第五十二回 公子宋が逆を構え、陳霊公が朝廷で戯れる(後編)

*今回は『東周列国志』第五十二回後編です。
 
翌日、霊公が命令を発し、駕車を準備させて微服(庶民の服。お忍び)で株林に遊びに行きました。大夫・孔寧だけが従います。
孔寧は先に夏姫に書信を送り、もてなしの準備をさせました。また、荷華に霊公の意を教えて夏姫に伝えさせます。
一方の夏姫も恐れを知らない主顧(主人の意味か?)なので(または「夏姫は相手が恐れを知らない主顧(客)だと知り」。本来、「主顧」は「客」の意味です。原文「那辺夏姫也是箇不怕事的主顧」)、事前に準備を済ませて霊公を待ちました。
霊公は夏姫を得たい一心だったため、名目上の遊幸をすぐに終えて夏家に向かいました。まさに「玉香を盗むことに本意があり、山水の観玩には興味がない(竊玉偸香真有意,観山玩水本無心)」という状態です。
夏姫は礼服で出迎えて霊公と共に庁(正堂。賓客をもてなす大きな部屋)に入り、拝謁して言いました「妾の男児・徴舒は外に出て傅に師事しており、主公の駕臨を知らないので、迎接の礼を失してしまいました。」
夏姫の声は新春に鶯がさえずるような美しさです。
霊公がその顔を見ると、まさに天人というべきでした。六宮後宮の妃嬪でも匹敵する者はほとんどいません。
霊公が言いました「寡人はたまたま閑遊に来たので、尊府を訪ねてみただけだ。驚かすことがなければ幸いだ(気を使うことはない。原文「幸勿驚訝」)。」
夏姫が斂衽(襟を正すこと)して言いました「主公の玉趾(国君の足)が及んだので敝廬(私の粗末な家)にも色を増すことができました。賎妾は蔬酒(野菜や酒。粗末な酒食)を用意しましたが、恐れ多くて献上できません。」
霊公が言いました「すでに庖厨を煩わせたのなら(食事の用意があるのなら)、礼席は必要ない。尊府には幽雅な園亭があると聞いたので、入って見てみたいものだ。主人の盛饌(御馳走)はそこでいただくことにしよう。」
夏姫が言いました「亡夫が世を去ってから、荒圃(荒れた園)は久しく掃除をしていません。大駕(国君)に対する不敬になる恐れがあるので、賎妾は先に罪を申し上げます。」
夏姫の礼儀正しく道理のある発言に霊公はますます愛情を感じました。そこで夏姫にこう言いました「礼服を脱ぎ、寡人を連れて園内を一遊させよ。」
夏姫はその場で礼服を脱ぎました。一身の淡粧(飾りが少ない服)が現れます。まるで月下の梨花、雪中の梅蕊のような優雅さに、霊公の目が奪われました。
夏姫が先導して後園に入りました。そこは広い土地ではありませんが、喬松秀柏(立派な松や柏)、奇石名葩(「葩」は花の意味)が並び、池沼が一方を占め、いくつかの花亭が建っています。中央の高軒(高い建物)は朱欄と繍幕で囲まれて明るく華やかな雰囲気でした。そこが宴客の場所です。左右には廂房があり、軒の後ろには数層の曲房(内室)が繋がり、回廊がめぐって内寝に通じています。園内には馬厩もありました。霊公は馬を厩舎に入れさせます。園の西は空地で、射圃になっていました。
一周り見た霊公が戻ると、軒内には筵席(宴席)が既に用意されており、夏姫が盞(酒器)を持って霊公に席を進めました。霊公が夏姫を横に座らせようとしましたが、夏姫は謙讓して辞退します。しかし霊公は「主人が座らないという道理があるか」と言い、孔寧を右に、夏姫を左に座らせてこう宣言しました「今日は君臣の分を去る。それぞれ歓びを尽くせ。」
 
酒を飲んでいる間も霊公の目は夏姫から離れず、夏姫も目で合図を送りました。
霊公は酒がまわって癡情(情愛)が大きくなります。孔大夫も傍で興を添えました。
知らず知らずに酒が進み、日が西山に落ちました。左右の近臣が蝋燭を持ちます。盞(杯)を洗って酌を重ねているうちに、霊公は泥酔して席に伏せてしまいました。鼾をかいて眠っています。
孔寧が秘かに夏姫に言いました「主公は久しくあなたの容色を慕っていた。今日、ここに来たのは、あなたに歓を求めることを決心したからだ。その心に反してはならない。」
夏姫は微笑むだけで何も言いません。
孔寧は便宜を図るため、外に出て霊公の従者達を安頓(指示を出すこと。手配すること)してから休みました。
 
夏姫は錦衾繍枕錦繍の布団と枕)を準備してから霊公を休ませるふりをして軒の中に運ばせました。自身は香湯で沐浴し、召幸を待ちます。留荷だけ残して霊公の傍に仕えさせました。
やがて眠りから覚めた霊公が目を見開いて「誰だ?」と問いました。
荷華が跪いて言いました「賎婢は荷華です。主母の命を奉じ、千歳爺爺(諸侯。国君)に伏侍しておりました。」
荷華は酸梅醒酒湯を霊公に進めます。
霊公が問いました「この湯は誰が作ったのだ?」
荷華が答えました「婢が作りました。」
霊公が問いました「汝は梅湯を作れるが、寡人のために媒(男女の仲介)になることもできるか?」
荷華はわざとこう言いました「賎婢は媒になることに慣れていません。しかし君命のために奔走することは知っています。千歳爺の意中の人はどなたでしょう。」
霊公が言いました「寡人は汝の主母のために神魂とも乱されてしまった。汝がわしの事を成就できるようなら厚く賞賜を与えよう。」
荷華が言いました「主母の残体(老齢な身体)は貴人の相手をすることができないでしょう。それでも不棄の恩を蒙ることができるのなら、賎婢がすぐ案内いたします。」
喜んだ霊公は荷華に灯を持たせて案内を命じました。曲がりくねった廊下を通って内室に入ります。
 
夏姫は灯を点けて一人で座っていました。何かを待っているようです。
突然、外に足音が聞こえたため、誰が来たのか問おうとしましたが、既に霊公が戸を開けて入ってきました。
荷華が銀灯を持って出て行くと、霊公は何も言わずに夏姫を抱いて帷に入り、衣服を脱いで共に横になりました。(以下、原文の美しさを損なわないため、そのままにしておきます)肌膚柔膩,著体欲融,歓会之時,宛如処女。
霊公が不思議に思って問うと、夏姫が言いました「妾には内視の法があるので、子を産んでも三日もせずに充実して元に戻るのです。」
霊公が嘆息して言いました「寡人が天上の神仙に会ったとしても、このようなものなのだろう(神仙でも夏姫を越えることはないだろう)。」
 
霊公の淫具は孔・儀の二大夫に及ばず、しかも暗疾があったため、好かれる要因がありません。しかし霊公は一国の主なので、婦人にとっては三分の勢利があります。夏姫は嫌そうな姿を見せず、枕席で虚心になって霊公を受け入れました。
一方の霊公はこの世にまたとない奇遇(珍しい伴侶)を得たと思っています。
二人は一緒に寝て朝を迎えました。鶏が鳴くのを聞いて、夏姫が霊公を起こします。
霊公が言いました「寡人は愛卿と交わることができた。六官に帰っても糞土のようなものだ。しかし愛卿の心中は分からない。愛卿にとって、寡人に少しでも及ぶ者がいるか(原文は理解困難です。「但不知愛卿心下有分毫及寡人否」。「愛卿の心は少しでも寡人に及んだだろうか」という意味かもしれません)?」
夏姫は霊公が孔・儀二大夫との事を知っているのではないかと疑い、こう言いました「賎妾には嘘が言えません。先夫を失ってから自制することができず、他人によって身を失うことがありました。しかし今回、君侯の侍(同衾)を得ることができたので、永遠に外交を断ちます。今後、二心を抱いて罪を犯すことはありません。」
霊公が喜んで言いました「愛卿が今まで交わってきた者を全て寡人に話してみよ。隠す必要はない。」
夏姫が言いました「孔・儀の二大夫が遺孤(夏徴舒)を慰めた機会を利用して乱に及びました。他にはいません。」
霊公が笑って言いました「なるほど、孔寧は卿の交接の妙が尋常ではないと言っていたが、自ら試さなければ分からないはずだ。」
夏姫が言いました「賊妾は今まで罪を犯してきました。寬宥を乞います。」
霊公が言いました「孔寧には薦賢の美(功績)がある。寡人は彼に感謝しているのだ。卿が心配することはない。卿としばしば(常常)会ってこの情を絶えさせることがなければ、卿は自由にすればいい。汝を禁じることはない。」
夏姫が言いました「主公はいつでも来ることができます(原文は「源源而来」。「源源」は水が流れるように絶え間ない様子です)。しばしば(常常)会うことが困難なはずがありません。」
 
暫くして霊公が立ち上がりました。夏姫は自分の汗衫(肌着)を脱いで霊公に着させ、「主公がこの衫を見たら賎妾に会ったと思ってください」と言いました。
荷華が灯を持ち、元来た道を通って軒まで送ります。
空が明るくなる頃、庁事(正堂)には早膳が並べられていました。孔寧が従者と駕車を率いて霊公に会います。霊公は夏姫に勧められて堂に登り、孔寧等に挨拶をしました。
庖人が饌(食事)を運び、衆人が酒食で労われます。
食事が済むと孔寧が霊公の車を御して朝廷に帰りました。
 
百官は陳侯が外で寝泊まりしたと知っていたため、朝門に集まって帰りを待っていました。
朝門に到着した霊公は「免朝(朝会を中止する)」とだけ命じて宮門を入りました。
 
儀行父が孔寧の袖を引いて霊公がどこに泊まったかを問いました。孔寧は隠すことができず、全てを話します。儀行父は孔寧が夏姫を薦めたと知り、足踏みして言いました「このように好いこと(如此好人情)を、汝一人にさせてしまった。」
孔寧が言いました「主公はとても満足している。次の好いこと(好人情)は汝が行えばよい。」
二人は大笑いして去りました。
 
翌日、霊公が早朝(朝廷の会)を開きました。
百官の礼が終わり、朝議が終了して解散してから、霊公は孔寧を招いて夏姫を薦めた事を感謝しました。また、儀行父も招いて問いました「このように楽しい事をなぜ早く寡人に上奏しなかったのだ。汝等二人が先に占めたのは、どういう道理だ?」
孔寧と儀行父がそろって言いました「臣等にそのような事はありません。」
霊公が言いました「美人が自らの口でそう言ったのだ。卿等が隠すことはない。」
孔寧が言いました「例えば国君が食事をする時は、臣下が先に味を確認します。父が食事をする時は、子が先に味を確認します。もし味を確認して美味でなければ、国君には進めないものです。」
霊公が笑って言いました「それは違うであろう。たとえば熊掌なら、寡人が先に食べても問題ないぞ。」
孔・儀の二人が一緒に笑いました。
霊公が「汝等二人は既に入馬したが、美人はわしだけに記念の物を贈った」と言い、襯衣(汗衫)を引っぱり出してこう問いました「これが美人から贈られた物だ。汝等二人にはないであろう?」
すると孔寧が「臣にもあります」と答えました。霊公がそれは何かと問うと、孔寧は衣服の裾をめくり上げて錦襠を見せ、「これが姫に贈られた物です。臣だけではありません。行父にもあります」と言いました。
霊公が儀行父にも何を贈られたか問うと、儀行父も衣服の胸元を開いて碧羅襦を見せました。
霊公が大笑いして言いました「我等三人は共に質証(証)を身につけている。後日、一緒に株林に行って、連床の大会を開こうではないか。」
一君二臣は朝堂で猥褻な戯れを続けます。この事は朝門を出て一人の正直な臣を悩ませました。彼は歯ぎしりして「朝廷は法紀の地であるのに、このように乱れているとは、陳国の滅亡も指を折って待つだけだ!」と叫び、衣服を整えて、厳粛な面持ちで再び朝門を入りました。
この官員とはいったい誰か、続きは次回です。