第二十九回 晋恵公が群臣を誅し、管夷吾が相を論じる(後編)

*今回は『東周列国志』第二十九回後編です。
 
家にいた共華は丕鄭父等の計画が漏れて誅殺されたと知り、すぐに家廟を拝して別れを告げ、朝廷に行こうとしました。弟の共賜が言いました「行けば必ず死にます。なぜ逃げないのですか?」
共華が言いました「丕大夫が帰国したのは、私が勧めたからだ。人を死に陥れながら私だけ生き延びるようでは、丈夫ではない。私は生を愛さないのではない。丕大夫を裏切ることができないのだ。」
共華は逮捕に来る兵を待たず、小走りで入朝して死を請いました。恵公は共華を処刑します。
丕豹は父が殺されたと聞き、秦国に奔って難を逃れました。
恵公が里・丕諸大夫の一族も皆殺しにしようとしましたが、郤芮が言いました「『罪人の罪は妻子に及ばない(罪人不孥)』というのが古の制です。乱を謀った者を誅したので、大衆への警告としては充分です。多くを殺して大衆の心を恐れさせる必要はありません。」
恵公は各族を赦しました。屠岸夷を中大夫に任命し、負葵の田三十万を与えます。
 
丕豹は秦に逃げて穆公に会うと、地に伏して大哭しました。
穆公が理由を問い、丕豹が事件のいきさつを詳しく話します。
丕豹が言いました「晋侯は秦の大恩に背き、国の小怨に報復しているので、百官は恐れ、百姓も服していません。偏師(一部隊)を送って討伐すれば、晋侯の衆は内部から崩壊します。廃置(晋君の廃立)は秦君の思いのままにできます。」
穆公が群臣に問うと、蹇叔が言いました「丕豹の言によって晋を討伐するのは、臣下を援けて国君を討つことになり、義において正しくありません。」
百里奚が言いました「もし百姓が服していないのなら、必ず国内で変事が起きます。主公は変事を待ってから図るべきです。」
穆公が言いました「寡人もその言を疑っていた。彼は一朝にして九大夫を殺したが、衆心が帰附していなかったら、そのようなことはできないだろう。それに、兵を出しても内応がなかったら、成功するとは限らない。」
丕豹は秦に留まって大夫になりました。晋恵公二年、周襄王三年のことです。
 
 
この年、周の王子・帯が賄賂を送って伊雒の戎と結び、戎に京師を攻撃させました。王子・帯が内応を約束します。
戎軍が入寇して王城を包囲しましたが、周公・孔と召伯・廖が力を尽くして固守したため、子帯は城を出て戎軍と合流する機会がありませんでした。
襄王は諸侯に使者を送って急を告げました。秦穆公と晋恵公は周王と関係を結びたかったため、それぞれ兵を率いて周を援けます。
諸侯の兵が迫っていると知った戎は、東門で略奪してから火を放って去りました。
 
恵公は穆公と会い、慙愧の色を浮かべました。
更に恵公は穆姫の密書を受け取ります。そこには晋侯が賈君に無礼を働いたこと、群公子を呼び戻さないことなど、様々な問題が挙げられており、速やかに過ちを改めなければ秦との旧好を失うことになる、という戒めが書かれていました。
恵公は秦に対して疑いの心を持ち、急いで兵を還します。
丕豹が穆公に晋軍を夜襲するように勧めましたが、穆公はこう言いました「共に勤王のために来たのだ。私怨があったとしても、動くべきではない。」
それぞれ兵を率いて帰国しました。
 
桓公管仲に兵を率いて周を援けさせました。管仲は戎が既に兵を退いたと知り、人を送って戎主を譴責しました。戎主は斉の兵威を恐れ、使者を送って謝罪し、こう伝えました「我々諸戎が敢えて京師を侵すことはありません。爾(汝。ここでは中原。または周)の甘叔が我々を招いたのです。」
これを聞いて襄王は王子・帯を追放しました。子帯は斉国に出奔します。
戎主が京師に人を送り、謝罪して和を求めまたため、襄王は同意しました。
 
襄王は管仲がかつて自分の王位を定め、今回も戎との講和を促したため、大饗(大宴)を設けて管仲の功労に報いました。上卿の礼を使って管仲をもてなそうとします。
しかし管仲は「斉国には国・高の二子(どちらも上卿)がいます。臣には恐れ多いことです」と言って再三辞退し、下卿の礼を受けて帰国しました。
 
 
この年の冬、管仲が病に倒れました。桓公自ら見舞いに行きます。
痩せ細った管仲を見た桓公は、手を取って言いました「仲父の疾(病)は甚だしい。もし不幸にも起きることができなくなったら、寡人は誰に政治を委ねればいい。」
当時、甯戚も賓須無も前後して死んでいました。
管仲が嘆息して言いました「甯戚は惜しいことをしました。」
桓公が問いました「甯戚の他に人はいないのか?わしは鮑叔牙に任せようと思うが如何だ?」
管仲が言いました「鮑叔牙は君子ですが、政事を任せることはできません。彼は善悪の分け隔てが明らか過ぎます。善を好むのはいいのですが、悪を憎みすぎます。誰がこれに堪えられるでしょう。鮑叔牙は人に一つでも悪があれば終生忘れません。これは彼の欠点です。」
桓公が問いました「隰朋は如何だ?」
管仲が言いました「恐らく問題ないでしょう。隰朋は下の者に質問することを恥とせず、家に居ても公門を忘れません。」
ここまで言い終わってから嘆息して続けました「天が隰朋を生んだのは、夷吾の舌とするためです。身管仲が死んで舌だけが存続することはできません。主公が隰朋を用いる期間は、長くないはずです。」
桓公が問いました「それならば、易牙は如何だ?」
管仲が言いました「主公が問わなくても臣は話すつもりでした。易牙、豎刁、開方の三人は、近づけてはなりません。」
桓公が言いました「易牙は自分の子を煮て寡人の口に与えた。寡人に対する愛が自分の子に対する愛にも勝っているのに、なぜ疑うのだ?」
管仲が言いました「人の情において、子に対する愛ほど大きな愛はありません。それなのに子を殺すことができたのです。国君に対して何をするでしょう。」
桓公が言いました「豎刁は寡人に仕えるために自宮(自分で去勢すること)した。寡人に対する愛が自分の身体に対する愛にも勝っているのに、なぜ疑うのだ?」
管仲が言いました「人の情において、自分の身体ほど大切なものはありません。それなのに自分の身体を損なうことができたのです。国君に対して何をするでしょう。」
桓公が言いました「衛の公子・開方は千乗(大国)の太子という地位を棄てて寡人の臣となり、寡人の愛幸(寵愛)を得た。父母の喪にも参加しなかったのだから、寡人に対する愛が父母に対する愛にも勝っているのは疑いない。」
管仲が言いました「人の情において、父母ほど親しい者はいません。その父母さえ棄てることができたのです。国君に対して何をするでしょう。そもそも、千乗の封(大国に封じられること)は普通の人にとっては大欲です。千乗を棄てて主公に仕えたのは、千乗以上の野望があるからです。主公は彼等を遠ざけるべきです。近づけたら必ず国を乱します。」
桓公が言いました「あの三人は寡人に仕えて久しいのに、仲父が今まで一言も言わなかったのはなぜだ?」
管仲が言いました「臣が言わなかったのは主公の意に沿うためです。水に喩えるなら、臣が堤防になってきたので氾濫しませんでした。今後、堤防が去ったら横流の患を招くことになります。主公は必ず遠ざけなければなりません。」
桓公は黙って退出しました。
 
管仲の性命はどうなるか、続きは次回です。