2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

樹葡萄 ジャボチカバ

歴史ばかりでは無味乾燥とした感じがするので、生活感ある記事も少しずつ増やしていこうと思います。 我が家の「樹葡萄」です。 日本語ではジャボチカバっていうんですね。 昨年4月末に買ったので、そろそろ1年になります。 昨年はほとんど実が成りませんで…

東漢時代160 安帝(十) 辺境の移動 111年

今回は東漢安帝永初五年です。 東漢安帝永初五年 辛亥 111年 [一] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月庚辰朔、日食がありました。 [二] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 丙戌(初七日)、十の郡国で地震がありました。 [三]…

東漢時代159 安帝(九) 南単于投降 110年(3)

今回で東漢安帝永初四年が終わります。 [十二] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 三月、何熙の軍が五原曼柏に到りましたが、突然の病のため(暴疾)前進できなくなりました。 そこで龐雄と梁慬、耿种を派遣し、歩騎一万六千人を率いて虎沢(南…

東漢時代158 安帝(八) 虞詡 110年(2)

今回は東漢安帝永初四年の続きです。 [九] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 滇零が兵を送って褒中を侵しました。 『資治通鑑』胡三省注によると、褒中県は漢中郡に属します。かつての褒国です。 漢中太守・鄭勤が褒中に移って駐屯しました。 …

中国小学三年生の四字熟語

私には二人の娘がおり、中国の小学校に通っています。 上は三年生、下は一年生です。 三年生ともなると、「語文」の教科書に四字熟語がたくさん出てきます。 「語文」は日本の「国語」に当たります。 娘の教科書に四字熟語のナゾナゾが載っていたので紹介し…

東漢時代156 安帝(六) 売官 109年(2)

今回は安帝永初三年の続きです。 [七] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 当時は国費が不足していたため、三公が上奏しました。吏民に銭穀を納めさせて、それぞれの額や量によって関内侯、虎賁(勇士)、羽林郎、五官、大夫(『孝安帝紀』は「五…

東漢時代157 安帝(七) 楊震 110年(1)

今回は東漢安帝永初四年です。三回に分けます。 東漢安帝永初四年 庚戌 110年 [一] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月元日、元会(元旦の朝会)で音楽を廃止し(徹楽)、朝廷に車も並べませんでした(不陳充庭車)。 『資治通鑑』胡三省…

東漢時代155 安帝(五) 魯恭の教育 109年(1)

今回は安帝永初三年です。 東漢安帝永初三年 己酉 109年 [一] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月庚子(初九日)、皇帝が元服の儀式を行い(皇帝加元服)、天下に大赦しました。 王・主(公主)・貴人・公卿以下にそれぞれ差をつけて金帛…

東漢時代154 安帝(四) 鄧騭帰還 108年(2)

今回は安帝永初二年の続きです。 [九] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 閏月(閏七月)、広川王・劉常保(安帝の弟)が死に、子がいなかったため国が廃されました。 [十] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 癸未(中華書局『白話…

東漢時代153 安帝(三) 鄧太后の行幸 108年(1)

今回は安帝永初二年です。二回に分けます。 東漢安帝永初二年 戊申 108年 [一] 『後漢書・孝安帝紀』からです。 春正月、河南、下邳、東莱、河内の貧民に食糧を与えて救済しました。 『孝安帝紀』の注によると、当時、州郡を大飢饉が襲ったため、米一石が二…

東漢時代152 安帝(二) 羌族離反 107年(2)

今回は永初元年の続きです。 [十七] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 以前、焼当羌の豪・東号の子・麻奴が父に従って東漢に降り、安定に居住しました(東号は和帝永元元年・89年に帰順しました)。 安帝が即位した頃は、投降した諸羌族が各郡…

東漢時代151 安帝(一) 魯恭 107年(1)

今回から東漢安帝の時代です。 恭宗孝安皇帝 劉祜といいます。粛宗章帝の孫で、父は清河孝王・劉慶、実母は左姫です。 以下、『後漢書・孝安帝紀』からです。 劉祜が邸第(邸宅)にいた時(即位前の事です)、しばしば神光が部屋を照らしました。また、赤蛇…

東漢時代150 殤帝(三) 亀茲 106年(3)

今回で東漢殤帝延平元年が終わります。 [十九] 『後漢書・孝安帝紀』からです。 九月庚子(二十六日)、安帝が高廟を拝謁しました。 辛丑(二十七日)、光武廟を拝謁しました。 [二十] 『後漢書・孝安帝紀』と『資治通鑑』からです。 六州で大水(洪水)があり…

東漢時代149 殤帝(二) 安帝即位 106年(2)

今回は東漢殤帝延平元年の続きです。 [十五] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 六月丁卯(二十一日)、(鄧太后が)司徒、大司農、長楽少府に詔を発しました「朕は無徳によって統政(皇統の政治)を佐助(補佐)しており、朝から夜まで経営…

東漢時代148 殤帝(一) 鄧太后の節倹 106年(1)

今回から東漢殤帝の時代です。殤帝の在位年数は一年です。 孝殤皇帝 劉隆といい、和帝の少子で民間で育てられました(前年参照)。実母の名は伝わっていないようです。 和帝元興元年(105年)十二月辛未(二十二日)に和帝が死に、その夜、劉隆が皇帝の位に…

東漢時代147 和帝(二十六) 和帝の死 105年

今回は東漢和帝元興元年です。 東漢和帝元興元年 乙巳 105年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』からです。 春正月戊午、三署郎を招いて禁中(宮中)で接見し、七十五人を選んで謁者、長(県長)、相(国相)に任命しました。 『孝和孝殤帝紀』の注によると、「…

東漢時代146 和帝(二十五) 北匈奴 104年

今回は東漢和帝永元十六年です。 東漢和帝永元十六年 甲辰 104年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』からです。 春正月己卯、和帝が詔を発し、貧民で田業(田地等の産業)があっても匱乏(貧困)のため自農できない者に種糧(穀物の種や食糧)を貸し与えました。…

東漢時代145 和帝(二十四) 唐羌 103年

今回は東漢和帝永元十五年です。 東漢和帝永元十五年 癸卯 103年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』からです。 春閏月乙未、和帝が詔を発しました。流民で本籍に帰りたくても食糧がない者には、通る場所で実情に合わせて食糧を与えさせ(過所実稟之)、疾病した…

東漢時代144 和帝(二十三) 鄧皇后 102年(3)

今回で東漢和帝永元十四年が終わります。 [十三] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 以前、太傅・鄧禹が人にこう言いました「私は百万の衆を指揮したが、未だ一人も妄りに殺したことがない。後世、必ず興隆する者がいるはずだ(後世必有興者…

東漢時代143 和帝(二十二) 班超の死 102年(2)

今回は東漢和帝永元十四年の続きです。 [十一] 『資治通鑑』からです。 班超が久しく絶域におり(班超は明帝永平十六年・73年に初めて使者として西域に赴きました)、年老いて故郷を思うようになったため、上書して帰国を乞いました「臣は酒泉郡に到ることは…

東漢時代142 和帝(二十一) 陰皇后廃位 102年(1)

今回は東漢和帝永元十四年です。三回に分けます。 東漢和帝永元十四年 壬寅 102年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』からです。 春二月乙卯、東海王・劉政が死にました。 『後漢書・光武十王列伝(巻四十二)』によると、劉政の諡号は靖王です。子の頃王・劉粛…

東漢時代141 和帝(二十) 孝廉 101年

今回から紀元2世紀に入ります。 2世紀は東漢が衰退し、後期には日本でもおなじみの『三国志』の時代に入ります。 『三国志』の時代はその後に続く東晋十六国・南北朝時代という長い分裂時代の幕開けでもあります。 まずは東漢和帝永元十三年です。 東漢和帝…

東漢時代目録(二)

東漢時代目録の続きです。 東漢時代目録(一) 東漢時代137 和帝(十六) 竇太后の死 97年(1) 東漢時代138 和帝(十七) 大秦国 97年(2) 東漢時代139 和帝(十八) 劉愷 98~99年 東漢時代140 和帝(十九) 迷唐 100年 東漢時代141 和帝(二十) 孝廉 101年 東漢時代142 …

東漢時代140 和帝(十九) 迷唐 100年

今回は東漢和帝永元十二年です。 東漢和帝永元十二年 庚子 100年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』からです。 春二月、旄牛徼外(界外)の白狼、貗薄夷が種人(族人)を率いて内属しました。 『孝和孝殤帝紀』の注によると、旄牛県は蜀郡に属します。旄牛の産…

東漢時代139 和帝(十八) 劉愷 98~99年

今回は東漢和帝永元十年と十一年です。 東漢和帝永元十年 戊戌 98年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』からです。 春三月壬戌、和帝が詔を発しました「隄防溝渠とは地理に順じて助長させ(順助地理)、壅塞(閉塞。障害)を通して利をもたらす(通利壅塞)こと…

東漢時代138 和帝(十七) 大秦国 97年(2)

今回で東漢和帝永元九年が終わります。 [十一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 九月庚申(二十四日)、司徒・劉方が策免(策書による罷免)されて自殺しました。 [十二] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 甲子(二十八…

東漢時代137 和帝(十六) 竇太后の死 97年(1)

今回は東漢和帝永元九年です。二回に分けます。 東漢和帝永元九年 丁酉 97年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』からです。 春正月、永昌徼外(界外)の蛮夷および撣国(または「擅国」)が訳(通訳)を重ねて奉貢に来ました。 [二] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と…

東漢時代136 和帝(十五) 蝗害 96年

今回は東漢和帝永元八年です。 東漢和帝永元八年 丙申 96年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 春二月己丑、和帝が貴人・陰氏を皇后に立てました。 陰皇后は陰識の曾孫で、陰識は光武帝の皇后・陰氏(陰麗華)の異母兄です。 天下の男…

東漢時代135 和帝(十四) 楽成王劉党 95年

今回は東漢和帝永元七年です。 東漢和帝永元七年 乙未 95年 [一] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 春正月、行車騎将軍事・鄧鴻等の軍が帰還しました。 馮柱は虎牙営を率いて五原に駐留します。 鄧鴻は逗留して利を失った罪に坐し、獄に下…

東漢時代134 和帝(十三) 西域帰順 94年(2)

今回で東漢和帝永元六年が終わります。 [十二] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』と『資治通鑑』からです。 秋七月、京師を旱害が襲いました。 [十三] 『後漢書・孝和孝殤帝紀』からです。 和帝が中都官(京師の諸官)に詔を発しました。徒(囚人)からそれぞれ半刑…