第二十七回 驪姫が申生を殺し、献公が荀息に嘱す(中編)

*今回は『東周列国志』第二十七回の中編です。
 
翌日、申生が入宮して宴の感謝をしました。驪姫は申生を留めて一緒に食事をします。
その夜、驪姫が泣いて献公に言いました「妾(私)は太子の心を得るために招いて礼遇しました。しかし測らずも太子は無礼を働きました。」
献公が詳しく聞くと、驪姫が言いました「妾は太子を留めて午餐を共にしました。太子は酒を要求し、半ばほど酔うと妾に戯れてこう言いました『私の父は老いました。母はどうしているのですか?』妾が怒って黙っていると、太子はまたこう言いました『昔、私の祖父は年老いたので私の母・姜氏を私の父に遺しました。今、私の父も年老いているので、必ず誰かに遺します。それが子でなくて誰だというのでしょう。』太子が妾の手を取ろうとしましたが、妾は拒否して逃れました。国君がもしも信じないようなら、妾が試しに太子と囿で遊びます。国君は台の上からその様子を眺めてください。必ず目撃できます。」
献公は「わかった(諾)」と言いました。
翌朝、驪姫が申生を招いて囿で遊びました。驪姫はあらかじめ髪に蜜を塗っています。そのため蜂や蝶が集まってきました。驪姫が言いました「太子、私のために蜂や蝶を追い払ってください。」
申生は後ろから袖で驪姫の頭の上を払います。
それを遠くから眺め見た献公は、太子が本当に調戯(戯れ。悪戯。無礼)をしていると思い、心中、激怒しました。
献公が申生を捕えて処刑しようとしましたが、驪姫が跪いて言いました「妾が招いたのに殺してしまったら、妾が太子を殺したことになってしまいます。そもそも、宮中の暖昧の事(男女の事)は、外の人には分かりません(宮外の人は太子が働いた無礼を知らないので、冤罪で殺されたと思います)。忍ぶべきです。」
献公は申生を曲沃に帰らせ、人を送って秘かに申生の罪を探させました。
 
数日後、献公が翟桓で狩りをしました。
驪姫が優施と相談し、太子に使者を送ってこう伝えました「国君が夢で斉姜に会いました。斉姜は『飢えに苦しんでいます。食べる物がありません』と訴えました。速く祭祀を行うべきです。」
斉姜の祠は曲沃にあったため、申生はすぐに斉姜を祭りました。祭祀が終わってから胙(祭肉)を献公に贈ります。
献公がまだ帰っていないため、胙は宮中に置かれました。
六日後、献公が公宮に戻ります。驪姫は鴆(毒)を酒に入れ、毒薬を肉につけて言いました「妾は夢で斉姜に会いました。斉姜は飢えに苦しんでいましたが、国君が外出していたので、太子に伝えて祭祀を行わせました。胙がここに届いています。国君を待って久しくなります。」
献公が觶(杯)を持って酒を飲もうとしました。すると驪姫が跪いて止めてこう言いました「外から来た酒食は試さなければいけません。」
献公は「その通りだ(然)」と言って酒を地に撒きます。すると土が盛り上がりました。犬を呼んで一切れの肉を投げ与えると、噛んだとたんに死んでしまいます。それでも驪姫は毒が入れられていることを信じないふりをして、改めて小内侍を招き、酒と肉を試させました。小内侍が抵抗しても無理に口に入れさせます。やっと口に入れると、七竅(七つの孔。目・鼻等、全身の孔)から血を流して死んでしまいました。
驪姫は驚いたふりをして堂の下に駆けおり、叫んで言いました「天よ、天よ、この国は既に太子の国です。国君は年老いているのに、旦暮(朝夕。短い時間)も待てずに弑殺しようというのですか!」
言い終わると両目から涙が流れます。
驪姫は再び献公の前に跪き、泣きながら言いました「太子がこのような謀を設けたのは、妾の母子がいるからです。国君はこの酒肉を妾に下賜してください。妾が国君の代わりに死に、太子の志を満足させましょう。」
驪姫が酒を取って飲もうとすると、献公が奪って捨てました。怒って言葉も出ません。
驪姫が泣きながら地に倒れ、恨んで言いました「太子は全く残忍です。自分の父も弑殺しようとするのですから、他の人に対してならなおさらでしょう。以前、国君が彼を廃そうとした時、妾が固く止めました。後に囿中で妾に戯れたため、国君がまた彼を殺そうとしましたが、やはり妾が力を尽くして説得しました。その結果、今回、我が君が危うく害されることになりました。妾が国君を誤らせてしまいました。」
献公が驪姫を抱え起こしてやっと言いました「汝は立て。孤はこの事を群臣に暴露して賊子を誅殺しなければならない。」
献公はすぐ朝廷に入り、諸大夫を集めました。狐突は久しく門を閉ざしており、里克は足の怪我を理由とし、丕鄭父は他の事情を口実に外出したため来ませんでしたが、他の群臣は全て朝堂に集まりました。
 
献公が申生の謀逆を群臣に告げました。群臣は献公が以前から太子廃立を考えていることを知っていたため、互いに顔を見合すだけで何も言いません。
東関五が進み出て言いました「太子は無道です。主公のために臣に討伐させてください。」
献公は東関五を将とし、梁五に補佐させ、車二百乗を率いて曲沃を討伐させました。東関五の出陣前に献公が言いました「太子は度々兵を指揮しており、衆を善く用いる。汝は慎重に行動せよ。」
 
狐突は門を閉ざしていましたが、常に人を送って朝廷の状況を確認していました。「二五」が兵車を率いて出発したと聞き、曲沃に向かったと判断します。急いで太子・申生に密使を送りました。
申生が太傅・杜原款に相談すると、杜原款はこう言いました「胙は宮内に六日も置かれていました。宮中で毒が入れられたのは明かです。子(あなた)はそれを訴えて弁解するべきです。群臣の中にもそれが分かる者は必ずいます。手を束ねて死を待つ必要はありません。」
しかし申生はこう言いました「国君は姫氏がいなければ室に居ても不安で、食事をしても満腹にならない。私が道理を訴えても明らかにできなかったら罪を増やすだけだ。幸い道理が明らかになったとしても、国君は姫氏を守るだろう。私に罪を加えることはないかもしれないが、国君の心を傷つけることになる。私はここで死ぬべきだ。」
杜原款が言いました「暫く他国に移り、機会を待って後の事を図るのは如何ですか?」
申生が言いました「国君は罪の真相を調べず私を討伐した。私が父を弑殺しようとした悪名は既に国外にも知られている。人々は私を鴟鴞(ふくろう。凶鳥)のように見なすだろう。もし出奔して国君に罪を着せたら(国君の罪を訴えて自分の冤罪を主張したら)、国君を誹謗することになる。もし君父の悪を明らかにしたら、諸侯に笑われることになる。内は父母によって困(困窮)に陥り、外は諸侯によって困に陥るのなら、それは重困(二重の困難。困窮)である。国君を棄てて罪から脱すのは、逃死(死から逃げること)である。私はこう聞いている『仁者は国君を悪とせず、智者は重困に陥らず、勇者は死から逃げない(仁不悪君,智不重困,勇不逃死)。』」
申生は狐突に返書を送ってこう伝えました「申生には罪があるので、命を惜しもうとは思いません。しかし国君は老齢で、子は幼く、国家は多難です。伯氏は力を尽くして国家を補佐してください。それが叶うのなら、申生はたとえ死んでも伯氏の賜(恩恵)を受けることができます。」
申生は北に向かって再拝してから自縊しました。
 
翌日、東関五の兵が到着します。申生が既に死んだと聞き、杜原款を捕えて献公に報告しました「世子は自分の罪を知って逃げられないと判断し、先に死にました。」
献公は杜原款に太子の罪を証明させようとしました。しかし杜原款は大声でこう言いました「天よ、冤罪だ!原款が死なずに捕えられたのは、太子の心を明らかにするためだ!胙は宮中に六日も留められていた。毒を入れて久しく変わらない物があるか(太子が肉に毒を入れたとしたら、六日の間に肉が変化していたはずだ)!」
屏の後ろでそれを聞いた驪姫が慌てて叫びました「原款の輔導(太子の教育)に問題がありました。なぜ速やかに殺さないのですか!」
献公は力士に命じ、銅鎚で杜原款の頭を撃って殺しました。群臣は皆、秘かに涙を流します。
 
梁五と東関五が優施に言いました「重耳と夷吾は太子と一体だ。太子は死んだが二公子がまだ健在なので、我々は心配している。」
優施はこれを驪姫に話し、二公子を招かせました。
その日の夜中、驪姫がまた泣いて献公に訴えました「重耳と夷吾は申生と共謀していたといいます。申生の死に関して、二公子は罪を妾に着せ、終日、兵を整えています。晋(都)を襲って妾を殺し、大事(簒奪)を図るつもりです。国君は警戒しなければなりません。」
献公は完全には信じませんでした。
 
 
 
*『東周列国志』第二十七回の中編に続きます。