2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

春秋時代171 東周霊王(三十四) 楚鄭の戦い 前547年(4)

今回は東周霊王二十五年七月の続きからです。 [十一] 『資治通鑑外紀』はここで楚の令尹・子木に関する故事を紹介しています。『国語・楚語上』からの引用です。 楚の卿・屈到(子木の父)は芰(菱。植物の名)が好物でした。病に倒れて死が近づくと、宗老(…

春秋時代 伍挙の亡命

楚の伍挙が亡命しました。 春秋時代170 東周霊王(三十三) 伍挙と声子 前547年(3) 本編では『春秋左氏伝(襄公二十六年)』を元にしましたが、『国語・楚語上』にも記述があるので、ここで紹介します。 楚の大夫・椒挙(伍挙)は申公・子牟(王子牟)の娘を娶…

春秋時代170 東周霊王(三十三) 伍挙と声子 前547年(3)

今回も東周霊王二十五年の続きです。 [十] 楚の伍参と蔡の太師・子朝(公子・朝。蔡文侯の子、景侯の弟)は友人関係にあり、伍参の子・伍挙と子朝の子・声子(公孫帰生)も交流がありました。 伍挙は楚の王子牟(申公)の娘を娶りました。しかし王子牟は罪を…

春秋時代169 東周霊王(三十二) 宋の太子 前547年(2)

今回は東周霊王二十五年の続きです。 [六] 楚康王と秦軍が連合して呉を攻撃し、雩婁に至りましたが、呉に備えがあると聞いて兵を還しました。 楚・秦連合軍はそのまま鄭を侵します。 五月、連合軍が城麇に駐軍しました。 城麇を守っていた鄭の皇頡が城を出て…

春秋時代168 東周霊王(三十一) 衛献公復位 前547年(1)

今回から東周霊王二十五年です。四回に分けます。 霊王二十五年 前547年 甲寅 [一] 二年前、斉が郟(洛邑。王城)に築城しました。その年の五月に秦と晋が講和しました。晋の韓起が秦に入って盟を結び、秦の伯車が晋に入って盟を結びます。しかし晋と秦の同…

春秋時代167 東周霊王(三十) 呉楚の戦い 前548年(3)

今回で東周霊王二十四年が終わります。 [十三] 秋七月己巳(十二日。『春秋』経文では「八月」ですが、誤りです)、諸侯(夷儀の会の諸侯)が重丘(斉地)で盟を結びました。斉が晋と講和したためです。 この時、晋の士匄が既に死に、趙武(趙文子)が政事を…

春秋時代166 東周霊王(二十九) 崔杼専権 前548年(2)

今回は東周霊王二十四年五月の続きからです。 [四] 崔杼は鬷蔑を平陰で殺しました。荘公の母を鬷声姫というので、鬷蔑は荘公と親しかったようです。平陰は斉都・臨淄附近の険邑で、鬷蔑が守っていました。崔杼が鬷蔑を殺したのは、荘公の党が険要の地を擁す…

春秋時代165 東周霊王(二十八) 斉荘公の死 前548年(1)

今回は東周霊王二十四年です。三回に分けます。 霊王二十四年 前548年 癸丑 [一] 春、斉の崔杼(崔武子)が魯の北境を攻めました。前年、魯の仲孫羯(孟孝伯)が斉を攻めたためです。 魯襄公は斉を恐れて晋に報告しました。 魯の大夫・孟公綽が言いました「…

春秋時代 晋の出来事

『資治通鑑外紀』が『国語・晋語八』から晋の出来事を引用しています。 春秋時代164 東周霊王(二十七) 棘沢の戦い 前549年 以下、列記します。 [一] 士匄(范宣子)が和大夫(和邑の大夫)と田(土地)を争い、長い間解決しませんでした。士匄は和邑を攻撃し…

春秋時代 叔向の周聘問

晋の叔誉(叔向。羊舌肸)が周を聘問しました。 春秋時代164 東周霊王(二十七) 棘沢の戦い 前549年 本編では『資治通鑑外紀』と『帝王世紀』を元に書きました。ここでは『逸周書』と『国語』の内容を紹介します。 まずは『逸周書・太子晋解(巻六十四)』か…

春秋時代164 東周霊王(二十七) 棘沢の戦い 前549年

今回は東周霊王二十三年です。 霊王二十三年 前549年 壬子 [一] 春、魯の叔孫豹(穆叔)が晋に行きました。 晋の士匄(范宣子)が迎え入れて質問しました「古人は『不朽の死(死而不朽)』という言葉を残したが、これはどういうことであろうか?」 叔孫豹が…

春秋時代 太子晋の諫言

東周霊王二十二年(前550年)、東周王城の北を流れる穀水と、王城の南を流れる洛水が溢れました。穀水が王城の西で南下し、洛水にぶつかります。水流によって王城の一部が破損しました。 春秋時代163 東周霊王(二十六) 杞梁と華舟 前550年(3) 霊王が川の流れ…

春秋時代163 東周霊王(二十六) 杞梁と華舟 前550年(3)

今回で東周霊王二十二年が終わります。 [九] 晋が曲沃を討伐し、欒盈を破りました。欒氏の族党が皆殺しにされます。欒魴は宋に出奔しました。 [十] 斉荘公は晋討伐から還りましたが、国に入らず、莒を襲いました。しかし且于(莒の邑)の城門を攻撃した時、…

春秋時代 欒盈の出奔

晋の欒盈出奔に関して、本編では『春秋左氏伝(襄公二十一年)』を元にしました。 春秋時代158 東周霊王(二十一) 欒盈出奔 前552年(1) 『国語・晋語八』にも記述があるので、ここで紹介します。 欒盈の党に属す箕遺、黄淵、嘉父が乱を謀りましたが、失敗して…

春秋時代162 東周霊王(二十五) 臧紇出奔 前550年(2)

今回は東周霊王二十二年の続きです。 [八] 季孫宿(季武子)の正妻には子が産まれませんでした。姫妾の子である公鉏(公彌)が年長者でしたが、季孫宿は悼子(紇)を愛していたため、後継者には悼子を立てたいと思っていました。そこで申豊に相談しました「…

春秋時代161 東周霊王(二十四) 欒盈帰国 前550年(1)

今回は東周霊王二十二年です。三回に分けます。 霊王二十二年 前550年 辛亥 [一] 春二月癸酉朔、日食がありました。 [二] 三月己巳(二十八日)、杞孝公が在位十七年で死にました。 弟の文公・益姑が即位しました。 晋の悼夫人(悼公夫人。晋平公の母。恐ら…

春秋時代160 東周霊王(二十三) 楚の令尹 前551年

今回は東周霊王二十一年です。 霊王二十一年 前551年 庚戍 [一] 春正月、魯襄公が商任の会から還りました。 [二] 春、魯の臧孫紇(臧武仲)が晋に行きました。途中、雨が降る中、御叔(御邑大夫)の邑(御)を通りすぎます。この時、御叔は邑内に居り、酒を…

春秋時代159 東周霊王(二十二) 孔子誕生 前552年(2)

今回は東周霊王二十年の続きです。 [六(続き)] 晋から出奔した欒盈が周を通りました。しかし周の西境で財物を奪われます。欒盈が行人(周王室が派遣した賓客の対応をする官)に言いました「天子の陪臣・盈は王の守臣(晋平公)の罪を得て亡命することにな…

春秋時代158 東周霊王(二十一) 欒盈出奔 前552年(1)

今回は東周霊王二十年です。二回に分けます。 霊王二十年 前552年 己酉 [一] 春正月、魯襄公が晋に行きました。斉討伐と邾田を得たことを拝謝するためです。 [二] 邾の大夫・庶其が漆と閭丘の地を挙げて魯に奔りました。 魯の季孫宿(季武子)は襄公の姑姊(…

春秋時代157 東周霊王(二十) 澶淵の盟 前553年

今回は東周霊王十九年です。 霊王十九年 前553年 戊申 [一] 前年、督揚で諸侯が盟を結び、その中に魯と莒もいたため、敵対していた二国が講和することになりました。 春正月辛亥(二十一日)、魯の仲孫速(孟速。孟荘子)が莒人と会し、向で盟を結びました。…