第三十六回 晋呂郤が公宮を焼き、秦穆公が晋の乱を平定する(後編)

*今回は『東周列国志』第三十六回後編です。
 
勃鞮は呂・郤二人の猜疑を避けるため、決起の数日前から郤芮の家に住みました。挙兵の相談をするふりをして二人を油断させます。
二月晦日、勃鞮が郤芮に言いました「主公は明日の朝に視朝すると約束しました。病が回復に向かっているはずです。宮中に火が起きたら必ず外に出ようとします。呂大夫が前門を守り、郤大夫が後門を守ってください。私が家衆を率いて朝門を塞ぎ、消火に駆けつけた者を阻止します。たとえ重耳に羽が生えても、逃れることはできません。」
郤芮は納得して呂省に話しました。
その夜、それぞれの家衆が兵器と火種を持って四方に埋伏しました。
 
三更(夜十一時から一時)の少し前、宮門に火が放たれました。火は勢いよく燃え上がります。宮人達は驚いて夢から醒めました。宮中で失火したと思い、火を見て混乱に陥ります。
すると火の中から戈甲が現れました。兵達は「重耳を逃がすな!」と叫びながら東や西に分散します。
火に遭った宮人は顔を火傷し髪を焦がし、兵に遭った宮人は四肢を斬られ体を傷つけられました。聞くに堪えないほどの哀哭の声が宮中に響きます。
呂省が剣を持って寝宮に直進し、文公を探しました。しかし影も形もありません。郤芮も剣を持って後宰門から突入し、呂省に問いました「事は成し遂げたか?」
呂省は何も言わず、頭を横に振るだけです。
二人は火をかいくぐって再び文公を探しました。
すると突然、宮外から大きな喚声が挙がりました。勃鞮が慌てて報告します「狐、趙、欒、魏等の各家が兵を率いて消火に来ました。天が明るくなる頃には、恐らく全ての国人が集まるでしょう。我々は難から脱することができなくなります。混乱に乗じて城を出て、夜が明けるのを待ってから晋侯の死生を探りましょう。それから後の事を考えるべきです。」
呂・郤の二人は重耳を殺すことができなかったため既に焦っており、他に考えが浮かびません。やむなく党人を集めて朝門を突破しました。
 
狐、趙、欒、魏等の各大夫は宮中の失火を見てすぐに兵衆を集め、撓鉤(長柄)や水桶を準備して駆けつけました。あくまでも消火のためであり、誰かと戦うつもりはありません。
空が明るくなって火が消えた頃、始めて呂・郤の二人による造反を知りました。晋侯が見当たらないため諸大夫が胆を潰します。そこに内侍が火事場から出て来ました。文公が公宮を出る前に指示を与えた心腹の内侍です。内侍が言いました「主公は数日前の五鼓に微服で宮を出ました。どこに行ったのかは分かりません。」
趙衰が言いました「この事は狐国舅(狐偃)に問えば分かるだろう。」
狐毛が言いました「私の弟の子犯(狐偃)も数日前に入宮したものの、その夜から家に帰ってない。君臣(文公と狐偃)は一緒におり、二賊の逆謀を予知していたのだろう。我々は都城を固く守り、宮寝を修築して主公の帰りを待てばいいはずだ。」
魏犨が言いました「賊臣が造逆し、公宮を焼いて国主を弑殺しようとした。まだ遠くには逃げていないはずだ。わしに一旅の師を預けてくれれば、追撃してその首を斬ってみせよう。」
趙衰が言いました「甲兵は国家の大権だ。主公がいないのだから、誰にも勝手に動かすことはできない。二賊は逃げたがすぐに首を差し出すことになるだろう。」
 
呂・郤等は郊外に駐軍しました。晋君はまだ死なず、諸大夫が城門を固く守っていると知り、追撃を恐れて他国に出奔しようとしましたが、どこに行くかが決まりません。
勃鞮が偽って言いました「晋君の廃置(廃立)は常に秦の意に従ってきました。それに二人は秦君と旧識(面識)があります。公宮が失火して重耳が焚死したと偽り、秦君に投じて公子・雍を擁立させるべきです。そうすればたとえ重耳が生きていたとしても、再び国に入るのは困難になります。」
呂省が言いました「秦君と我々には王城の盟がある。今は彼に投じるしかないだろう。しかし秦が我々を許容するだろうか。」
勃鞮が言いました「私が先に行ってこちらの意思を伝えます。もしも同意したら皆で秦に向かい、同意しなかったら、他の計を考えましょう。」
 
勃鞮は河口に行きました。公孫枝が河西に駐軍していると聞き、黄河を渡って謁見を求めます。
勃鞮が公孫枝に真相を全て話すと、公孫枝が言いました「賊臣が投じようというのなら、誘って誅殺し、国法を正そう。便宜の託臨機応変に行動するという命令)に背くことはない(国君の判断を待つ必要はない)。」
公孫枝は書信を勃鞮に渡して呂・郤に届けさせました。そこにはこう書かれています「新君が国に入ってから、寡君との間に領地割譲の約束があったので、寡君は枝(私)に兵を預けて河西に駐軍させました。疆界(国境)を明らかにすることが目的であり、寡君は新君が恵公の故事を繰り返すことを心配しています。ところが今、新君が火厄に遭い、二大夫は公子・雍を擁立するつもりだと聞きました。これについて寡君が話しを聞きたいと思っているので、大夫は速やかに訪問して計を謀ってください。」
書を見た呂・郤は喜んで河西の秦軍に向かいました。公孫枝が出迎えます。
双方の挨拶が終わると宴が始まりました。呂・郤は全く疑っていません。
 
公孫枝は事前に人を送って秦穆公に報告していました。穆公は王城に入って待機しています。
呂・郤等は三日間逗留してから、秦君への謁見を求めました。公孫枝が言いました「寡君は王城に入っているので一緒に行きましょう。車徒(兵)は暫くこの地に留め、大夫が戻ってから共に黄河を渡って帰国すればいいでしょう。」
呂・郤は公孫枝の言に従って王城に行きました。勃鞮と公孫枝が先に入城して秦穆公に会い、丕豹を送って呂・郤を迎え入れさせます。穆公は晋文公を囲屏(屏風)の後ろに隠しました。
呂・郤の二人が到着し、謁見の礼が終わりました。二人は子雍を擁立する計画を話します。
穆公が言いました「公子・雍は既にここにいる。」
呂・郤が声をそろえて言いました「公子に会わせてください。」
穆公が「新君よ、出て来なさい」と呼ぶと、囲屏の後ろから貴人が現れました。慌てることなく叉手(両手を胸の前で重ねた姿。左手で右手を包む礼)して歩いて来ます。呂・郤が目を凝らして見ると、文公・重耳でした。
呂省と郤芮は魂が抜けたように驚き、「死罪に値します(該死)!」と言って叩頭を続けます。
穆公が文公を横に座らせました。
文公が大きな声で言いました「逆賊よ!寡人が汝等に対して何をしたというのだ!勃鞮が出首(出頭)したから秘かに宮門を出ることができたが、そうでなかったら寡人は既に灰燼と化していたであろう!」
呂・郤の二人はこの時やっと勃鞮に売られたと気がつきました。
二人が言いました「勃鞮も歃血して共謀しました。共に死なせてください。」
文公が笑って言いました「勃鞮が共に歃血をしなかったら、どうして汝等の謀を知ることができたというのだ。」
文公は武士に命じて二人を連れ出させ、勃鞮に監斬を命じました。間もなく、二つの人頭が階下から献上されます。
 
呂省と郤芮は恵公と懐公を補佐し、一時の豪傑として数えられることもできたはずです。廬柳に駐軍した時に重耳と最期まで戦っていれば、忠臣の名を失うこともなありませんでした。しかし懐公を裏切って重耳を迎え入れ、既に投降したのにまた背叛したため、公孫枝に誘い出されて王城で死に、身も名も敗れることになりました。
 
文公は勃鞮に呂・郤の首級を持たせ、河西に行って二人の兵を順撫するように命じました。同時に勝報を晋国に伝えます。
国内の諸大夫が喜んで言いました「子餘の言った通りになった!」
趙衰等は急いで法駕を準備し、晋侯を河東まで迎えに行きました。
 
この後の事がどうなるか、続きは次回です。