2016-05-10から1日間の記事一覧

第三十六回 晋呂郤が公宮を焼き、秦穆公が晋の乱を平定する(後編)

*今回は『東周列国志』第三十六回後編です。 勃鞮は呂・郤二人の猜疑を避けるため、決起の数日前から郤芮の家に住みました。挙兵の相談をするふりをして二人を油断させます。 二月晦日、勃鞮が郤芮に言いました「主公は明日の朝に視朝すると約束しました。…

第三十六回 晋呂郤が公宮を焼き、秦穆公が晋の乱を平定する(中編)

*今回は『東周列国志』第三十六回中編です。 晋懐公は呂省と郤芮からの勝報が届かないため、寺人・勃鞮を送って晋軍に出陣を督促させました。しかし寺人・勃鞮は道中で呂・郤が郇城に退却し、狐偃および公子・縶と講和したことを知りました。二人は懐公を裏…

第三十六回 晋呂郤が公宮を焼き、秦穆公が晋の乱を平定する(前編)

第三十六回 晋呂郤が夜に公宮を焼き、秦穆公が再び晋の乱を平定する (晋呂郤夜焚公宮 秦穆公再平晋乱) *今回は『東周列国志』第三十六回前編です。 狐毛と狐偃の兄弟は公子・重耳に従って秦にいました。父の狐突が子圉に殺されたと聞き、胸を叩いて大哭し…

戦国時代41 東周顕王(九) 覇者・秦孝公 前348~342年

今回は東周顕王二十一年から二十七年です。 顕王二十一年 癸酉 前348年 [一] 秦の商鞅が賦税法を改めました。 周代は井田制が行われていました。「井田制」は農民に私田と公田を与え、公田で収穫したものを国に納めさせるという制度です。しかし商鞅が井田制…