第九十六回 藺相如が秦王を屈させ、馬服君が韓の囲みを解く(二)

*今回は『東周列国志』第九十六回その二です。
 
秦王は偽って斎戒すると言いましたが、実際には行いませんでした。
五日後、殿上に昇って礼物を陳列し、諸侯の使者を全て集めます。璧を受け取る様子を見せて列国に誇示するつもりです。
賛礼(式典で進行を担当する者)が趙国の使臣を召して上殿させました。
藺相如がゆっくり堂々と入朝し、謁見の礼を終えます。
秦王は藺相如の手に璧がないのを見て、こう問いました「寡人は既に五日間の斎戒を行い、謹んで和璧を受け取るつもりだ。使者が璧を持って来なかったのはなぜだ?」
藺相如が言いました「秦は穆公以来、二十余君が立ちましたが、皆、詐術によって事を行ってきました。遠くでは杞子が鄭を欺き、孟明が晋を欺き、近くでは商鞅が魏を欺き、張儀が楚を欺きました。往事は歴歴(明らかなこと)としており、信義があったことがありません。今回、臣は王に欺かれて寡君を裏切ってしまうことを恐れたので、既に従者に命じて璧を懐にしまわせ、間道から趙に帰らせました。臣は死罪に値します。」
秦王が怒って言いました「使者は寡人が不敬だと言った。だから寡人は斎戒して璧を受け取ることにした。それなのに使者が璧を趙に帰らせたのだから、寡人を欺いたのは明らかだ!」
秦王は左右に叱咤して藺相如を縛らせました。
藺相如は顔色も変えずにこう言いました「大王は怒りをお収めください。臣に一言があります。今日の形勢は、秦が強くて趙が弱いので、秦が趙を裏切ることはあっても、趙が秦に裏切るという道理は決してありません。大王が本当に璧を欲しているのなら、まず十五城を割いて趙に与えてください。それから、璧を受け取るために一介の使者を臣に同行させて趙に送れば、城を得た趙は敢えて璧を留めて不信の名を負い、大王の罪を得るようなことはしません。臣は大王を欺いた罪を知っており、罪は万死に値します。臣は生きて還る望みがないことを寡君に報告しました。臣を鼎鑊の烹(釜茹での刑)に就かせて、諸侯に秦が璧を欲したために趙使を誅殺したことを知らせてください。曲直がどこにあるのか、自ずと明らかになります。」
秦王と群臣は互いに顔を見合わせました。一言も発することができません。周りで見ていた諸侯の使者は皆、藺相如のために危懼しました。
左右の者が藺相如を引き連れて行こうとすると、秦王が一喝して呼び止め、群臣に言いました「相如を殺しても璧は得られず、いたずらに不義の名を負い、秦趙の好を絶つことになる。」
秦王は藺相如を厚くもてなし、礼を用いて帰国させました。
本来、秦人が城を攻めて邑を奪っても、列国には手出しができません。一璧は取るに足らないものです(秦は強大なので、城を奪われても手が出せません。璧を奪われる程度なら些細なものです)。しかし藺相如は、秦王に欺かれて璧を取られたら、趙国は秦に軽視され、将来、国を保つことが困難になると考えました。秦が優位に立ったら土地や貢物を要求されても拒否できません。そこで今回の一件を借りて(たかが璧一つでも弱みを見せることなく)趙の力量を示し、秦王に趙国にも有能な人材がいることを知らしめました。
 
藺相如が帰国すると、趙王はその賢才を認めて上大夫にしました。
結局、秦が趙に城を譲らなかったため、趙も秦に璧を贈りませんでした。
しかし秦王は心中釈然とせず、再び趙王に使者を送って西河外の澠池で好会を開くように誘いました。
趙王が言いました「秦は会見を理由に楚懐王を欺き、咸陽に錮(幽閉)した。今でも楚人の傷心は収まっていない。今また寡人と会を約束しに来たが、懐王と同じ待遇を受けるのではないか?」
廉頗と藺相如が計議して「王が行かなかったら秦に対して趙が弱いことを示してしまう」と言い、二人そろって上奏しました「臣相如が駕(王の車)を守って同行することを願います。」「臣頗が太子を補佐して居守することを願います。」
趙王が喜んで言いました「相如は璧も完全を保つことができた(且能完璧)。寡人ならなおさらだろう。」
平原君趙勝が言いました「昔、宋襄公は車(兵車ではなく普通の馬車)に乗って会に赴き、楚に捕まりました。魯君が斉と夾谷で会した時には、左右の司馬が従いました。今回、駕を守るために相如が随行しますが、鋭卒五千を精選して扈従随行の人員)とし、不虞(不測の事態)に備えてください。また、大軍を動員して三十里離れた場所に駐軍させれば、万全を保てます。」
趙王が問いました「五千の鋭卒は誰を将にするべきだ?」
趙勝が言いました「臣は田部吏の李牧という者を知っており、彼には真の将才があります。」
趙王が問いました「なぜそれが分かる。」
趙勝が答えました「李牧は田部吏として租税を徴収していました。臣の家が期限を過ぎても納めなかったため、李牧は法によって罪を正し、臣の司事者(家を管理する者)九人を斬りました。臣が怒って譴責すると、牧は臣にこう言いました『国が頼りにしているのは法です。今、あなたの家を自由に振る舞わせて公を奉じなかったら、法が削られてしまいます。法が削られたら国が弱くなり、諸侯が兵を加えます。趙が国を保てなくなるのに、あなたが家を保てると思いますか?あなたは尊貴な地位にいるので、公を奉じて法に則るべきです。そうすれば法が立って国が強くなり、富貴を長く保てます。素晴らしいことではありませんか(豈不善耶)。』彼の識慮(見識と思考)は非常(非凡)なので、臣は彼が将としてふさわしいと知ったのです。」
趙王はすぐに李牧を用いて中軍大夫に任命し、五千の精兵を扈従として率いさせ、同行を命じました。
平原君も大軍を率いて後に続きます。
廉頗が境上まで見送り、趙王に言いました「王は虎狼の秦に入るので、誠に予測ができません。ここで王と約束させてください。往来の道程と会遇の礼で費やす時間を考えると、三十日を越えません。もし三十日を越えても帰国しなかったら、楚国の故事に倣って太子を王に立て、秦人の望を絶たせてください。」
趙王は同意しました。
 
趙王が澠池に入りました。秦王も到着します。それぞれ館駅で宿泊しました。
会見の日、両王が礼を用いて挨拶し、酒宴を設けて楽しみました。
酒が進んで酔いがまわった頃、秦王が言いました「寡人は趙王が音楽を善くすると聞いている。寡人にはここに宝瑟がある。趙王に奏でてほしい。」
趙王は顔を赤くしましたが、拒否するわけにもいきません。
秦の侍者が宝瑟を趙王の前に運び、趙王は『湘霊』を弾きました。秦王の称賛が止まりません。
弾き終わると秦王が言いました「寡人は趙の始祖である烈侯も音楽を愛したと聞いた。君王はまさに家伝を得たのだ。」
秦王は左右を顧みて御史を招き、この事を記録させました。秦の御史が筆と簡を取り、こう書きました「某年月日、秦王が趙王と澠池で会し、趙王に鼓瑟させる(瑟を弾かせる)。」
藺相如が進み出て言いました「趙王も秦王が秦声(秦の音楽)を善くすると聞いています。臣が謹んで盆缶を奉じるので、娯楽とするために、秦王に敲いていただきものです。」
秦王は怒って顔色を変え、返事をしませんでした。
藺相如は酒が盛られた瓦器を持って秦王の前に跪きます。しかし秦王は敲こうとしません。
藺相如が言いました「大王は秦の強に頼っているのですか?今は五歩の内で相如が頸血を大王に浴びせることができます。」
左右の者が「相如、無礼だろう!」と言って捕まえようとしました。すると藺相如が目を見開いて叱咤します。鬚髪が怒りで逆立ちました。左右の者は驚いて思わず数歩さがりました。
秦王は不快でしたが、心中で藺相如を恐れたため、無理に缶を敲いて一声を上げさせました。
藺相如はやっと立ち上がって趙の御史を招き、簡に記録させました「某年月日、趙王が秦王と澠池で会し、秦王に缶を撃たせる。」
秦の諸臣は不平を抱き、筵席(宴の席)の前に立って趙王に言いました「今日、趙王は秦国に恵顧(光臨)されました。王は十五城を割いて秦王の寿を祝ってください。」
藺相如も秦王に言いました「礼とは往来するものです(礼尚往来)。趙が十五城を秦に進めるのですから、秦も応えなければなりません。秦は咸陽を贈って趙王の寿を祝ってください。」
秦王が言いました「我々両君は友好のために会を開いた。諸君はそれ以上言うな。」
秦王は左右に命じて酒を勧めさせ、愉快なふりをして宴を終わらせました。
 
秦の客卿胡傷等が秘かに秦王に進言し、趙王と藺相如を拘留しようとしました。
しかし秦王はこう言いました「諜者は『趙が設けた備えはとても厳密だ』と言っている。万一事が失敗したら、天下の笑い者になるだろう。」
秦王はますます趙王を敬重し、兄弟の契りを結んで永遠に侵伐しないと約束しました。太子安国君の子で名を異人という者を人質にして趙に送ります。
群臣が皆言いました「友好を約束するだけで充分です。なぜ質を送る必要があるのですか?」
秦王が笑って言いました「趙は強くなっており、まだ図ることができない。質を送らなかったら、趙は我々を信じないだろう。趙が我々を信じれば友好が堅固になり、我々は韓に専念できる。」
群臣は納得しました。
 
 
 
*『東周列国志』第九十六回その三に続きます。