西漢時代243 成帝(一) 成帝劉驁
今回から西漢成帝の時代です。
孝成皇帝
元帝の太子で名を劉驁、字を太孫といいます。「驁」は良馬を意味します。
宣帝は劉驁を世嫡皇孫として非常に愛し、常に左右に置きました。
劉驁はかつて桂宮に住んでいました。
顔師古注によると、桂宮は太子宮ではなく、宮城内の北宮に近い場所にありました。
元帝が急用で劉驁を招いたことがありました。
劉驁は龍楼門(『漢書・成帝紀』の注によると、門楼の上に銅龍がありました)を出ると、馳道(天子が通る大通り)を横切ろうとせず、西の直城門(『漢書・成帝紀』の注によると、西側の南から第二の門)に至ってやっと馳道を渡り、戻って作室門に入りました。
しかし侍中・史丹が太子家を護り、力を尽くして補佐しました。また、先帝(宣帝)も特に太子(劉驁)を愛していたため、ついに劉驁を廃すことができませんでした。
六月己未(二十二日)、太子・劉驁が皇帝の位に即きました。これが成帝です。
次回に続きます。