第二十六回 百里が妻を知り、穆公が陳宝を得る(中編)

*今回は『東周列国志』第二十六回中編です。
 
翌日、早い時間に二叟が樽(酒)を持って来ました。餞別の宴が開かれ、前夜と同じ序列で席に着きます。
久しく酒を飲んでから、公子・縶が白乙の才を称え、秦に連れて行くことを願いました。蹇叔はこれに同意します。
蹇叔は秦君が贈った礼幣を二叟に分け与え、留守中の家を託して言いました「今回の遠出は長くない。また会うことができる。」
その後、家人に命じました「稼穡(農事)に勤めよ。荒蕪(荒れ果てた農地)にしてはならない。」
二叟が別れを惜しみながら見送りました。
蹇叔が車に乗り、白乙丙が御者になって出発します。公子・縶も別の車に乗り、並んで進みました。
夜になったら宿泊し、日が明けたら車を駆けさせます。
秦の郊外に近づくと、公子・縶が先に入朝して秦穆公に言いました「蹇先生が既に郊外に来ています。その子・蹇丙にも揮霍(鋭敏)の才があるので、我が国で用いるために共に招いて来ました。」
大喜びした穆公は百里奚に迎えに行かせました。
 
蹇叔が秦都に入りました。
穆公が階段を降りて礼を加え、坐を与えて問いました「井伯が度々先生の賢を話しました。先生は何を寡人に教えてくださいますか?」
蹇叔が言いました「秦は辺境の西土におり、戎狄と隣接しています。地は険しく兵は強いので、進めば戦うことができ、退けば守ることができます。それでも中華(中原諸国)に列していないのは、威徳が及んでいないからです。威がなければ畏れられず、徳がなければ懐かれません。不畏不懐であっては、霸を成すことはできません。」
穆公が問いました「威と徳のどちらを優先するべきですか?」
蹇叔が言いました「徳は本であり、威によって完成されます。徳があっても威がなければ、その国は外から削られます。威があっても徳がなければ、その民は内から潰れます。」
穆公が問いました「寡人は徳を布いて威を立てたいと思うが、どのような道を歩むべきでしょうか?」
蹇叔が言いました「秦は戎俗と雑居し、民に礼教が行き渡っていません。等威(等級に応じた威信)はわきまえられず、貴賎も不明瞭です。まずは教化を行い、それから刑罰を用いるべきです。教化が行われれば、民は上を尊敬することを知ります。そうすれば、恩を施して徳を感じさせ、刑を用いて懼れさせることができます。その時には、上下の間が手足と頭目の関係のようになります。管夷吾は節制の師(節度法制を守る軍)を用いているから、天下に号令して敵がいないのです。」
穆公が問いました「先生の言う通りにすれば天下の覇者になれますか?」
蹇叔が言いました「まだです。天下に覇を称える者には三戎があります。『貪婪になってはならない(毋貪)』『怒ってはならない(毋忿)』『焦ってはならない(毋急)』です。貪婪になったら多くを失い、怒ったら多くの難を招き、焦ったら多くが失敗します。大小をよく観察して図れば、貪婪になる必要はありません。相手と自分をよく量って行動すれば、怒る必要はありません。緩急を考慮して実行すれば、焦る必要はありません。この三者を戒めることができれば、霸業は近くなります。」
穆公が言いました「素晴らしい言葉です(善哉言乎)。寡人のために今日の緩急を計っていただけますか。」
蹇叔が言いました「秦は西戎に立国しました。これは禍福の本です。今、斉侯は既に耄碌し、霸業が衰えようとしています。そこで、まずは雍渭の衆を善く慰撫して諸戎に号令し、服さない者を征伐します。諸戎が服したら、武器を集めて中原の変化を待ち、斉の遺(残した業績)を継いで徳義を布きます。そうすれば、たとえ主公が覇を欲しなくても覇を称えなければならなくなるでしょう。」
穆公が喜んで言いました「寡人は二老を得ることができた。まさに庶民(平民。国民)の長である。」
こうして蹇叔は右庶長に、百里奚は左庶長に任命されました。どちらの位も上卿です。これを「二相」といいます。
また、白乙丙も召して大夫にしました。
二相が共に政事を行い、法を立てて民を教化しました。利を興して害を除き、秦国が大いに治まります。
 
穆公は賢才の多くが他国から現れるのを見て人材の採訪を強化しました。
公子・縶が秦人・西乞術の賢を推挙したので、穆公はこれを登用します。
百里奚は以前から晋人・繇余が経綸の才略を持っていると聞いていたため、公孫枝に尋ねてみました。しかし公孫枝は「繇余は晋で不遇でしたが、今は西戎に仕えています」と答えました。
百里奚は嘆息して繇余を得られないことを惜しみました。
 
 
百里奚の妻・杜氏は夫が家を出てから紡績で生計を立てていましたが、飢荒に遭って生活ができなくなったため、子を連れて他郷に食物を求めに行きました。各地を転々とした末に秦国に入り、澣衣(洗濯)を生業としました。
子の名は視、字を孟明といいます。郷人と一緒に狩猟や角芸(武芸。格闘技)をして日々を過ごし、杜氏が頻繁に諫めても職に就きませんでした。
百里奚が秦の相になると、杜氏もその名を耳にしました。車中の百里奚を眺め見たことがありましたが、話しはできません。
そこで杜氏百里奚の府中に入って澣衣婦(服を洗う女性)の職を求めました。杜氏は勤勉に働いたため、府中の人々に喜ばれます。しかし百里奚に会う機会はありません。
ある日、百里奚が堂上に座り、楽工が廡(走廊)の下で音楽を奏でました。杜氏が府中の人に言いました「老妾(私)は音律を善く知っています。廡に連れて行っていただけませんか。楽工の音を聞いてみたいものです。」
府中の人は杜氏を廡に連れて行き、楽工に話しました。楽工が杜氏に何を習ったことがあるか問うと、杜氏は「琴を弾けます。歌も歌えます」と答えました。
楽工が琴を渡し、杜氏が受け取って弾き始めます。その音は淒怨(深い悲しみ)に包まれていました。
耳を傾けて静聴した楽工は自分が杜氏に及ばないことを認めます。
杜氏に歌を歌わせると、杜氏が言いました「老妾は流移してここに至ってから、歌を歌ったことがありません。相君にお伝えして、堂に登って歌わせてください。」
楽工が百里奚に告げると、百里奚は杜氏が堂左に立って歌うことを許可しました。杜氏は顔を伏して袖で隠しながら堂に登り、声を響かせて歌い始めます「百里奚よ、五羊皮よ。別れの時を覚えていますか。伏雌を煮て、黄齏を摺り、扊扅で火を焚きました。今日、富貴を得て、私を忘れてしまったのですか。百里奚よ、五羊皮よ。父は美食を食べているのに、子は飢えに泣いています。夫は文繍を着ているのに、妻は衣服を洗っています。ああ、富貴を得て、私を忘れてしまったのですか。百里奚よ、五羊皮よ。昔のあの日、あなたは去って私は泣きました。今この日、あなたは座り、私は離れています。ああ、富貴を得て、私を忘れてしまったのですか百里奚,五羊皮。憶別時,烹伏雌,舂黄齏,炊扊扅。今日富貴忘我為。百里奚,五羊皮。父梁肉,子啼飢,夫文繍,妻澣衣。嗟乎。富貴忘我為。百里奚,五羊皮。昔之日,君行而我啼,今之日,君坐而我離。嗟乎。富貴忘我為)。」
歌を聞いた百里奚は驚いて歌を歌っている者を前に招きました。やっと妻が近くにいたことに気がつきます。お互いに声を上げて泣きました。
暫くして百里奚が「児子(息子)はどこだ?」と問いました。
杜氏が「村で射猟をしています」と答えたため、すぐに人を派遣して招きます。
この日、夫妻父子が再び一緒になりました。
穆公は百里奚の妻と子が来たと聞いて粟千鍾と金帛一車を下賜しました。
翌日、百里奚は子の孟明視を連れて朝見し、恩を謝しました。穆公は孟明視を大夫に任命し、西乞術、白乙丙と並んで将軍号を与えます。これを「三帥」といい、征伐の事を任されました。
 
 
 
*『東周列国志』第二十六回後編に続きます。