ず楚を存続させてみせる。」 呉軍が郢に入城してから、伍子胥は昭王を…

春秋時代 『史記・伍子胥列伝』 前編

本編で伍子胥が登場しました。 春秋時代225 東周景王(四十七) 伍子胥の出奔 前522年(1) ここでは『史記』から『伍子胥列伝』の内容を紹介します。二回に分けます。 伍子胥は楚人で、名を員といいます。伍員の父は伍奢、兄は伍尚です。祖父の伍挙は直諫によっ…

第十五回 雍大夫が無知を殺し、魯荘公が乾時で大戦する(後編)

*今回は『東周列国志』第十五回後編です。 公子・小白は斉国が乱れて主がいなくなったと聞き、鮑叔牙と相談して莒子から兵車百乗を借りました。急いで斉に向かいます。 魯を出て昼夜兼行していた管夷吾は、即墨に至った時、既に莒兵が通りすぎたと聞きまし…

第十五回 雍大夫が無知を殺し、魯荘公が乾時で大戦する(前編)

第十五回 雍大夫が計を用いて無知を殺し、魯荘公が乾時で大戦する 雍大夫計殺無知 魯荘公乾時大戦 *今回は『東周列国志』第十五回前編です。 管夷吾は字を仲といいます。生まれつき相貌魁梧(体格がいいこと)で、精神俊爽(英俊豪爽)、博通墳典(「墳典」…

春秋時代 伍子胥の出奔

楚の伍子胥が呉に出奔しました。 春秋時代225 東周景王(四十七) 伍子胥の出奔 前522年(1) ここでは『呉越春秋(巻三)』から伍子胥が呉に入るまでの様子を紹介します。 楚平王は伍尚(伍子胥の兄)を得ると逮捕して幽閉しました。更に人を送って伍胥(伍子胥…

春秋時代225 東周景王(四十七) 伍子胥の出奔 前522年(1)

今回は東周景王二十三年です。三回に分けます。 景王二十三年 前522年 己卯 [一] 春二月己丑日(初二日。または朔日)、南至(冬至)、魯の梓慎が気を観測して言いました「今年は宋で乱が起きて滅亡に瀕し、三年後にやっと乱が鎮静化する。蔡では大喪がある…

第十四回 衛侯朔が入国し、斉襄公が狩りで鬼に遭う(後編)

*『東周列国志』第十四回後編です。 周荘王十一年冬十月、斉襄公が「姑棼の野に貝邱という山があり、禽獣が集まっている」という情報を得ました。早速、遊猟の準備が始まります。徒人・費等に命じて車徒(兵車や歩兵)を用意させ、翌月、田狩(狩猟)に行く…

西周時代 『史記・世家』の分封に関する記述

西周武王によって諸侯の分封が行われました。 西周時代5 武王(三) 分封 『史記』の『世家』が各所で分封とその後についてまとめています。 まずは『史記・陳杞世家』から聖人の子孫の分封についてです。 舜の子孫は周武王によって陳に封じられ、楚恵王に滅…

第十四回 衛侯朔が入国し、斉襄公が狩りで鬼に遭う(中編)

*『東周列国志』第十四回中編です。 斉襄公は車五百乗を動員し、衛侯・朔と共に先に衛境に至りました。四路の国君もそれぞれ兵を率いて合流します。四路の諸侯とは、宋閔公・捷、魯荘公・同、陳宣公・杵臼、蔡哀侯・献舞です。 衛侯・黔牟は五国の兵が迫っ…

春秋時代224 東周景王(四十六) 楚の太子建 前523年

今回は東周景王二十二年です。 景王二十二年 前523年 戊寅 [一] 春、楚の工尹・赤が陰地の戎を下陰に遷し、令尹・子瑕が郟に築城しました。どちらも楚を守るための措置のようです。 魯の叔孫婼(昭子)が言いました「楚の志は諸侯になく、自分を守って代々伝…

西周時代11 成王(四) 魯の伯禽

西周成王八年の続きです。 [四] 周公・旦は魯に封じられていましたが、成王を補佐するため、封国には行きませんでした。成王は周公・旦の子・伯禽を魯に送りました(『史記・魯周公世家』は管蔡等が叛乱を起こした時、周公が封国に行けないため、伯禽を魯に…

西周時代10 成王(三) 親政開始

今回も西周成王の続きです。 成王八年 親政元年 『資治通鑑外紀』によると癸巳の年です。 [一] 春正月朔(初一日)、成王が親政を始めました。 以下、『史記・魯周公世家』からです。 周公は若い成王の政治が荒淫放蕩に奔ることを恐れて『毋逸(『尚書』で…

第十四回 衛侯朔が入国し、斉襄公が狩りで鬼に遭う(前編)

第十四回 衛侯朔が王に逆らって入国し、斉襄公が狩りに出て鬼に遭う 衛侯朔抗王入国 斉襄公出猟遇鬼 *『東周列国志』第十四回前編です。 王姫が斉に入って襄公と結婚しました。 しかし王姫が貞静幽閒(貞節を守り穏やかな性格)で言動に乱れがないのに対し…

春秋時代223 東周景王(四十五) 周の大銭 前524年(2)

今回は東周景王二十一年の続きです [六] 七月、鄭で火災があったため、子産が大規模な社を造って四方の神を祭り、火災の被害者を救済しました。 また、兵を選んで大蒐(閲兵式)を行うことにしました。大蒐のために道が整備されます。 子太叔の廟は道の南に…

春秋時代222 東周景王(四十四) 大火災 前524年(1)

今回は東周景王二十一年です。二回に分けます。 景王二十一年 前524年 丁丑 [一] 春二月乙卯(十五日)、周の毛得が毛伯過を殺してその地位を奪いました。 周の萇弘が言いました「毛得は必ず亡命することになる。この日は昆吾(夏王朝時代の国名。またはその…

第十三回 魯桓公夫婦が斉に入り、鄭子亹君臣が殺される(後編)

*『東周列国志』第十三回後編です。 魯荘公が群臣を集めて斉の婚事について相談しました。 施伯が言いました「国に三恥があることを主公は御存知ですか?」 荘公が三恥について問うと、施伯が言いました「先君は既に成服しましたが(葬儀を行いましたが。「…

春秋時代221 東周景王(四十三) 火災の予言 前525年

今回は東周景王二十年です。 景王二十年 前525年 丙子 [一] 春、小邾穆公が魯に入朝しました。魯昭公が宴を開いてもてなします。 季孫意如(季平子)が『采叔(采菽。詩経・小雅)』を賦しました。「君子が来朝しました。どのような福があるのでしょう(君子…

第十三回 魯桓公夫婦が斉に入り、鄭子亹君臣が殺される(前編)

第十三回 魯桓公夫婦が斉に入り、鄭子亹君臣が殺される 魯桓公夫婦如斉 鄭子亹君臣為戮 *『東周列国志』第十三回前編です。 斉襄公は祭足の来聘を喜んで迎え、鄭に答礼の聘問をしようと考えていました。そこに高渠彌が昭公を殺して子亹を立てたという情報が…

春秋時代220 東周景王(四十二) 晋公室の衰え 前526年(2)

今回は東周景王十九年の続きです。 [四(続き)] 夏四月、鄭の六卿が韓起を送り、郊外で宴を開きました。 韓起が言いました「二三君子の賦をお聞きできれば、鄭の志(心)を知ることができます。」 まず子齹(子皮の子・嬰斉)が『野有蔓草(詩経・鄭風)』…

春秋時代219 東周景王(四十一) 韓起の玉環 前526年(1)

今回は東周景王十九年です。二回に分けます。 景王十九年 前526年 乙亥 [一] 春正月、魯昭公は晋にいます。晋が昭公を帰国させませんでした。 『史記・魯周公世家』を見ると、魯昭公十五年(前年。東周景王十八年・前527年)に「晋が魯昭公を留めて晋昭公を…

第十二回 衛宣公が媳を迎え、高渠彌が君を換える(後編)

*『東周列国志』第十二回後編です。 衛侯・朔(恵公)が即位した年、斉を助けて紀を攻めましたが、鄭に敗れました。 衛が鄭を恨んでいる所に、突然、鄭国の使者が到着します。使者に要件を聞くと、鄭の厲公が出奔したため群臣が故君・忽(昭公。衛に亡命し…

春秋時代 荀呉と叔向の故事

晋の荀呉(中行穆子)が鼓城を攻略しました。 春秋時代218 東周景王(四十) 鼓城攻略 前527年 『資治通鑑外紀』が『国語』等の記述を引用しているので、ここで紹介します。 まずは『国語・晋語九』からです。 中行穆子(荀呉)が狄を攻めて鼓を包囲しました。…

第十二回 衛宣公が媳を迎え、高渠彌が君を換える(前編)

第十二回 衛宣公が台を築いて媳を迎え、高渠彌が隙に乗じて君を換える 衛宣公築台納媳 高渠彌乗間易君 *『東周列国志』第十二回前編です。 衛宣公の名は晋といいます。淫乱放縦をはばかることなく、公子の頃に父・荘公の妾・夷姜と私通して一子をもうけまし…

春秋時代218 東周景王(四十) 鼓城攻略 前527年

今回は東周景王十八年です。 景王十八年 前527年 甲戌 [一] 春正月、呉子・夷末(呉王・餘眛)が在位四年で死にました。 以下、『史記・呉太伯世家』からです。 夷末は弟の季札に国君の位を譲るつもりでしたが、季札は辞退して逃走しました。 呉人が言いまし…