今回も東周簡王十一年の続きです。 [十二] 六月癸巳(二十八日。前回の内容は二十九日のことです。一日前にさかのぼります)、楚の潘尫の子・潘党と養由基が射術の腕を披露するため、甲(鎧)に矢を射ました。矢は七札(層)を貫きます(当時の革甲は通常、…
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