春秋時代二

春秋時代178 東周霊王(四十一) 楚康王の死 前545年(3)

今回で東周霊王の時代が終わります(霊王は前回死にましたが、年が改まるまで霊王二十七年です)。 [十一] 斉荘公が公子・牙とその余党を討伐した時(東周霊王十八年・前554年および霊王二十年・前552年参照)、諸公子が各地に逃走しました。公子・鉏は魯に…

春秋時代177 東周霊王(四十) 慶封出奔 前545年(2)

今回は東周霊王二十七年の続きです。 [九] 斉の慶封(子家。慶季)は崔氏を滅ぼしてから政権を握ることになりましたが、狩猟を好み酒も愛したため、子の慶舍(字は子之)に実務を任せました。 慶封は家財や妻妾を盧蒲嫳の家に遷し、妻妾を交換して酒を飲む日…

春秋時代176 東周霊王(三十九) 鄭の入朝 前545年(1)

今回から東周霊王最後の年です。三回に分けます。 霊王二十七年 前545年 丙辰 [一] 春、魯で氷がはりませんでした。 周暦は夏暦と二カ月の差があるので、周暦の春は夏暦の十一月・十二月・一月になります。一年で最も寒い時期です。 魯の大夫・梓慎が言いま…

春秋時代175 東周霊王(三十八) 崔氏滅亡 前546年(4)

今回で東周霊王二十六年が終わります。 [七] 宋の左師・向戌が弭兵の功績による賞賜を求めて言いました「死をまぬがれることができたので(失敗したら死刑になる恐れもあった大任を成功させたという意味です)、邑をいただきたいです。」 平公は邑六十を向戌…

春秋時代174 東周霊王(三十七) 弭兵の会(後) 前546年(3)

今回は東周霊王二十六年秋七月辛巳(初五日)に開かれた弭兵の会の続きからです。 [四(続き)] 晋と楚が歃血(犠牲の血を啜り、血を口の横に塗る儀式)の順位を争いました。 晋人が言いました「晋は元々諸侯の盟主である。今まで晋より先に行った者はいない…

春秋時代173 東周霊王(三十六) 弭兵の会(前) 前546年(2)

今回は東周霊王二十六年の続きです。 [四] 『史記・趙世家』はこの年に晋が趙武を正卿にしたと書いています。 趙武は「趙文子」「趙孟」ともいいます。「趙孟」は趙氏の宗主という意味で、かつては趙盾が趙孟とよばれました。趙武の後も趙鞅、趙無恤等が趙孟…

春秋時代172 東周霊王(三十五) 衛の内争 前546年(1)

今回から東周霊王二十六年です。四回に分けます。 霊王二十六年 前546年 乙卯 [一] 春、晋の胥梁帯が烏餘によって城邑を失った諸侯(斉・魯・宋。前年参照)に車徒(車兵と歩兵)を用意させました。秘密裏に反撃の準備が進められます。 その後、胥梁帯は烏餘…

春秋時代171 東周霊王(三十四) 楚鄭の戦い 前547年(4)

今回は東周霊王二十五年七月の続きからです。 [十一] 『資治通鑑外紀』はここで楚の令尹・子木に関する故事を紹介しています。『国語・楚語上』からの引用です。 楚の卿・屈到(子木の父)は芰(菱。植物の名)が好物でした。病に倒れて死が近づくと、宗老(…

春秋時代170 東周霊王(三十三) 伍挙と声子 前547年(3)

今回も東周霊王二十五年の続きです。 [十] 楚の伍参と蔡の太師・子朝(公子・朝。蔡文侯の子、景侯の弟)は友人関係にあり、伍参の子・伍挙と子朝の子・声子(公孫帰生)も交流がありました。 伍挙は楚の王子牟(申公)の娘を娶りました。しかし王子牟は罪を…

春秋時代169 東周霊王(三十二) 宋の太子 前547年(2)

今回は東周霊王二十五年の続きです。 [六] 楚康王と秦軍が連合して呉を攻撃し、雩婁に至りましたが、呉に備えがあると聞いて兵を還しました。 楚・秦連合軍はそのまま鄭を侵します。 五月、連合軍が城麇に駐軍しました。 城麇を守っていた鄭の皇頡が城を出て…

春秋時代168 東周霊王(三十一) 衛献公復位 前547年(1)

今回から東周霊王二十五年です。四回に分けます。 霊王二十五年 前547年 甲寅 [一] 二年前、斉が郟(洛邑。王城)に築城しました。その年の五月に秦と晋が講和しました。晋の韓起が秦に入って盟を結び、秦の伯車が晋に入って盟を結びます。しかし晋と秦の同…

春秋時代167 東周霊王(三十) 呉楚の戦い 前548年(3)

今回で東周霊王二十四年が終わります。 [十三] 秋七月己巳(十二日。『春秋』経文では「八月」ですが、誤りです)、諸侯(夷儀の会の諸侯)が重丘(斉地)で盟を結びました。斉が晋と講和したためです。 この時、晋の士匄が既に死に、趙武(趙文子)が政事を…

春秋時代166 東周霊王(二十九) 崔杼専権 前548年(2)

今回は東周霊王二十四年五月の続きからです。 [四] 崔杼は鬷蔑を平陰で殺しました。荘公の母を鬷声姫というので、鬷蔑は荘公と親しかったようです。平陰は斉都・臨淄附近の険邑で、鬷蔑が守っていました。崔杼が鬷蔑を殺したのは、荘公の党が険要の地を擁す…

春秋時代165 東周霊王(二十八) 斉荘公の死 前548年(1)

今回は東周霊王二十四年です。三回に分けます。 霊王二十四年 前548年 癸丑 [一] 春、斉の崔杼(崔武子)が魯の北境を攻めました。前年、魯の仲孫羯(孟孝伯)が斉を攻めたためです。 魯襄公は斉を恐れて晋に報告しました。 魯の大夫・孟公綽が言いました「…

春秋時代164 東周霊王(二十七) 棘沢の戦い 前549年

今回は東周霊王二十三年です。 霊王二十三年 前549年 壬子 [一] 春、魯の叔孫豹(穆叔)が晋に行きました。 晋の士匄(范宣子)が迎え入れて質問しました「古人は『不朽の死(死而不朽)』という言葉を残したが、これはどういうことであろうか?」 叔孫豹が…

春秋時代163 東周霊王(二十六) 杞梁と華舟 前550年(3)

今回で東周霊王二十二年が終わります。 [九] 晋が曲沃を討伐し、欒盈を破りました。欒氏の族党が皆殺しにされます。欒魴は宋に出奔しました。 [十] 斉荘公は晋討伐から還りましたが、国に入らず、莒を襲いました。しかし且于(莒の邑)の城門を攻撃した時、…

春秋時代162 東周霊王(二十五) 臧紇出奔 前550年(2)

今回は東周霊王二十二年の続きです。 [八] 季孫宿(季武子)の正妻には子が産まれませんでした。姫妾の子である公鉏(公彌)が年長者でしたが、季孫宿は悼子(紇)を愛していたため、後継者には悼子を立てたいと思っていました。そこで申豊に相談しました「…

春秋時代161 東周霊王(二十四) 欒盈帰国 前550年(1)

今回は東周霊王二十二年です。三回に分けます。 霊王二十二年 前550年 辛亥 [一] 春二月癸酉朔、日食がありました。 [二] 三月己巳(二十八日)、杞孝公が在位十七年で死にました。 弟の文公・益姑が即位しました。 晋の悼夫人(悼公夫人。晋平公の母。恐ら…

春秋時代160 東周霊王(二十三) 楚の令尹 前551年

今回は東周霊王二十一年です。 霊王二十一年 前551年 庚戍 [一] 春正月、魯襄公が商任の会から還りました。 [二] 春、魯の臧孫紇(臧武仲)が晋に行きました。途中、雨が降る中、御叔(御邑大夫)の邑(御)を通りすぎます。この時、御叔は邑内に居り、酒を…

春秋時代159 東周霊王(二十二) 孔子誕生 前552年(2)

今回は東周霊王二十年の続きです。 [六(続き)] 晋から出奔した欒盈が周を通りました。しかし周の西境で財物を奪われます。欒盈が行人(周王室が派遣した賓客の対応をする官)に言いました「天子の陪臣・盈は王の守臣(晋平公)の罪を得て亡命することにな…

春秋時代158 東周霊王(二十一) 欒盈出奔 前552年(1)

今回は東周霊王二十年です。二回に分けます。 霊王二十年 前552年 己酉 [一] 春正月、魯襄公が晋に行きました。斉討伐と邾田を得たことを拝謝するためです。 [二] 邾の大夫・庶其が漆と閭丘の地を挙げて魯に奔りました。 魯の季孫宿(季武子)は襄公の姑姊(…

春秋時代157 東周霊王(二十) 澶淵の盟 前553年

今回は東周霊王十九年です。 霊王十九年 前553年 戊申 [一] 前年、督揚で諸侯が盟を結び、その中に魯と莒もいたため、敵対していた二国が講和することになりました。 春正月辛亥(二十一日)、魯の仲孫速(孟速。孟荘子)が莒人と会し、向で盟を結びました。…

春秋時代156 東周霊王(十九) 斉霊公の死 前554年

今回は東周霊王十八年です。 霊王十八年 前554年 丁未 [一] 春正月、斉を討伐した諸侯が沂水から引き上げ、督揚で盟を結びました。督揚は祝柯(または「祝阿」)ともいいます。 盟に参加したのは晋侯(平公)、魯公(襄公)、宋公(平公)、衛侯(殤公)、鄭…

春秋時代155 東周霊王(十八) 斉討伐 前555年

今回は東周霊王十七年です。 霊王十七年 前555年 丙午 [一] 春、白狄が始めて魯に来ました。朝見のようですが、正式な朝見の礼は用いなかったようです。 [二] 夏、晋が長子で衛の石買を捕え、純留で孫蒯を捕えました。前年、曹が晋に訴えたためです。 [三] …

春秋時代154 東周霊王(十七) 斉魯攻防 前557~556年

今回は東周霊王十五年と十六年です。 霊王十五年 前557年 甲辰 [一] 春正月、晋が悼公を埋葬しました。 平公が正式に即位します。 羊舌肸(叔向)が傅(太傅。教育官)に、張君臣(張老の子)が中軍司馬に、祁奚、韓襄(韓無忌の子)、欒盈、士鞅が公族大夫…

春秋時代153 東周霊王(十六) 子罕と玉 前558年

今回は東周霊王十四年です。 霊王十四年 前558年 癸卯 [一] 春、宋平公が向戌を魯に送って聘問しました。過去の盟約を確認するためです。 向戌が魯の仲孫蔑(孟献子)に会った時、その家屋が豪華すぎることを指摘して言いました「子(あなた)には令聞(名声…

春秋時代152 東周霊王(十五) 衛献公出奔 前559年(2)

今回は東周霊王十三年夏四月の続きからです。衛で内乱が起きます。 [五(続き)] 孫林父の勢力を恐れた献公は子蟜、子伯、子皮(三人とも衛の公子)を送って丘宮(都内)で孫林父と会盟させようとしましたが、孫林父は三人とも殺してしまいました。 己未(二十…

春秋時代151 東周霊王(十四) 遷延の役 前559年(1)

今回は東周霊王十三年です。二回に分けます。 霊王十三年 前559年 壬寅 [一] 春正月、呉が前年、楚に敗れたことを晋に報告しました。 そこで、晋の士匄、魯の季孫宿(季武子)と叔老、斉の崔杼、宋の華閲と仲江、衛の北宮括(懿子)、鄭の公孫蠆および曹人・…

春秋時代150 東周霊王(十三) 楚共王の死 前561~560年

今回は東周霊王十一年からです。 霊王十一年 前561年 庚子 [一] 春三月(または「二月」)、莒が魯の東境を攻撃し、台(または「邰」)を包囲しました。 魯の季孫宿(季武子)が台を援けて莒国の鄆(または「運」)に入り、鐘を奪って襄公の盤(食器)にしま…

春秋時代149 東周霊王(十二) 䔥の会 前562年(2)

今回は東周霊王十年の続きです。 [五] 楚の子囊が秦に出兵を請いました。秦の右大夫・詹が軍を率いて楚共王に従い、鄭を討伐します。 晋と盟を結んだばかりの鄭簡公は、楚軍を迎え入れて服従しました。 丙子(二十七日)、楚と鄭が宋を攻撃しました。 [六] …